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第1話「あなたの未来は小悪魔のちトラブル多発です」
ボクはただ逃げたかっただけ。
安易だろうが、弱虫と言われようが、死さえ受け入れればこのクソッタレな世界をもう見なくて済むと思ったんだ。
学校でイジメを受け、居場所さえ失ったボクには、この苦しい状況から逃げ出したくてしかたなかった。けど、ボクにはなんの力もない。
誰も助けてくれないなら、絶望しか訪れないのだ。
目の前に広がるのは、この世の終わりのような真っ赤な夕焼け。ボクはそれ見つめ、引き寄せられるように屋上の手すりを乗り越える。
「待って!」
背後から声がかけられた。そこにいたのはセーラー服を着たボクと同じくらいの年の少女。たぶん中学生だろう。
悪魔っぽいキャラの付いた特徴的なピンク色の髪留めに、肩くらいの長さのゆるふわな髪。くりっとした大きな目の、すごくかわいい感じの子だった。
「きみは誰?」
「わたしは……そうね、悪魔かな。これからあなたに呪いをかけるもの」
悪魔――。
どう見たって普通の女の子なんだけど。
「あのね。未来って変えられるんだよ」
「未来?」
「そう、あなたは自分の手で未来を変えたくて、たまらなくなるの」
「それが呪い?」
「ううん。これからあなたには呪いの言葉を贈るわ。それは『思考』。この世で最強の武器よ」
彼女の笑顔は自信に満ちていた。あれが運命とも言える出会いだったのだろうか。
この悪魔は、世の中の仕組みとイジメへの対処方、そして悪知恵を授けてくれた。
端的に言えばボクに自分の世界の取り戻し方を教えてくれたのだ。
そして、お礼を言うこともできず、彼女は不意にボクの前から消えてしまう。
名前すら教えてくれなかったボクの恩人。
のちにボクは……俺は、この子と瓜ふたつの女の子に恋をするようになる。
**
未来は簡単に変えられる。
ちょっとした行動で悲劇的な結果を生むこともあれば、それを回避することも可能だ。
たったひとつの正解をたどれば、自分だけでなく他の誰かの人生にすら干渉できてしまう。
もし未来を覗ける能力があるのなら、苦労せずに生きられるだろう。そんなことを考えていた時期もあった。
「くっそだりぃーな」
通学するためとはいえ毎朝、満員電車に詰め込まれるのはちょっと勘弁してほしい。考えてみれば、それこそ、ベッドタウンから都市部へと通う一部の者に枷られた『呪い』じゃないか。
そんなくだらない事を考えながら改札を抜け、憂鬱の元凶である電車に乗るためにホームへと向かった。途中、不意に横からの衝撃を感じる。
「!?」
痛みはない。たぶん、誰かがぶつかってきたのだろう。
「いったーい。気をつけてよ!」
声の方向を向くとそこには紺のセーラー服――。
自分と同じ私立清水坂高等学校の制服を着た女子がいた。たしか1年の時に同じクラスだった東山美月だったかな。
今は2年なので違うクラスだが、まったく知らない顔でもない。あのムカつくポニーテール頭は忘れるはずもなかった
「おいおい、ぶつかってきたのは東山さんだろ?」
「あんたが、どかないのが悪いんでしょ!」
右手にスマホを持った彼女は、ちらちらとその画面を見ながら不機嫌な顔で俺を睨んでくる。なるほど、いわゆる『歩きスマホ』で俺にぶつかったパターンか。しかも、自分の落ち度を認めないタイプ……というのは1年の時に思い知らされている。
めんどくさいな。
「……」
会話が通じない相手に構っていても時間の無駄だ。俺は、そのまま歩き出す。
「待ってよ! 話、終わってないじゃん!」
後ろからは怒鳴り声のようなキンキン声が聞こえてくる。俺には1年生の時の陰鬱な生活の中で身に着けた知恵があった。
ああいうものは相手にすべきではない――。
踵を返して立ち去ろうとした瞬間、不意に景色が変わった。周りの人々の動きが段々と遅くなり、さっきまでは明るかった駅構内が一気に暗闇の世界へと変わっていくではないか。
『このままだと、あなたは警察に捕まるわよ』
突然、声が聞こえてくる。甘い少女の声だ。
声の主は、俺の心の中に数年前から住んでいる悪魔だ。といっても、本当の悪魔というわけではなく、俺がそう呼んでいるだけである。
「また始まったか。何だ、今回は未来予測か?」
この悪魔は俺の行動によって導き出された未来を予測してくれる存在。その的中率は100%。だからこそ俺は、こいつのことを『ラプラスの悪魔』と呼んでいる。
『どうする?』
「どうする? って言われてもなあ。警察に捕まるような犯罪を犯した覚えはないんだが」
成人前ではあるが、基本的な法律は知っているつもりだ。もちろん、犯罪の構成要件も理解している。
『これから犯すのよ』
「どうやって?」
『それはね。さっきぶつかった女の子、東山美月と関わってしまったからよ』
過去に何度も悪魔と対話してきた俺としては、その理由についての推測がついてしまった。
触れた相手と起こりえる不幸な未来を、この悪魔は自動的に予測して警告してくれる。つまり、俺がこのまま行動を変えないでいると、その未来が現実に変わるということだ。
「なるほどね。東山が何かを仕掛けてくるパターンか」
彼女は自分の失敗さえ他人のせいにする厄介な奴だという事は分かっていた。たぶん、その後の行動もなんとなく想像がつく。
『そう。彼女はイタズラ感覚であなたを痴漢にでっち上げる。その結果、あなたは警察に引き渡されるわけ』
「そう来たか。でも俺、そこまでひどいことはしてないと思うぞ」
東山の顔を見たのは久々だし、最近は関わることがほとんどなかった。しかも、さっきぶつかってこられたのは偶然であり、相手の落ち度の方が高い。しかし……。
『彼女は自己中心的なんでしょ? あたしはさ、未来予測以外、人の心はよくわからんないんだけどね』
つまり東山は自分に不快なことを与えた相手を許さないということか。そのためなら相手がどんな目に遭おうが構わないと。
まあ、予想通りではあるかな。
「困ったなぁ……電車を1本遅らせれば、それは避けられそうだけど」
『その場合は遅刻して、生活指導の森脇先生にこっぴどく叱られるんじゃない?』
あの先生、根に持つタイプらしいからな。過去の一度の失敗さえグチグチと言われると先輩に聞いたことがある。
「しかたがない。彼女とは違う車両に乗るか」
『それでも回避は無理よ。彼女はあなたを見つけて同じ車両へと移動してくる』
うわっ、キツいなそれ。
「マジかよ。どんだけしつこいんだ?」
『どうするの? 無難な回避方法は遅刻することだけど』
「それだけは避けたい。森脇にはあんまり目を付けられたくないからなぁ」
『それなら“思考”して。あたしはあなたの行動結果を演算するだけだから』
ラプラスはいつもの台詞を俺へと言い放つ。予測された未来を回避するために、俺はどう行動すればいいかを考えなければいけない。
その考えた行動によって、どう未来が変わるかは、このラプラスが演算をして示してくれる。
周りは真っ暗。実は、この思考している間は時の流れはほぼ停止に近い状態だ。ゆえに、光も停止しているので周りは暗く見えるわけだ。フィクションの時間停止系によく見受けられる、物理法則を無視した明るい世界ではない。
「いっそのこと、こっちから彼女に近づいて変なことをしないように見張るとか?」
『は? 何それ。飛んで火に入る夏の虫じゃない。あなたが痴漢にでっち上げられる時間が早くなるだけのことよ』
ラプラスは冷たく言い放つ。まるで、こちらの浅慮を嘲笑うかのようだ。
「彼女から距離をとるように移動し続けるとか?」
『はい。0点。男子のあなたが電車内でそんな不自然な動きをしていたら、他の乗客に痴漢と間違われるだけよ』
「スマホで録画しておくとか?」
『またまた0点。その場合はスカートの中を撮影しようとしているって声を上げられるだけ』
「でも、実際にスカートの中は映ってないわけだから警察に捕まることは……」
『未遂犯として連行されるだけよ。取調室で確認されるだろうけど、その頃にはもう手遅れなのよ。まあ、罪を捏造しようとしている彼女にかなうわけがないって』
仕方なく数百個もの回避のための案を出す。体感時間で1時間くらいは考えていただろうか。それでも、現実時間からすればコンマ1秒にも満たないのだが。
考えても考えても、ラプラスはすべての回避案に痛烈なダメ出しを浴びせてくる。といっても、実際に俺が行動を取るような、フィクションのループ系にありがちな『時間が戻る』という能力とは違うので、体力的なダメージも精神的なダメージも少なくて済む。
しかしながら、回避策が見つからないのはきつかった。
「おいおい……完全に詰みじゃねーか!」
『諦めて遅刻をすることをオススメするわ』
俺は全知全能の神ではない。危険を回避しつつ、都合の良い未来をつかみ取る能力などは備えていない。ゆえに何かを成すために、何かを犠牲にすることもある。今までも、そうやって妥協して乗り越えた出来事がいくつかあった。
「それも納得がいかねーな」
とはいえ、俺もけっこう悪あがきをするタイプだ。
『他にあなたがとれる行動があるなら、未来を演算してあげるわよ』
「その前にヒントをくれよ。俺があいつに痴漢に仕立て上げられた時の映像でも見せてくれると助かるが」
『それくらいならいいよ。はい、どうぞ』
頭の中に映像が流れてくる。ラプラスは口頭だけでなく、実際の映像すら再現して見せてくれるので重宝する。
映像は東山視点。どうやら彼女は、十数分後の未来にいるようだ。
そこでの彼女は、一度俺のいる場所を確かめるように視線を投げかけ、その後は強引に人ごみをかき分けて満員電車の中を移動してくる。
やがて俺の側に近づくと、わざとらしくお尻をそちらへと向けた。そして電車がカーブに差し掛かる頃、俺の手があった場所へと自分の身体を押し付ける。手が触れた瞬間を狙って、俺の手を掴まえて真上へと上げた。
彼女は声を張り上げる。
「この人痴漢です!」
車内はざわつき、正義の味方気取りの男たちが俺を取り囲んだ。
このままでは次の駅で強制的に降ろされ、構内の事務所へと連れて行かれる。そこから警察に引き渡されるのは必至だろう。
彼女の身体がこちらの手に触れた瞬間の映像から、自分の位置や周りにある物や人物を覚えていく。そうして、すぐにゲスな策略を1つ思いついた。人はそれを悪知恵という。
「なるほど、一見するとこっちが不利そうだけど、形勢を逆転できる良い機会でもあるな」
俺はニヤリと笑う。あちらが意地悪のエキスパートであるならば、こちらは悪知恵のプロフェッショナルとでも言ったところか。今までそれを用いて何度、窮地を乗り越えてきたことか。
『で、どうするの?』
悪魔の問いかけに、俺は得意気に答える。
「簡単な話さ。俺が犯罪者にならず、あいつに一泡吹かせる策を実行するだけだよ」
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