第2話「天使の秘密は禁則事項です」

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第2話「天使の秘密は禁則事項です」

 電車の中はいつものように混雑していた。やはり、朝のラッシュアワーは侮れない。  他路線で見られる絶望的な圧迫感こそないものの、人と人と僅かに触れ合うがほどの距離。もし目の前に女子がいたら、己の中に眠るスケベ心を隠しきれないか、痴漢に間違われないように怯えるかの二択である。いずれにせよ、痴漢行為などという下劣な行為に走るほど自制心は失ってはいないのだが。  車内がひどく混んでいるためか、触れた人間の未来予測をラプラスが次々と囁いてくる。上半身限定ではあるが、間接的に誰かと繋がればその人との未来が見えるというのが悪魔の仕様なのだ。  とはいえ、ほとんどは自分とはまったく無関係な人間の話なので、俺はそれらを無視して当初の予定通りに行動する。  俺はラプラスに演算させて割り出した絶妙な位置に立ち、左手に持った学生鞄を予測された角度へと調整する。  東山の姿を確認できた。電車が走り出して何駅かに停車し、目的地の駅まであと2駅というところだ。その瞬間、俺の顔を見た彼女の口元が非対称に(わら)う。  俺と彼女はある意味、同類なのかもしれない。自分自身の心もそれなりに歪んでいるのは理解している。彼女との大きな違いといったら、それらの歪みを客観的に見られるかだろう。  しばらくすると列車はカーブへと差し掛かり、車体が少し傾く。それを利用して最小限の力を左手にかけ、タイミングを計って立ち位置をずらせば準備完了だ。  俺は心の中でカウントダウンを始める。 (……5、4、3、2、1) 「この人痴漢です!!」  東山の手が上がる。そこに掴まれていたのは俺の手ではなかった。  少し斜め後ろにいた年配の女性が痛そうに顔をしかめる。見たところ60代くらいだろうか。東山が掴んでいたのは、彼女の手だったのだ。 「なにするのよ! 痛いじゃない」 「え? わたしのおしりに……」  老婆の叱責の声に東山は何が起きたのか理解できず、混乱している様子だった。 「これだけ電車内が混んでるんだから仕方ないでしょ!」  彼女の顔が焦ったように俺の顔を見る。その額には冷や汗でも流れていきそうな感じだった。  東山としては、俺の手を掴んだつもりで、したり顔を準備していたのかもしれない。  ところが、掴んだのは老婆の手であった。よって、その準備は一瞬で水泡に帰した。相手が男性でなければ、彼女の悪巧みは通用しないのだから。  周囲の乗客から、くすくすと嘲笑の声が聞こえる。 「おいおい……どんだけ自意識過剰なんだよ」 「ああいう女がいるせいで、痴漢冤罪が無くならないんだよなぁ」 「お婆ちゃんかわいそう~」  東山はさぞ、恥をかいたことだろう。まあ、自ら進んで身体を近づけてきて、俺の手が触れた瞬間に痴漢にでっち上げるつもりだったのだから自業自得なのだが。  ちなみに俺は、事が起こる寸前で身を退いて老婆と入れ替わるような位置へと立っていた。左手に抱えられた鞄が電車の揺れで偶然に老婆の手に当たって、その手が彼女に触れてしまったという顛末だ。  その手を俺だと勘違いして掴んだ東山。彼女は自らの詰めの甘さにより、とんだ赤っ恥をかく羽目になった。心の底から『ざまあみろ!』と言ってやりたい。  一方、当の本人は赤面して俯いていた。きっと、恥ずかしさに耐えきれなかったのだろう。因果応報ともとれる東山の姿を見て満足した俺は、片方の口角を上げて静かに(わら)うのだった。 『あなたも人が悪いねぇ……』  悪魔の囁き……いや、ぼやきが聞こえた気がした。  **  4時間目の終了を告げるチャイムが鳴り響く。それと同時に、前の席に座っていた富石(とみいし)桃李(とおり)の顔がこちらに向いた。 「ツッチー、いつもの勝負だ」  昼休みに教室で食事を摂る俺たちは『どちらが購買部でパンを買ってくるか?』という、他愛もない雑用を賭けてジャンケンをするのが恒例行事だった。 「ああ、いいぜ」  俺は当然のように勝負を受ける。  富石は清潔感のあるショートヘアに甘いマスクで、女子たちからはイケメン俳優の誰かに似ていると持て囃されている。  だが俺は、付き合いが長いので富石の中身がわりと残念な奴(ポンコツ)だということを知っていた。中学から数えて、同じクラスになるのも高校2年の現在で3度目。  富石が残念な奴(ポンコツ)なのは、その特異な『人を見る目』が原因であると思う。昔、我が家へ遊びに来たときに俺の妹に一目惚れし、その場で告白をした挙句、ひどく嫌がられて撃沈したというエピソードもある。  モテるくせに、俺の妹のようなクセのある子がお好みのようだ。  ちなみに彼女は生意気で勝ち気。人をからかった言動も多い愚妹だ。しかし、富石の目には『気弱で自分の意見を言えないような奥ゆかしい女の子』として、好意的に映るらしい。  そんな変わった感受性を持つ富石が妹にフラれた時、これでもかと言うほどボロクソにけなされていたのは言うまでもない。  しかしながら、俺は外見の面で富石に劣っている。イケメンと言うよりは中性っぽくて、おまけに背も低いことから、女子からの評判はイマイチ。モテた思い出などはない。ゆえに『コイツには負けたくない』といった対抗心が少なからずあった。 「今日こそ勝つぜ!」  富石が無駄に大きく声を張り上げて、俺と拳同士を合わせた。それから、最初はグーと言ってから手を振りかぶる。 『うふふっ。今日もやるのねー、くっだらない勝負を。まあ、いいわ。教えてあげる。彼が出すのはパーよ』  例によって一瞬、視界が暗くなると甘い悪魔の声が聞こえてくる。とはいえ、俺にしか聞こえないのだが。 「ジャンケンポン!」  声の通り、彼はパーを出す。もちろん、俺はチョキを出して勝ちに行く。 「うっひゃー。また負けかよ……」 「お前が弱いんだよ」 「くっそー。次は負けないからな!」 「じゃあ。タマゴサンドとメロンパンとコ-ヒー牛乳よろしく」  細やかな勝利を喜びながら、俺は富石に500円玉を渡す。それを奪うように受け取ると、彼はそのまま教室の外へ出て行った。次の瞬間、再び視界が暗くなる。 『彼は廊下で走ってきた女子とぶつかるわ』  悪魔の囁き。いや、忠告か。 「怪我するわけじゃないんだろ?」  富石は身長が180cm超えで、サッカー部所属。女子とぶつかったくらいで負傷するとは思えなかった。 『ええ』 「じゃあ、俺が何かする必要はないな。その後は?」 『あなたがこの席から動かないのなら、たいしたことは起きない』  ラプラスは未来を予測してくれる便利な存在である。だが、いつでもその未来を教えてくれるわけではない。  よくは分からないが、発動条件のようなものがある。、その1つが『相手と接触すること』。ジャンケンの前に『拳を合わせる』という行為があったために、富石の未来を予測できたのだ。  この接触は肌と肌がぶつかる必要はない。上半身であれば、例え洋服越しでぶつかっても発動する。何かを媒介して相手と繋がることが条件のようだ。  ちなみに下半身では無効となるらしく、足を通しての地面は媒体しない。まあ、その程度で発動するならば全人類の未来が予測できてしまうから(いささ)か、面倒なのだが。  また、この悪魔の未来予知で俺自身の未来を正確に見ることはできないらしい。あくまで接触した相手が関わる未来を予測できるということだ。  だからこそ、朝はぶつかってきた女子生徒との未来を予測でき、俺の行動の変化によって相手の未来が変わったわけだ。  ジャンケンも同じ理屈である。  逆に、誰かと接触しなければ俺は未来を知ることもできないし、仮に接触してもその相手に関連した俺の未来しか変えることはできない。  俺単体で未来を知り、それを変えられないのが最大の欠点である。  悪魔との会話タイムが終わった瞬間、時は正常に流れる。周りは光を取り戻し、生徒たちの動きも通常のものとなった。 「よう。相変わらず連戦連勝だな」  クラスメイトの斉藤(さいとう)(あらた)が俺の席の近くで立ち止まった。こいつは2年になって知り合っただけだが、最近は俺に対していろいろと話しかけてくる。  とりたてて特徴の無い平凡な顔ではあるが、女子の間では優しげな美形と密かに人気があるようだ。さらに、よく色恋沙汰の相談をされるという謎の信頼感があるらしい。 「まあな」 「おまえは相手の行動を読む能力に優れている。なあ、やっぱおまえは棋士を目指すべきじゃないか?」  こいつがこんな話をしてくるのも、一度だけこいつと将棋を指したことがあるからだ。斉藤は将棋部の部長でそれなりの腕前だ。そんな相手に俺は勝ってしまった。  もちろん、何かの拍子で斉藤の身体に触れた瞬間に悪魔が目覚め、例の能力が発動してしまったからだ。もちろん、使わない手もあったが、負けず嫌いの俺は思わず勝つ方向で悪魔の能力を使ってしまった。  ゆえに俺の実力で将棋に勝ったわけでない。今思えば、やめておけばよかったと後悔している。  おまけにラプラスは、斉藤がここまでしつこく勧誘してくる未来は教えてくれなかった。もちろん、聞けば教えてくれたかもしれない。なにしろ、未来のすべてを演算(シミュレート)できる悪魔なのだから。  重要な件は『警告』という意味で向こうから教えてくれる。だが、差し障りのない未来をいちいち俺に教えていては、こちらはそれを延々と聞き続けなければならなくなる。そうなったら、俺は一生、停止した時間の中で未来予知を聞く生活を送る羽目になるだろう。  いくら疑似的に時が止まった状態で会話をしているとはいえ、精神的に俺が耐えられるわけではない。自分以外の人や物の流れが全て静止した空間に居続けることは、どうにも気持ち悪かった。  ゆえに『なるべく重要な件しか教えなくていい』と予め言ってあるのだ。しかしながら、ラプラスは気まぐれなので『重要な件』というのがひどく曖昧だ。  斉藤がしつこく絡んでくる件のように、『教えて欲しいこと』を教えてくれなかったり、富石が廊下で女子にぶつかるという『どうでもいいこと』を話してくる。困ったものだ。  さらに説明するなら、この悪魔は正解を教えてくれない。  あくまで自分で答えを導き出さなくては、未来を思い通り変えることはできないのだ。悪魔が行うのは未来予知と俺の行動の演算(シミュレート)なのだから。 「あんまり将棋は興味ないんだよ。それより俺はeスポーツの方がいいけどな」  斉藤には無難に返答を返す。  嘘は言っていない。将来プロゲーマーになりたいとは思わないが、現状では将棋よりも興味の持てそうな趣味である。  さらに言えばたまに友人とゲーセンにいって、対戦ゲームなどもやる。  しかし、それほど強いわけではなかった。他人と接触できず、ほぼネットワーク対戦なのだから、悪魔は起動せず未来予知の能力が使えるわけがない。  誰にも触れなければ、俺はただの凡人である。  そして、凡人の誰もが持つ思考こそが、俺の最大の武器であった。それは名も知れぬ恩人ゆずりのもの。  昼食も食い終わって富石とくだらないことで談笑していると、後ろから声を掛けられる。 「土路クン」  柔らかなソプラノヴォイス。高まる鼓動を必死に抑えながら、声の方に振り向くとそこにあるのは天使の笑顔。  セミロングのゆるふわな髪にくりっとした大きな目。なんとなく上品さを感じる口元。俺にとってはそれはもう、天使としか喩えようがない。  笑顔の主は俺のいる2年3組のクラスメイトの厚木(あつぎ)球沙(まりさ)。俺が絶賛片思い中の麗しき天使である。  まあ、絶賛○○中という使い方が間違っているのは知っているが、思わずこう言いたくなるほど、俺は彼女に惚れ込んでいたのだ。 「これ、ありがとね」  麗しの天使である厚木さんが持っているのは、俺が昨日貸した文庫本。 「あれ? もう読んだんだ」  彼女とは同じ図書委員で1年からの顔見知り。当番で受付が一緒になった時、意気投合してからは本の貸し借りをする仲となっている。  初めて会った時は驚いたものだ。なにしろ、俺が中学の時に出会った恩人に瓜ふたつでもあったのだから。  顔が似ているだけならよくある話ではあるが、恩人の付けていた特徴的な髪留めも全く同じ物であった。あとで調べたが、量産品らしいので偶然なのかもしれないけど。  もちろん本人かもしれないと思って聞いたことがあるが、俺と会ったことなどないと言っていた。4年前のことなので、そうそう忘れないだろう。  そもそも今の厚木さんと、あの悪魔と名乗った少女とでは性格があまりにも違いすぎる。厚木さんは慈愛に満ちあふれた天使だが、あの悪魔の恩人は冷徹な策略家だった。  さらに「出会った恩人は双子の姉妹かもしれない」と思って質問したこともある。だが、即座に否定された。  そして俺は、未だに命の恩人とも言うべき悪魔を捜し当ててはいない。 「うん。面白かったよ。いえ、崇高だったわ」  俺の本を抱えてうっとりと斜め上を見上げる。というか、俺が貸した本って百合もののラノベなんだけどな。 「先が気になって寝れなかったんだろ?」 「いえ、寝れなかったんじゃない。私の脳が物語を欲し続けたのよ。そう、例えるなら、酒神バッカスの巫女、バッカンテが溢れる盃のワインを飲み干すように」  えっと、俺、厚木さんが何を言ってるのかがわからない。 「あはは……気に入ってもらえて光栄だわ」  顔はめちゃくちゃかわいいし、性格も気さくで優しいし、根は真面目なんだろうけど、時々変なスイッチ入っちゃうんだよね。  まあ、そこが愛らしい部分でもあるんだけど。 「これはまさにバイブルよ。一字一句脳内に刻み来ないといけない。土路クン、こんな崇高な物語を教えてくれてありがとう」  目をうるっとさせながら俺に本を差し出す厚木さん。まあ、彼女の言動がどこまで本気なのかはわからないけど。 「……あれ!?」  本を受け取るその瞬間、時の流れが遅くなっていったのだ。彼女と間接的に繋がったことで例の悪魔が起動してしまったようだ。 『また未来を演算し直す?』 「やるに決まってるだろ。俺はあれくらいじゃ諦めない人間だ」  俺はこのやりとりを幾度繰り返したことか。 『あんた、相変わらず諦めが悪いわね』 「そういう性分なんでね」  ラプラスが勧める演算とは、俺と厚木さんがどうやれば付き合えるようになるかだ。  彼女に片思いしている俺が、この悪魔のチート級ともいえる能力を使わないわけがない。  ところが、その強力な能力を使用しても、未だに彼女と付き合える方法が見つからなかった。  未来予知がチートでも、どう行動するかは俺自身の能力に関わってくる。解決には現実的な方法を提示しなければならない。  さらに俺は、彼女と付き合うことがほとんど不可能ということもわかっていた。  それには厚木球沙という少女が抱える、ある重大な秘密が関係しているのだ。
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