第4話「初めて知った恋なのです」

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第4話「初めて知った恋なのです」

 時間がゆったりと通常に戻る。だが、この『通常に戻る』までの間はわりと緩やかに流れることも多い。未来予知が確定するまで時間に余裕が無い日には、この遅い時間の流れの中で行動を起こすことも大切だ。  ぶつかっていった最初のガキは、バランスを崩しつつもそのまま走り抜けていった。  まずは自分のよろけた身体の建て直し。  左足を引いて体制を安定させると、その勢いで厚木さんの位置を左にわずかにズラす。そして右肩を掴んでいた左手を放し、その手で彼女の持つエコバッグをひったくるように掴むとすぐに放り投げる。 「え?」  彼女が驚いたのと同時に追加のガキがぶつかってくる。空いた左手で厚木さんの左腕を掴んだ。  同時に厚木さんの左肩を掴んでいた俺の右手も離し、その手で、はね飛ばされそうになるガキの手を必死で掴む。タイミングは悪魔の演算済み。遅すぎても早すぎても事態は好転しない。 「よし!」  絶妙のタイミングでガキの手を掴んで引き寄せるも、厚木さんを掴む左手は外れてしまう。さすがに二人も支えきれるほど俺に力があるわけではない。ただ、これも演算通りの展開。  俺の直前までの動作で、彼女が倒れ込む方向を誘導できたのだ。  支えを失って倒れ込む厚木さんの頭部には、先ほど投げたエコバッグがクッションとなる。  こんなの事前に知っていたとしてもかなりの神がかりな技だ。  けど、演算通りに行動すれば結果は100%確定するものだ。俺は自信を持って自分の行動を完結させた。  ほんの数秒の時間の中で、物理法則に従ってそれぞれがそれぞれの場所に落ち着いた。  厚木さんは倒れ込むもののエコバックのおかげで頭部強打は避け、はね飛ばされるはずだったガキは、俺が必死で掴んだおかげで尻餅程度で済む。  その横を巨大なトラックが通り過ぎていった。  ガキはこの車に轢かれるはずだったのか――。  背筋がゾッとする。 「厚木さん。大丈夫!?」 「……う、うん。まあ……けど、驚いたなぁ」  転んでいた厚木さんがひょいと立ち上がる。わりと元気そうに見えた。  よし。これなら怪我はないようだな。というか、ラプラスの未来演算で彼女が怪我をしない選択を選んだのだから大丈夫なはず。  そして、目の前にはきょとんとしているガキ。その顔を見て、なんだかムカムカしてくる。  こいつがすべての元凶だ。 「おい! 狭い歩道で走り回るな。もしおまえが車道に飛ばされてたら死んでたんだぞ。あと、ぶつかったこの人に謝れ!」  俺は厚木さんを指差して、ガキを怒鳴りつける。 「ごめ……ごめんなさい……」  そう謝ったのはいいが、その直後に『わーん!』とベタな感じで泣き出す始末。強く言いすぎたか。 「おいおい……」  突然、厚木さんが悲鳴のような声を上げる。 「うわちゃー!」 「どうした?」  苦笑いをする彼女がエコバックの中をこちらへと見せる。そこにはパックの中で割れた卵がいくつか。あと、紙袋に包まれていたであろう焼き芋がつぶれかけて顔を出していた。  まあ、こいつらのクッションのおかげで彼女の頭部は守れたのだ。だがそれでも、事前に相談もなしに食材をダメにしたのだからきちんと謝罪すべきだろう。 「ごめん。厚木さん」 「え? なんで謝るの?」 「だって、俺が余計なことをしなければ卵とか無事だっただろうし」 「あー。やっぱり、あの時の行動って土路クンが意図的にやったんだ。でもさ、そのおかげでわたし、怪我なかったよ。ありがとう! あの子も無事だったみたいだし」 「そうだけど、やっぱし食材無駄にしちゃって悪いなぁって」 「いや土路クン。卵はね……割れる物なんだよ。腹筋だってそう。割れることは悪いことじゃない」 「……」  は? えっと、どういうこと? 「割ることは自然なんだよ。薪を割ることもそう。割り算だってそうでしょ?」 「あ、はい」  無理矢理納得させられる。というか煙に巻かれるって、こういうこと言うんだなぁと。  まったく笑えないから、本人はギャグで言ってるわけじゃないと思うんだけどさ。 「だから、大丈夫だよ。これ魔法の言葉なんだから」  その時の笑顔を俺は忘れない。俺を責めるわけでもなく、ポジティブに変換する。彼女が凄いのはこれだけではなかった。 「弁償するって」 「だから、大丈夫。卵は割れる。芋はつぶれるの。でもね、わたし思いついちゃった。卵が割れたならすぐ使えばいいじゃんって。これは料理の神が与えた、わたしへの試練なんだって」 「使うって……」 「だからね。家に帰ったらスイートポテトを作ろうと思うの。焼き芋も、ほどよく潰れてるしね。球沙(まりさ)特製即行スイートポテト……えへっ!」  そうして、またニカっと笑った。その笑顔は俺的には天使と表現してもいいほどだった。 「あと、そこで泣いている男の子。怪我はないんでしょ?」 「……ぐす……ぐす」 「お姉ちゃんは大丈夫だから、もう走っちゃダメだよ」 「……ぐす……うん」 「もう泣かなくていいから」 「……ぐす……ぐす」 「しょうがないなぁ。お姉ちゃんがとっておきのもの見せてあげる」  そう言って彼女が見せたのは、変顔だった。白目を剥きながら両手で口を広げて、お笑い芸人のように笑いを誘う。 「おらあああああ!! 泣いてる子はどこだああああ!!!」  思わず吹き出してしまった。それはガキも同じである。 「ほら、笑った。気をつけて帰ってね」  素に戻った厚木さんは優しそうな顔でガキを見送る。 「厚木さん……可愛い顔が台無しじゃん」 「土路クンも笑ったからそれでいいよ」  彼女はとても満足そうに言った。その優しげな表情をずっと見ていたいとも思う。それは、もしかしたら俺が初めて知った恋という感情だったかもしれない。  **  次の日の放課後、委員会の当番のために図書室へ行き、荷物を置くために準備室に入ったところで中にいた厚木さんと目が合う。 「おはくま! 今日の当番は土路クンとだったんだね」  ぱっと花が咲くように彼女が笑った。それだけで鼓動が高鳴る。今まではそれほど意識していなかった厚木球沙という存在が、俺自身にわずかな変化を加えていく。 「身体は大丈夫か? ああいうのって後から後遺症が出たりするから」  すでにラプラスから『問題ないよ』と説明を受けているので改めて聞くほどのことではないが、とっさに彼女の身体を心配してしまう。 「だいじょーぶ、だいじょーぶ! あ、そうだ。土路クン、これあげる」  彼女からの手の平サイズの黄色い袋を手渡された。バレンタインとかで女の子がチョコを渡すときのようなかわいらしく包装されたもの。思わず息を呑む。 「え?」 「ほら、昨日の割れた卵と潰れた焼き芋で作ったスイートポテトだよ」 「ああ、あれか……ありがとう」  苦笑いする。割れた卵で本当に作ったんだなぁと、感心した。 「お礼はいいよ。土路クンさ、気にしてたみたいだから、責任とって食べてもらおうと思ってね」  卵が割れたのは俺が彼女のエコバックをクッション代わりになるように仕組んだから。彼女はその行為を責めるどころか、俺に対して感謝していた。  けど、肝心の俺が気に病むようなこと言ったから、厚木さんは気を遣ってくれたんだと思う。  彼女は基本的に優しい。  『優しい』という一言で表せないくらい厚木さんは『良い子』なのである。彼女と同じクラスの知人から話を聞いたところによると、彼女は『誰も傷つけない天使』と密かに呼ばれているらしい。一方、対する俺は『冷徹な策略家』だ。  そんな彼女に惚れてしまうことは、果たして幸せなのか――。  考えれば考えるほど、疑問が湧きあがってくる。 「責任って……」  苦笑いを笑顔に変えられないまま、それを受け取る。袋が俺の手に触れた瞬間。悪魔が再び起動した。 『見かけ上は好感度MAXだね。けど、今のままだと彼女との仲を進展させることは無理』  そりゃそうだ。厚木さんは俺のことをほとんど知らない。彼女はかわいいし、性格もいいし、こんな女の子と付き合えたら。そんなことも考えてしまう。 「もしかして、誰かと恋人になれるかどうかも演算できるの?」  俺はこの時、期待を込めてそう聞いたつもりだった。いつもは危険回避ばかりだから、そんな使い方もできるのかと感心しつつ心が躍る。  ところがラプラスの答えは思っていたのとは違っていた。 『うん。本来はあなたの行動しだいだけどね……人の心は難しいよ』  いつもははっきりと『思考して正解にたどり着けば未来は変えられるよ』と自信満々に言うラプラスが、めずらしく口ごもる。 「ん? まあ、いいや。いつものように俺の行動結果を演算してくれ」  そうして、体感時間にて半日……いや、下手すると1日以上思考していたかもしれない。  だが、すべての演算結果は俺と厚木さんの仲を進展させるものではなかった。 「俺、もしかして、実は嫌われているとか?」  これだけ考えて付き合えないとなると、そんな風にネガティブに考えてしまう。 『それはないんじゃない? あんたといる厚木球沙はわりと楽しそうな顔してる。ま、あたしは人間の深い感情までは読み取れないけどさ』 「じゃあ、どうして俺はあの子と付き合えないんだよ」  珍しくラプラスが沈黙する。それはほんのわずかな時間に過ぎなかっただろう。だが、暗闇での会話だけの時間では、一瞬の沈黙でさえ俺の心を不安にさせる。 『あんたには厚木球沙の未来を少し見せてあげる。それで理解するなり諦めればいいと思う』 「なんだよ。そのはっきりしない物言いは。まあいいや見せてくれよ」  返答の代わりに、俺の脳内にイメージが入ってくる。それはこの学校の廊下だった。  その廊下を厚木さんが歩いていた。  彼女は1年2組の教室の手前で止まる。中には一人の少女が窓際で何か書き物をしていた。  窓からは夕陽が差し込み、教室内をセピア色に染め上げ、少女の髪がキラキラと太陽光に反射する。  その横顔をじっと見つめる厚木さん。何分も、何十分もそれを見つめている彼女の顔はとても優しい。俺が見ていた彼女の優しさとはまったく違う表情をしている。  それは愛しい人を見る視線。 『彼女の名前は高酉(たかとり)亞理壽(ありす)。厚木球沙とは中学からの親しい友人よ』  再現モードが終わり、再び暗闇の世界へ戻る。 「まさか?」 『そう、厚木球沙が好きなのは高酉亞理壽。厚木球沙はたぶん、女性同性愛者(レズビアン)なのよ』 「ははは……」  乾いた笑いしか出てこない。  俺は、告白することもなく失恋をしたのだ。それも断られたとかそういう、わずかな希望を持てるような次元ではない。  絶対に彼女とは付き合えないという、トドメを刺されてしまったのだ。  俺にはもう、どうすることもできない。ならば……。 「教えてくれ」 『なに?』 「厚木さんは、高酉って子が好きなんだろ。その……うまくいくのか?」  彼女の幸せを願うならそれもアリかなと、諦めかける。 『ううん。今から300日後に厚木球沙は告白をするけど、高酉亞理壽は彼女の気持ちを拒絶するわ』 「高酉ってのはノンケ……つまり異性愛者(ヘテロセクシャル)ってことか」  つまり、人類の9割近くを占める性的マジョリティ。今の時代『普通』という言い方はいろいろと問題があるが、それでも大多数の人間がこちら側なのだ。 『そうよ。だからこそ結果は見えていた。さらに、周りの同性愛者への無理解とフラれたことによる絶望で厚木球沙は自殺してしまうの』  300日後に起きる悲劇(バッドエンド)。  おいおい……惚れた子の最後が、そんな風になるなんて残酷すぎるじゃないか。  でも……と、同時に考える。ラプラスの未来予知は俺の行動によって変えることができると。  時には運命さえも変えてしまえる。 「だったら、俺がなんとかする。俺の行動でバッドエンドを回避してやる。そうだ、俺が幸せにしてやればいい!」 『彼女はたぶん女性同性愛者(レズビアン)よ。異性のあなたと付き合えるわけがない』  俺が完全に部外者だというその言葉を、素直に認めるわけにはいかなかった。 「厚木さんが女性同性愛者(レズビアン)って確定なのか? おまえ、人の心はよくわからないって言ったじゃん。両性愛者(バイセクシャル)の可能性だってあるじゃん」  半ば強引な理屈だという自覚はある。しかし、最後まで可能性を捨ててはいけないという思いもあった。 『そりゃそうだけどぉ』 「俺にだってワンチャンあるよ。それに、彼女の心を救うことができるなら、別に付き合えなくたっていい。彼女の幸せが俺の幸せに繋がるんだよ!」 『はあ。青臭いわね』 「いいだろ。青春真っ盛りなんだから。同世代の冷めたクソ野郎と一緒にすんな!」  あんな天使な彼女を救えるなら、俺みたいな冷徹クソ野郎も生きてた価値があるというものだ。 『あんた、策略とかは冷徹なのに、妙に熱いところがあるからね』 「悪かったな。けど、覚悟は決まったよ」 『あきらめないってことね』 「そういうこと」 『じゃあ、またね』  時間が戻る。光を取り戻した世界には、天使のような笑顔の厚木球沙がこちらを見ていた。  “この笑顔を守りたい”  そんな言葉を自分が本気で思うようになるとは。  そして、その道のりはけして容易ではない。  だが、俺には未来予知を行える悪魔と、冷徹クソ野郎的に策略を考えられる思考がある。  諦めるな! 思考を停止するな! 彼女を幸せにするために、最後の最後まで足掻き続けるんだ!  そして、ハッピーエンドルートにたどりついてやる!
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