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第5話「バッドエンドは回避するものです」
俗に言う“スクールカースト”というものが本当に存在するなら2年3組、つまりうちのクラスは、わりと複雑な序列が成り立っていると思う。
クラスの頂点である生徒といえば、学級委員長の案山結子。1年時において学年トップのテスト結果の実績あり、容姿も美人系の顔立ちとなれば、その周りにはおのずと人が集まる。
クラス最大のグループが彼女の周りに形成しつつあった。
「ハナは、もうちょっと語学に力を入れるといいと思うよ」
「うんうん、ユイコの言う通りだよ。英語、もうちょっと頑張れるよね」
「ね、あたしはどうしたらユイコみたいに数学も好きになれるの?」
「今度教えてあげるわ。そうね、私のうちで勉強会でもやりましょう。母がいい茶葉を手に入れたみたいなの。おいしい紅茶をごちそうするわ」
「じゃあ、あたしビケルンのショートケーキ持ってく」
教室の真ん中でお喋りに華を咲かせている彼女らは、現在のところクラスで最も目立つ集団である。ただ、案山たちが一番なら、二番手のグループが誰なのかというのは定まっていない。
クラス内にいくつかのグループは存在するが、それらは互いに牽制し合う関係にあったのだ。自分達こそが上になろうと、大奥もびっくりの権謀術数が駆使されていたのだ。
ところが、ダークホースの存在が良い意味でクラスのカースト制度をかき回している。
その名は厚木球沙。
俺の片想いの相手であり、同じ図書委員で、そこそこ仲の良い友人でもあった。
ちなみに、この『そこそこ仲の良い』というのは、クラスの半数以上の生徒たちと同じ扱いである。
「なに勘違いしちゃってるの? ちょっと話しかけただけじゃん。あなたなんてただの顔見知りよ」
そんなツッコミを浴びせられてもおかしくはないだろう。
彼女は、誰とでも分け隔てなく仲良くなることができる。
しかも、クラス内では取りたてて何かグループを形成しているわけでもなく、一緒に行動するのは1組の高酉亞理壽だけであった。
ゆえに、カースト制度に縛られることなく、クラス内での厚木さんの影響力は高い。
どのグループにも属していないのに、発言力があるという特異な存在なのだ。時に学級委員長の案山さえ凌ぐ勢いもある。
2年になってまだ1ヶ月も経ってなく、序列の形成がまだ確定されていないというのもあるだろう。
もちろん、厚木さんもクラス全員と仲が良いわけでもなく、彼女を天敵としているグループもある。
「ごめーん、土路くん。そこどいてくれるとありがたいかな」
教室の出口近くの席に座る水口と好きなWEB小説の話で盛り上がっていると、甘えたようにクラスメイトの志士坂凛音が声をかけてきた。
志士坂は肩より少し上の短いツインテールで、目尻がきゅっと跳ね上がってる感じの猫っぽい顔。まさに『小悪魔系』とでも喩えたところか。
たしかに、出口付近で談笑してたのは邪魔だったかもしれない――。
心の中で反省の弁を述べると、俺はひょいと位置をずらす。
志士坂と、彼女の取り巻きである津田朱里と南陽葵と連なって『ごめんねー』と言いながら脇を通り抜けていった。その瞬間わずかに、舌打ちと共に小声が聞こえてくる。
「うぜー」
彼女たちの本性は、多少の観察力があれば気付く者も多いだろう。
もともと弱い者に対して見下す傾向がある。かと思えば人気者や優れた者への媚びや嫉妬も強かった。
ゆえに志士坂は、厚木さんへの対抗心と嫉妬はクラスでも随一だと言っても過言ではない。まあ、一方的に天敵と決めつけている節もあるが。
だからこそ、彼女は俺の中では要注意人物だった。できれば関わらずに学校生活を送りたい女子の一人である。
「志士坂さんってかわいいよね」
出口で志士坂とすれ違ったであろう富石が、後ろ髪を引かれるように彼女の姿に見とれていた。
富石のように表の顔しか見ようとしないのであれば、彼女の奥底に広がる闇には気付かないのだろう。だからこそ、こいつはポンコツなのである。
「どこが?」
不快を露わにしないように、抑え気味に富石へと問いかけると、奴はにやけたままの顔でこう答えた。
「なんつーか、奥ゆかしいかわいさかな?」
「は? おまえ、頭にウジ沸いてるのか? 容姿はまあ、それなりにかわいいかもしれんが、どう考えたって小悪魔系だぞ」
「えーそうかなぁ? 俺は素の彼女はもっとかわいいと思うぞ」
志士坂に関しては、あまりいい噂を聞いた事が無い。1年の時も孤立した子や弱い者への嫌がらせやイジメを行っていたという話を耳に挟んだことがある。奥ゆかしさとは対極の人間だろう。
俺のように常に情報を収集している人間と違って、そういうことに無頓着なのも富石のポンコツさだ。
志士坂に関していえば、悪い噂は聞くものの厚木さんへの直接的な攻撃はない。俺としてはまだ許せている。
彼女に危害が加わらなければ他の子がどうなろうと構わない。それが俺のスタンスだった。まあ、そもそも正義の味方ですらないのだが。
とはいえ、5月に入って連休が過ぎるといよいよクラスの中でも序列が決まり始める。人間関係が強く固定されるのは4月中のここ数日がヤマであろう。どのグループも最後の足掻きを始めるのだから。
「厚木さーん」
昼休み、志士坂が鼻にかかるような甘ったるい声で厚木さんを呼び止めた。
「なになに、志士坂さん」
邪気のない笑顔で近づいていく厚木さんを、俺は複雑な表情で見守る。志士坂の本性に気付いている俺としては、厚木さんに何か悪さをしないかと心配だった。
「DikDokって知ってる?」
「うん、流行のアプリでしょ」
DikDokはたしか某国製のショートビデオに特化したSNSアプリである。芸能人も使っていることから、うちの学校でも生徒の間で大人気だ。
たまに廊下で動画撮影をしていて教師に叱られることもちょくちょくあった。
「面白い動画のアイディア思いついたからさ、厚木さんに手伝ってほしくて」
「ね、時間あるでしょ?」
「一緒に撮ろうよ、面白いよ」
志士坂たち3人の笑顔が演技であるのは、俺からしたらバレバレである。心の中では厚木さんに『とっとと断ってくれ』と祈るばかりであった。
「うん、いいよ!」
カラッといつものように軽く返事をする厚木さん。
マズいな。厚木さんに触れることができないからラプラスの未来演算ができない。何を仕掛けてくるのか予想がつかないのが不安だ。
かといって、今止めに入るのも不自然だろう。
「じゃあさ、厚木さんはこの歌知ってる?」
と、志士坂のスマホから曲が流れてくる。これは一昨年流行った、とある柑橘系の果物がタイトルの歌だったな。
アーティストはたしか、国産動画サイト出身の人だと聞いたことがある。当時はカタカナ二文字で活動していたと思う。
「うん、わたしこの歌好きだよ」
「この曲に合わせて踊ろうと思ってるの。で、厚木さんには歌い手を担当して欲しいなって思って」
「いいよ。歌うの好きだし」
厚木さんは、ハンディカラオケのような機械を津田から渡される。南がスマホを机の上において、準備を始めた。
DikDokという単語が耳に入ったのか、半分くらいのクラスの奴らは厚木さんたちに注目し始めた。
厚木さんが歌い出す。
彼女とはカラオケにいったことがないので、どんな歌声なのだろうかと期待が高まる。
嫌がっている素振りもなかったのだから、まさか音痴というオチはないだろうと思っていた。
が、実際に厚木さんが歌い出すと、スピーカーから増幅された声はボイスチェンジャーで甲高く変声されたものだった。
まるで機械が歌っているような不自然な声。少し前に流行ったVOCALOIDのように。
一瞬、クラス全体が静まりかえる。が、すぐに大爆笑の渦。
志士坂たちも『してやった!』と言わんばかりに笑い出した。厚木さんに恥をかかせるパターンか。これはやられたな。
助け船を出すべく俺は身を乗り出そうとしたが、厚木さんは首を少し傾げて指定された曲でないものを歌い出す。
それはたしか、ボカロ系全盛の時にカタカナ二文字で活動していたアーティストが作ったものだ。
もう10年以上前に遡るが、小学生の間でも当時からその国産動画サイトは知られていたので、そのアーティストの素人時代の曲を知っている者も多いだろう。タイトルはロシアの伝統人形の意味で使われていたと思う。
その当時は素人というか、『○○P』という呼び方だったんだっけ。今はオワコンである国産動画サイトの全盛期のものだ。
曲の懐かしさと、ボイスチェンジャーで変声された歌が独特の機械合成音声っぽく聞こえたので、ものすごくマッチする。
教室のあちこちからは、「おー」とか「すげー」とか「なついな」とか感心する声が上がっていた。そして教室内は異様に盛り上がる。
志士坂たちの思惑とはかけ離れた展開。厚木さんは笑いものにされるどころか、みんなの賞賛を浴びていった。
まったく大したものである。厚木さんは。下手な策略に頼らずとも、ネガティブなものをポジティブへと変換する能力。
ほっとしたのもつかの間、志士坂さんたちの目からは、厚木さんへのあからさまな敵意が感じられる。
貶めようとした相手が、逆に皆の賞賛を浴びてしまったのだから。
その感情が理解できなくもない。が、同情する気もなかった。
これはひと雨……どころか嵐が来そうだな。
**
「あれ? どこいったんだろ?」
昼休みが終わり、教室に戻ってきた厚木さんが自分の席で声をあげる。
「どうしたの? 厚木さん」
近くにいたクラスメイトの子が彼女を心配するように反応した。
「今日さぁ、午後から雨だって予報だったじゃん。だから、折りたたみの傘を持ってきたはずなんだけど、ないんだよね」
「そういえば、マリサ、朝言ってたもんね」
「困ったなぁ、もう雲がどんよりしてきてるよ」
窓から外を見ると、今にも降り出しそうな黒い雲が空を覆っていた。
「あれ? これ厚木さんのじゃない?」
クラスの男子、陣内の奴が教室の隅で厚木さんを呼ぶ。その手にはピンク色の地に水玉模様の折りたたみ傘が握られていた。
「あ、それわたしのだ」
「ゴミ箱に突っ込んであったんだけど」
「うーん、きっと間違って落ちちゃったんだよ」
厚木さんがカラッと笑う。けど、どう考えても状況がおかしいぞ。
陣内も不審に思ったのか「間違って落ちるもんじゃないでしょ」と反応する。
「見つかったんだからいいよ。ありがとね。陣内クン」
「厚木さんの役に立てたなら良いけど……」
陣内は耳を真っ赤にしてそう答えた。ま、あいつも厚木さんの気さくさに勘違いして惚れている奴の一人である。
それをいうなら、俺もただ勘違いしているだけの男なのかもしれない。
そんなことより、折りたたみ傘の件だ。あれは不審というより、確信に近い物を感じている。状況証拠からすればあきらかに嫌がらせの部類。
まあ、犯人はだいたい分かっているんだけどね。
次の日の昼休み。
富石とのジャンケンにわざと負けた俺は(斉藤がうざくなってきたので)、購買部へと昼食を買いにいくために廊下へと出る。その入り口付近で女子生徒の集団とぶつかった。といっても、ぶつかったのは真ん中にいた女生徒だけだ。
「ちょっと! 何ぶつかってるのよ」
「そうよ。凛音を怒らせたら怖いんだからね」
両脇の女生徒、津田と南が俺を見上げてぎゃんぎゃん喚いてくる。時々この二人はどっちが津田でどっちが南だかわからなくなる。両方とも似たような性格だからだ。
見分け方としては、ミディアムへアで前髪がオン眉なのが津田で、斜めバングでおでこをだしているのが南だ。
オンザの津田に、デコの南と覚えればいいな。
「ん? ああ、悪い」
なんだ? と思ってその中心にいる志士坂凛音を見ると、わずかに視線を逸らされながら「気をつけなさいよね」と、トーンを低めに言ってくる。
あれ? 怒ってるんじゃないのかよ?
その瞬間、悪魔が起動した。
『このままだと志士坂凛音は厚木球沙に大けがを負わせることになるわ』
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