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第52話「二重奏の協演です」
「戻れるか?」
しばらく高酉を落ち着かせてから、俺は頃合いを見計らってそう問いかける。
「うん」
彼女がそう言ったので歩き始めた。こちらの後ろをしょぼんとした様子で付いてくる。そのまま止まってしまうのではないかと心配して、何度か振り返った。
テラスからモール内に入って、厚木さんたちと合流するためにエスカレーターに乗ろうとしたときのことだった。
「きゃ!」
後ろから高酉が短い悲鳴が聞こえる。そちらを向くと、彼女が尻餅をついて倒れていた。
「どうしたんだ?」
「誰かがぶつかってきて……ああああ!!!! あたしのバッグがぁああああ!!!!」
そういえば、高酉が持っていた手提げバッグがない。
俺は周りを確認し、不審な者を探す。すると、モール内を全速力で走って行く男の姿が見えた。ひったくりか。
――ゴラァ、待てぇえええええ!!
心の中で叫びながら俺も全速力で駆け出していく。が、距離が空いているのですぐには追いつけない。このまま角を曲がられたり店舗に入られると見失ってしまう。
なんとか追いつかなくては。そう焦りが出始めたとき、前を走っていたひったくり犯が奇妙な動きをする。
前方宙返り……じゃない、その横を歩いていた女性がひったくり犯の足を引っ掛けて綺麗に転ばしたのだ。
背中から落下した彼は、息が出来ないらしく床で悶えている。まあ、一時的なものだろう。モールの床は柔らかめなので、致命傷になることはないはずだ。
俺は近寄ると、ひったくり犯から鞄を取り戻し、助けてくれた女性へとお礼を言う。
「ありがとうございました。助かりましたよ」
「たいしたことじゃないから、お礼はいいわよ。あれ? キミ、男の子?」
いつも通りの低い声で喋ってしまったので、すぐにバレてしまう。
「あ、ちょっと事情がありましてこんな格好してるんです。決して変質者の類ではありません。なので……できれば、周りにはバレたくないんで内緒にしててもらえます?」
「ええ、それはいいわよ。それより警察呼んだ方がいいかもね」
女性は俺よりも頭一つ低いくらいの身長で、黒髪のセミロング。黒目がちな大きな瞳で幼げな顔立ち、一瞬俺と同じ高校生くらいかと思った。が、服装や身のこなしからして、俺よりも大人であろうということが想像付く。
「……痛っ!」
「腕を折られたくないなら、逃げようとしないことだね」
俺が女性に気を取られている間に、犯人が逃げようとしたのだろう。それを止めるために、助けてくれた人と一緒にいたもう一人の眼鏡の女性が、犯人の腕をねじ上げていた。
「プレさんの場合、逃げなくても折りそうだけどね」
女性が苦笑いをしている。彼女もわりと強そうに思えるけど、もう一人の眼鏡の女性は、それに輪を掛けて凶暴なのだろうか。でも、わりと物静かなタイプにも思えるのだが。
「昔、不覚をとったからね。ひったくり犯にはかなり怨みがあるのよ」
「そういえば、あの時もわたしが助けたんだよね」
「そのことに関しては感謝しているから」
ぼんやりと女性たちの和やかやりとりを聞いている……場合じゃなかった。
俺はスマホから110番通報をして、警察を待つことにした。助けてくれた女性も、犯人を確保してくれている女性も残って証言してくれるそうだ。
「やっとおいついたぁ」
そんな中に高酉がようやく加わる。胸を押さえて息を切らしている。
「ほら、おまえのバッグ」
「あ、ありが……」
そこで言葉を止めるなよ。お礼いいたくないなら黙っとけって。
「キミのカノジョさん?」
助けてくれた女性にそう聞かれて、俺と高酉の声がユニゾンする。
「違います!」
なんだかムカついたので高酉を睨み付ける。すると、相手も俺の事を睨んできた。
「こんなやつがカレシなわけないです」
「こんなやつがカノジョなわけないです」
今度は微妙にズレる。なんか恥ずかしいなと思ったら、女性二人に笑われていた。
「あははは、微笑ましいね」
「まあ、いいんじゃないのアオハルってやつなのかな。ちょっと特殊だけど」
誤解が全く解けていないような気もするんだが――。
そんな感じで俺と高酉が意地を張り合っていると、制服の警察官とスーツを着た男女が近づいてくる。
警察官はすぐに犯人を取り押さえ、眼鏡の女性から話を聞いている。
スーツの二人は誰かなと思って、胸についたネームタグを見るとこのモールの関係者だった。
警察官が犯人を確保すると、俺たちに話を聞きたいからと、モール内の事務所へと案内される。そこで事情聴取をすることになった。
俺はたいしたことをしていないのですぐに話は終わる。女装に関しても深くツッコまれることもなかった。
一方、高酉は少し長くかかってしまう。
被害者なので仕方ないことだが、厚木さんと離れてもう2時間以上経っていた。スマホを見るとメッセージがかなり溜まっている。とりあえず適当に返信して高酉を待つことにした。
ようやく高酉も解放されて、パーテーションの仕切りから出てくるが、疲れ切ってぐったりとした顔だ。加害者として事情聴取されていないだけマシなのかもしれないけど。
後日また呼び出されるらしいということで、大きなため息を吐く高酉。
再び裏の通路を歩いてモール内へと戻ると、そこで俺たちは助けてくれた女性たちと別れることになる。
「高酉、もう一度お礼を言っておけよ」
さすがに助けてくれた人への感謝の気持ちは大切だろ。俺はいいけどさ。
「わかってるわよ!」
高酉は不機嫌そうに俺を肘で突くと、助けてくれた女性に向き直り頭を深々と下げる。
「あ、あの、ありがとうございました。このご恩は一生忘れません」
「大げさねえ。でも、人混みは気をつけてね」
「はい」
高酉はその女性に見惚れるように、ぽーっとなる。
「アリス行くぞ。連絡入れたとは言え、ナナリーが待ちくたびれてるぞ」
「わかってるわ」
高酉が素っ頓狂な声を出した。
「へ?」
その声に反応して、女性二人が不思議そうな顔で彼女を見る。そこで、俺は理解した。
「あ、こいつも下の名前はアリスっていうんですよ」
俺のフォローに、高酉も状況を理解したようで、恥ずかしくなったのか俯いてしまう。
「へー、あなたもアリスちゃんなんだ。わたしは有限の有に里芋の里に朱色の朱って書いて有里朱って読むの。あなたは?」
有里朱さんの問いかけに、高酉は俯いたまま小さな声で恥ずかしそうにこう告げる。
「あ、あたしは亜細亜の亜の旧字に理科の理に長寿の寿の旧字で亞理壽って書きます」
「へー、いい字だね」
高酉はすっかり、緊張してしまっているようだった。やはりこいつ、人見知りか?
「そ、そんな、あ、ありすさんのも素敵な字だと思います」
「そうだ、記念っていうのも変だけどアドレス交換しようか。同じ名前のご縁ってことで」
「いいんですか?」
「変わった名前同士だし、ほら同盟組もうよ」
そんな彼女の言葉に、眼鏡の女性からツッコミが入る。
「お人形さんみたいでかわいいからだと、本音を言えよアリス」
「いや、それはそうだけど。お持ち帰りしようとしているわけじゃないんだから」
「まあ、アリスらしいけどな」
そんな感じで高酉とアリスという女性はSNSのアドレスの交換をする。
俺はぼーっとそれを眺めていると、アリスという女性の視線がこちらに向いた。なんだ? と思って焦っていると彼女はこう切り出す。
「そこのキミには、これをあげよう」
彼女は一枚の名刺を取り出した。
そこにはこう書かれてあった。
『あなたの悩みをなんでも聞きます』
そして、裏面には二次元バーコード。これはたぶん、URLかなんかだろう。あとで、スマホでチェックすればわかるはず。
なんだか、うさんくさい商売ではある。が、目の前のお姉さんの立ち振る舞いを見るにそれを笑い飛ばせない底知れ無さを感じた。
「お姉さん、何者なんですか?」
「ただの大学生だよ」
「そうじゃなくて、この名刺に書いてある悩みを聞くって、どういうことですか?」
「うーん、端的に言えば良い子の味方ってこと」
「良い子? 正義じゃなくて?」
「わたしが認めた良い子だけを助けるの」
有里朱さんの目は、俺を値踏みするかのように鋭い視線を向ける。
「……ずいぶん独善的ですね」
ちょっと引き気味な俺の言葉に、彼女は苦笑した。
「そりゃ正義の味方じゃないからね。私一人が助けられる人数なんてたかがしれている。だから選別するだけ。きみも何か悩みがあって、話してくれるなら、わたしが良い子かどうか判断してあげるわ」
「でも、お金かかるんじゃないんですか?」
「商売じゃないからお金はいらないよ。けど、何か対価が必要ね。それは、こっちで判断するから心配しないで。対価がないなら問題解決は行わないから安心して」
お金ではない、対価が必要――。
その含みのある言葉が、俺の中で怪しく響き渡った。
「でも、どうしてこれを俺に」
「キミは何か悩み事がありそうだったからね。それに、もうひとりのわたしになんか似てるから」
どういう意味なのか。もうひとりのわたし、とは。
「え、それって……?」
俺が質問しようとしたその時、もう1人の女性が彼女を呼んだ。
「アリス行くぞ」
「もう、待ってよプレさん」
行ってしまった。二人が去ったあとは、どこか嵐が通り過ぎたような感じだ。その場に立ち尽くす俺と高酉は互いに、ぽかんとした表情をしていたと思う。
俺の心の中はまだざわついていた。
なんだろう、この感覚は――。
隣の高酉もまだ言葉を発することができていない。
何者なんだろうか? あの人は。
まあ、普通に生活していれば関わる事がないような人たちだよなぁ。
「行くか?」
「……」
声をかけるものの高酉はまだぽーっとしている。
「おまえ、あの人、アリスさんに惚れたのか?」
「……そ、そんなわけないじゃない!」
「いや、だって見とれてたし」
「それは、違うの……あたし、ああいう強い人に憧れているの。自分がいじめられっ子だったからずっと強くなりたいと思ってた。だから、有里朱さんみたいに強い人になりたいだけ」
うん。その気持ちはわからないでもない。
けど、これで高酉が百合に目覚めてくれれば全ての問題は解決しそうだったのになぁ。彼女は完全に異性愛者であり、女性同性愛者とは相容れぬ恋愛観。これはずっと変わらないだろう。
ああ、悩ましい。
だが、それは他のアプローチで解決するしかない事はわかっていた。
「ねえ、土路」
「ん?」
「お願いがあるの」
「なんだよ!」
高酉はボソッと呟く。
「……ひったくりの事は言わないで」
「なんで? ちょうどいい口実になるじゃん」
厚木さんのもとを黙って離れた『良い言い訳』になる。もう離れてから2時間以上は経つだろう。犯罪に巻き込まれたなら仕方ないと思ってくれる。先ほど話した高酉のトラウマの件を完全に誤魔化せるからな。
「まりさに心配をかけたくないの。あの子、あたしの事を異常に心配するから。あたしが昔、いじめられていたのが原因なんだけどね。あたし、まりさの悲しそうな顔は見たくないの。お願い!」
「それはいいけど、だとすると、別の理由を考えないといけないぞ」
「わかってる。でも……」
高酉が必死に俺に頼み込むなんてレアすぎる状況だ。こいつが気にくわないからと拒絶してもいいのだが、けどなぁ……結局厚木さんに関係してくるからな。
俺だって、厚木さんの悲しむ顔は見たくない。
考え事をするために、高酉から視線を外して周りを見渡す。その時に、1枚のポスターが目に入った。
それで俺の中の悪知恵は活性化し、ちょうどいい案を思いついたのである。
「よし、言い訳はこれでいこう!」
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