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第53話「選択肢を間違えてはいけないのです」
「ごめーん、まりさ」
厚木さんと合流した俺たちだが、高酉が彼女の前に立ち、両手を合わせて深々と頭を下げる。
「無事に会えたからいいんだけどさ。どしたの?」
「う、うん。さっき、ラシュワーの本元くんを見かけちゃって」
「らしゅわー?」
「インディーズでけっこう有名なバンド。でもビジュアル系だから、あんまりまりさが好きなタイプじゃないかもね。思わず見とれて追っかけちゃったの。そしたら土路がなんか、心配して追いかけてきてくれてさ」
ここまでの理由は俺が造り上げたもの。つまりは捏造だ。厚木さんが納得できる範囲で、離脱した理由を俺が考えただけ。高酉は、ただ俺の台本をそのまま喋っているに過ぎない。
ちなみにラシュワーというバンドは、このモールの催事場で無料のミニライブをやっていたらしい。
ライブの時間もちょうど俺たちがいなくなっていた時間帯と被る。
モール内で本元なるメンバーを見かけたところで、何ら不自然ではないのだ。
まさに真実に嘘を被せた、というわけだ。自賛になってしまうが、よくできた作り話だと思う。
「そっか。アリスらしいね。あんたイケメン好きだし」
高酉の趣味は厚木さんも承知している。だからこそ説得力は増す。
「あ、あたしは容姿より声なんだけどね」
高酉は嘘がバレないようにと必死に見える。まあ、俺は事情を知っているからそう思うけど、厚木さんにしたらいつもの彼女だろう。
「あはは、結局、みんなで合流しちゃったね」
志士坂が、微妙な顔で俺を迎える。ストーカー対策のために別行動していたのが、無駄になったと思っているのかもしれない。
「そうだね。最初っから、リオンたちも一緒に行動すれば良かったのかも」
厚木さんがそう呟く。
「そうですよ。あたしも近くでずっとせんぱいのじょ――」
俺は「女装」と言おうとした黒金の口元を抑えた。
「黒金さん、余計なことは言わないでくださいまし」
どこで大上に見られているかわからないからな。
俺が注意した口調が面白かったのか、一同笑い出す。そんな中、黒金は右手を口元にあてて、俺の耳元で内緒話をするように囁く。
「それより、せんぱぁい。これだけの人混みの中でも通用する感じが凄いですよね。もうどっから見ても女の子ですよ」
あんまり嬉しくない褒め言葉だな。
けど、このまま女装を極めて女の子そのものになってしまえば、もしかしたら厚木さんは振り向いてくれるかもしれない――。そんな見苦しい考えが頭を過ぎる。
けど、そんなニセモノの自分を好きになられても困るよな。まったく……なんてことを俺は考えているんだか。
それからは、5人で行動し、存分にショッピングを楽しんだ。
そして、夕方になり解散となる。
志士坂と黒金は駅で別れ、高酉とは駅を降りた後に丁字路にて別れる。
ストーカーは、女の子が二人だけになったと思って油断するだろう。実際、頭上を微かにプロペラ音のような甲高い音が聞こえてきた。俺も使っているような小型のドローンかな?
「厚木さん、そろそろ仕掛けてくるかもしれないから。打ち合わせ通りよろしく」
「うん、わかった」
閑静な住宅街であり、今の時間は人通りがほとんどない。商店やガソリンスタンドもないため、監視カメラがある場所もほとんどない。
目撃者さえいなければ、完全犯罪さえ起こせてしまう。実際、彼女の誘拐及び殺人事件は迷宮入りとなる未来なのだ。
それは犯人である大上の用心深さもあるだろうが、偶然の力の方が強い。そもそも衝動的な誘拐では、計画に穴ができないはずはないのだから。
厚木さんの家まであと数分。
道路下の歩道用トンネルを歩いているとき、大型スーツケースを引いた旅行者らしい男が前から歩いてくる。サングラスにマスク姿といういかにも怪しい姿だ。
その男とすれ違った次の瞬間。
「んんっ!?」
俺の腕にスタンガンのようなものが押し当てられたのだ。バチバチっという音と、僅かに服の焦げる臭いがする。やべーな、あとで案山に怒られるじゃないか――。
とはいえ、スタンガンを使われたからといって、すぐに気絶するようなことはない。
強烈な痛みと筋肉の強制的な収縮。一時的に息ができなくなったりする。まあ、部位によっては昏倒なんてこともあるだろうけど。
今回はラプラスの未来予知によって、相手がこちらのどの部位にスタンガンを押し当ててくるかはわかっている。
ならば、その部分に事前に絶縁体を巻いておけばいいだけの話。これでスタンガンの高圧電流は無効化できる。
俺はダメージを受けることなく、すぐに反撃を開始した。
まず右足で相手の持っているスタンガンを蹴り上げる。案山から借りたワンピースは、わりと長めスカート丈。なので、足の挙動が事前に察知しにくいので不意打ち的な使い方もできる。
武器を奪ったらそのまま相手の左手小指を掴み、それを逆にねじ上げる。あまり力のない人間でも相手の自由奪うことのできる護身術の一つだ。
それは昔、悪魔と名乗る少女に習った必殺技。
「い、痛ぇ……」
「いきなりスタンガンってのは、挨拶として過激すぎるんじゃないか?」
「お、おまえ、男だったのか?!」
「あらやだ、人を見る目がないのね」
さらに指をねじ上げる。
「ああぁっ! ギブ! ギブ! ギブアップぅーっ!」
俺は側で見ていた厚木さん、に指示を出す。
「とりあえずこいつのサングラスとマスクを取り外して。そしたら、こいつの素顔を撮影して高酉のSNSに送っといてくれ」
「うん、わかった」
そう応えて厚木さんは、男のサングラスとマスクを取るが、そこで彼女の手が止まってしまう。
「も、もしかして……大上くん?」
彼女は少なからずショックを受けているのだろう。自分が昔、イジメから救った相手なのだからな。恩を仇で返すというのは、まさにこういう奴の事を言うのだ。
「……」
大上は厚木さんから顔を背けてしまう。いちおう罪悪感はあるんだな。
「厚木さん、俺もこの態勢つらいからさ、早いとこ証拠を押さえてこいつをおとなしくさせたいんだ」
「あ、ごめん」
スマホで大上の姿を撮影すると、厚木さんは何度か画面をタッチし、高酉へと画像を送ったようだ。
これで大上も下手なことはできないだろう。
「大上だったな。俺らはおまえと話し合いたいから、警察は呼ばずに証拠を押さえただけだ。おまえが変なことをしなきゃ、逮捕されるようなことはないから安心しろ」
そう説明して、力を緩める。まあ、それでも暴れてきたら、今度は俺の持っているスタンガンでこいつをおとなしくさせるだけだけどな。
「ね、大上くん。どうしてこんなことしたの?」
「……」
下を向いて応えない大上。このまま待っていても彼は答えない。だから、厚木さんに彼が持ってきたスーツケースの中を開くように言う。
「え、でも、勝手に覗くなんて悪いよ」
「俺の予想通りなら、中にはなんにも入ってないよ。だから気にする必要はない」
「でも……」
彼女は躊躇っていた。
「大事なものが入ってたなら、俺が大上に謝るよ。それでいいだろ? 厚木さんはただ、俺に命令されたって」
しばらく考え込んだ後、厚木さんは首を横に振った。
「ううん。土路くんに責任を押し付けるのはよくないよ」
そして、彼女はスーツケースに手を伸ばす。
「これ、不自然に軽いよ。もしかしたら、土路クンの言う通りなのかも」
厚木さんが蓋を開けると、中は空っぽだった。
「そのスーツケース、かなり大きめだろ? 厚木さん、丸まればその中に入れるでしょ?」
「うん、そうだね……って、まさか!?」
ぎょっとした顔で、大上を見る厚木さんは少し青ざめていた。
「厚木さんを誘拐することを計画してたんじゃないか? ストーカーってさ、結局のところ相手を自分の物にしたいって欲求が強いと思うんだ。だから、そういう思考に陥るのも予想通りではあるよ」
俺の言葉を受けて更に表情を強ばらせた厚木さんが、大上への前へ恐る恐る立つ。
「ね、大上くん。本当にわたしを誘拐しようなんて考えてないよね?」
柔らかい口調とは対照的に、彼女の瞳は真っ直ぐと鋭く大上を捉えていた。
「……」
大上は答えない。その沈黙こそが答えだということを、厚木さんも悟ってしまっている。
そもそもストーカーと話し合いなんて、まともにできるわけがない。たとえ警察が介入して、相手への接近禁止命令が出されたとしても、それを守れない人間もいるわけだからな。
「大上クン。昔、わたしがあなたを助けたのが迷惑だった? あなたに関わったのが嫌だったなら謝るよ」
「……違う。僕はあなたを守りたいんだ」
大上は俯いたまま、ぼそぼそと喋った。厚木さんが聞き返す。
「守りたい?」
「この世界の悪意から。……厚木さんは純粋すぎて常に誰かに嫉妬されている」
「そんなの大げさだよ」
「大袈裟なわけないだろ! 実際に厚木さんはいじめの対象となってたじゃないか!」
突然、声を荒げた大上の返答に厚木さんの言葉が一瞬詰まる。だが、それでも彼女は大上と向き合って言葉を紡ぐ。
「嫉妬は人間なら誰しもが持つ、自然な感情だよ。わたしだって、そういう醜い感情は持っているんだから」
「嘘だ! 厚木さんはみんなを庇っているだけなんだ。だからこそ、こんな醜い世界に置いておけない」
「わたしだって人間だし、そんな醜い人間をわたしは大好きなんだよ」
大上は厚木さんの言葉を拒絶するように、下を向いてぶつぶつと何かを呟き始める。詳しくは聞き取れなかったが「厚木さんは天使なんだ」的なことを繰り返していたのだろう。
壊れたスピーカーかよ。こいつは。
まあ、こいつが厚木さんの言葉で改心するわけがないことはわかっている。だからこその今回の作戦があるわけだ。
「厚木さん。言葉での説得は無理だよ。例の物を渡してやって」
女は俺に促されるまま鞄からケースに入ったSDカードを取り出すと、ちょっと顔を赤らめながら恥ずかしそうに大上に手渡した。
「大上クン。これ、友達と一緒にとったわたしの動画。これがまっさらな裸のわたしだから」
ここらへんの台詞は俺が考えたもので、彼女が抱くであろう羞恥心すら策略に組み込んでいる。そうだよ、俺は厚木さんの為なら、厚木さん自身も利用するという鬼畜だ。
「ぼ、僕にくれるの?」
何か勘違いしたのか、大上の耳あたりが赤くなってくる。
「ええ、大上クンにはわたしを誤解して欲しくないから」
大上が右手でそれを受け取ると同時に、俺は彼を解放した。いちおう、彼女を守るようにその前に立つ。
「本当に警察には通報しないのか?」
「とりあえず今日のところは帰っていいぞ。ただし、大切にしろよな。厚木さんからプレゼントもらったんだから」
「わ、わかったよ」
「じゃあな、また学校で」
俺はポンと大上の肩を叩いて別れの挨拶をする。
その瞬間、悪魔が起動。
『順調だね』
「大上が帰ったあとの、あいつ視点の未来を見せてくれ」
『ほいっ』
視界が切り替わって、あいつが家に帰った時点から始まる。
大上は急いで部屋に行き、付けっぱなしのPCのカードスロットにSDカードを差し込んだ。
ファイルエクスプローラーから、中に入っているmp4ファイルを開くと、彼が使っている動画プレーヤーが立ち上がり、映像が再生される。
映っているのは文芸部の部室だ。最初は誰もいない空間で、壁だけが映されていた。
数秒それは続いて、大上の独り言が聞こえてくる。
「なんだよ……この動画」
だが次の瞬間、映像の右斜め下あたりに突如顔が飛び出してきた。
『よいこのみんなぁ! げんきかなぁー!!!』
「う、うわぁぁぁl!!!」
いきなり白塗りの顔が出てきたために大上が驚いたようだ。この白塗りの主は厚木さんである。
ちょんまげ姿で今川義元ばりに白塗りして、まろ眉をおでこらへんに描き、頬を赤く丸くさせ、髭をペンで描きたした、お笑い芸人がコントでやりそうなメイクである。さらに服装は、バカな殿様が派手な着物を着崩した感じの格好。
そんな厚木さんが、カメラの前で渾身のギャグをこなしていく。
『怒っちゃやーよ!』
プロの芸人の真似だったり、素人が考えたくだらないギャグだったり、厚木さんがやる分には「滑り芸」にしか見えないところがポイント。
それでもノリノリで、全力でそれをこなす厚木さんは生き生きしているともいえる。
こんな身内ノリで作ったような動画、普通の人間には楽しめるわけがない。
だけど、大上。
おまえが本当に厚木さんが好きなのであれば、彼女が楽しそうだってことに気付くはずだ。それに気付かないおまえは、厚木さんを神格化しすぎて、誤解している。
厚木さんが好きなんじゃない。
自分の中で理想化した、厚木球沙というニセモノを追い求めているだけの話。
「あはは……なんだよこれ?」
乾いた笑いが大上からこぼれる。お気に召さなかったようですな。まあ、そんなのは予想通り。
動画はクライマックスへと突入する。
厚木さんは、黒子の格好をした黒金に差し出された丼を受け取ると、その中身をカメラへと向ける。
中には納豆、なめこ、めかぶ、海苔がご飯の上にのっけられたネバトロ丼である。
「うわあ……」
大上からは、ため息と嫌悪感といろんな感情が混じった声がこぼれる。
実は彼、納豆となめこと、めかぶが大嫌いなのである。それは、事前調査で知り得た情報。
それゆえに、わざとその嫌いなものを厚木さんが食べるという鬼畜極まりない映像であった。ちなみに厚木さんは、その3つとも大好物なのである。
さらに食べ方も上品ではなく、なるべく下品に食い散らかしてくれと言っておいたので、食べ進めるごとに大上のメンタルは磨り減っていく。
今回の作戦のポイントは、いかに大上の中で神格化された厚木球沙像をぶっ壊すかということだ。
すべてのストーカーに通用する手ではないが、事前にリサーチし、大上の未来を演算したからこそ、とれる手法であった。
そして映像の最後には、白塗りの化粧を落としている最中の厚木さんが、カメラマンである高酉や、黒子の黒金、後ろで控えていた志士坂たちと楽しそうにお喋りをするだけのものが流れる。
「もう、まりさ調子に乗りすぎじゃない?」
「えー、そうかなぁ。まだまだ、わたしの笑いを届けられていないような気がする」
黒金は明るい声で、冷静な分析結果を浴びせる。
「厚木せんぱーい、いくら続けても『寒い』笑いしか届けられませんって」
「スズちゃんひどーい!! わたし一生懸命だったのに」
志士坂も志士坂で、少し引き気味だった。
「えーと、厚木さん。笑いは一生懸命やればいいってわけじゃないと思うかな……」
「わるいこはどこあだぁあああ!!!」
「まりさ、誤魔化してるでしょ?」
明るい笑い声が響く。
「あははは。でも、楽しいからいいじゃん」
「そうですね。厚木せんぱいの芸は笑えませんけど、なんか楽しいです」
「うん、あたしたち素人だし、こんなもんじゃないかな……」
厚木さんの素の笑い声がスピーカーから流れてくる。それは本当に純粋な楽しそうな笑いだった。
そして、SDカードを挿したことで起動したプログラムによって、画面にメッセージが表示される。カードには予めトラップを仕込んでおいたのだ。
【あ な た は 本 当 の 厚 木 球 沙 を ど れ だ け 知 っ て い ま す か ?】
「メッセージ?」
不審に思ったのか大上の口から思わず言葉がこぼれる。
【あ な た の 厚 木 球 沙 を 好 き だ と い う 気 持 ち は 本 物 で す か ?】
【yes/no】
画面には選択してクリックできるフィールドが表示された。
「……」
考え込む大上。少し前の彼ならたぶん、迷わずに【yes】をクリックしていただろう。かといって、【no】をクリックできるほど吹っ切れてはいないのかもしれない。
5分ほどその状態が経過する。
すると選択肢は消え、新たな文章が表示された。
【PC内にある厚木球沙に関連したデータを削除しますか?】
【yes/no】
「消せるわけないだろ?!」
彼は慌てて【no】をクリックすると、派手な警告音と共に、警告文が表示された。
【あなたのPCはロックが掛けられました。これを外してほしければ、明日13時に学校に来て下さい。2年2組の教室で待ってます】
【追伸。プリントアウトした全ての厚木球沙の隠し撮りした写真をお持ち下さい。ロックを外すための条件でもあります byショーコ】
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