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第56話「やっぱり見透かされているのです」
有里朱さんが示唆した「躊躇することなく他人を利用すること」。
しかし、考えてみれば俺とて同じ穴のムジナだろう。今までだって、そうやってきたじゃないか。冷徹クソ野郎の悪評に耐えながら、誰かを利用して、それで安全を保ってきたのだ。
「あら、もしかして、今までも同じ事をやってきたと思ってる? 同じように周りの駒を利用してきたと」
「……」
それは明らかに物語の主人公へのアドバイスではない。俺に対する問いかけだ。
「けど、甘いんじゃない。キミは冷徹になれなかった。だからこそ、思考の限界があったのよ」
「……」
言いたいことはわかる。それは俺自身の甘さ。けど、相談したのはあくまで創作でのことだ。それなのに、ずいぶんと見透かされているかのように思えてくる。
「ただの駒への感情移入……いえ、主人公の場合は愛情ね。それが邪魔しているのよ」
「愛情ってなんですか、俺は……主人公はヒロイン一筋ですよ」
少しだけ感情が昂ぶってしまう。どうしても言い訳がしたかったのかもしれない。志士坂や黒金に情が移り始めている俺自身にだ。
「ごめんごめん。別に責めているわけじゃないよ。だって、人間なんだからさ、誰かと関わればその人に情が移ることもある。だから、もし物語の人物であるなら、『とても人間が書けている』と褒めると思うわ。人間はアナログな思考を持っているんだもん。だから、甘くなるのは当たり前なのよ」
「……」
落ち着け。すべてを見透かすような彼女の瞳に呑み込まれるな。俺は厚木さんのためなら、どんな状況だって利用するんじゃないのか?
「けど、そうね。ハッピーエンドを目指したいのであれば、甘さは捨て去ることね。これは非情になれっていってるんじゃない。ノイズはなるべく減らすべきなのよ」
「甘さですか……」
そうだな。たしかに最近の俺は、志士坂や黒金に気を遣い過ぎてる。
それは毎日が楽しくて、なにげない日常に満足しかけているからだ。それを壊したくなくて俺は厚木さん以外にも情が移っているのかもしれない。
けど……前にもラプラスに宣言したじゃないか。厚木さんとあいつらなら、迷わずに厚木さんをとるって――。
「――くん……ドロシーくん」
「え? は、はい」
思わず必死に考え込んでしまった。有里朱さんの言葉は漏らさずに聞くつもりだったのに。
「もう一度言うけど、非情になれなんて言ってないからね。それだけは勘違いしないで。あくまでもノイズを減らすのよ。そのために必要なのは相手の気持ちを理解するんじゃない。相手の行動を予測するの」
「気持ちを理解するのは、なんでダメなんですか?」
「一番危険なのは理解したつもりになることだから」
俺はさらに問う。
「どうしてですか?」
「あなたは100%相手の気持ちを理解できるの? たぶん心を読める能力があったとしても、他人の気持ちなんて100%理解できないよ。だって、本人すら理解出来てない場合が多いんだから」
「……」
その通りだ。反論の言葉も出てこない。
「人間の心理って多重構造だから、そのうちの一つ二つが解ったからって、その人自身を理解したことにはなりえないでしょ?」
「まあ、そうですね。でも理解しようとしないと予測はできないんじゃ?」
何事もそうじゃないのか? 構造を理解しないと解決策は見つからない。
「人の心はね。理解しようとするにはあまりにも複雑に出来すぎているの。だったら、そんな無駄なものに、解析にリソースを使うようなことはやめた方がいいの」
「なら、どうするんですか?」
俺の問いにあくまでも飄々と有里朱さんは答える。
「例えばよ。対戦ゲームとかで、相手の情報ってどこまで重要?」
「へ?」
「相手の好きな食べものとか、どんな環境で育ってきたとか、あんまり関係ないでしょ」
一見、煙に巻くような論理。でも違う。
「まあ、そうですけど」
「あなたは相手に勝ちたい。その場合はどうする?」
「そりゃ、相手の動きを予測しますよ。場合によっては、その動きさえ誘導して自分のコントロール下におきます。例えば相手を挑発して怒らせて先に攻撃させるとか」
それは基本だ。負けないための。
「それよ。相手が怒るという感情。その怒りを理解してあげることより、その怒りでどう相手が動こうとするのかを予測することの方が重要でしょ」
「そりゃまあ、そうですけど」
「ゲームだろうが、リアルだろうが、目的を達成するためなら手段を選んじゃダメ。まあ、キミならそんな基本的なことを理解しているだろうけどね」
一見わかりにくい有里朱さんの喩えだったけど、俺にはそれが何を意味するのかが解ってしまった。
「まさか、それを生身の人間相手にそれを使えって言うんですか?」
「ええ、そうよ」
つまり、相手の気持ちは無視しろと。なぜなら同情や余計な思考を生むノイズになりうるから。それならば純粋に相手の行動を予測して対処すればいい。
鬼畜すぎるな。まるでサイコパスの考え方だ。
「人の動きや感情を現象として見なさい。そうね、例えば天気のように」
「天気ですか……雲の気持ちなんかどうでもいい。各地点で観測された数値や過去のデータ、そして未来を読む力を重要視しろと」
有里朱さんの考えが素直に理解できてしまう自分が恐ろしくなる。
「そうよ。天気予報ってそんなものでしょ?」
この人は、他人の気持ちさえも天気のように対処するのだろうか?
「でも、台風とか来た時は、どうにもならないでしょう?」
「そうね。でも、事前に知っているのと知らないのでは雲泥の差よ。現代なら台風の進路さえ予想できる」
「そりゃそうですけど」
「動きがわかれば事前の対策も立てようがあるじゃない」
「仰るとおりです」
彼女の考えが理解できるがゆえに、逆に心配になって穴を探してしまう。けど、有里朱さんの答えは完璧だった。
「ねぇ、気象兵器って知ってる?」
天候さえ操ると言われる悪魔の兵器だ。さすがに現実的に作られて配備されたという話は聞かない。
「ええ、けっこう眉唾物のものですよね」
「そう。現代の科学力なら空想の産物。でもね、主人公には悪魔の能力があるんでしょ?」
「……」
ドキリとする。そういえば小説の話だった。
「だったら、気象兵器級のトンデモナイ力も発揮できるはずよ」
「いや、それは話盛りすぎですよ」
苦笑いしながら、背筋がぞくりとする。
「話を盛っているのは天気の方。けど、主人公が対処すべきは人間というコンパクトなもの。だから利用できるものは全て利用する。人の行動すら現象として取り入れるの」
「ゲスすぎません?」
自分で言っていて、心が痛む。だって、俺は似たような方法をとろうとしてきたのだから。
「あら、小説の話じゃないの」
「……いえ、そうですけど、ほら、読者からクレームが来たりして」
「ドロシーくんが目指すのはハッピーエンドでしょ? 読者にハッピーエンドを与えたいんでしょ?」
「……」
有里朱さんの視線は俺を捉えたまま放さない。
「誰も不幸にならないなら、過程がどんなにゲスであっても構わないと思わない?」
「倫理的に突っ込まれそうですけどね」
「結果が出なければ意味はないわ。皆、頑張って、お互いを思いやって、解決できなくて不幸になって、それで誰が幸せなの?」
有里朱さんの言葉はグサリと深く心に刺さる。
「……そうですね。そんなのただの自己満足だ」
「そう。よくできました」
彼女の顔が、ぱっと明るくなって笑う。
「褒められても、なんか嬉しくないんですけど」
何かもやもやする相談だった。けど、活路は見えてきた。
「キミは良い子ね。だから、あとは自分で考えなさい。わたしのアドバイスはここまで」
「ありがとうございます。とても、参考になりました」
「というか、キミはもう自分の中に答えを持っていたんだよ」
思わず聞き返してしまう。
「え?」
「そうでしょ?」
彼女の言う通りだ。俺は思考に制限をかけていた。彼女はそのリミッターを外してくれただけ。
「あ……うん、そうですね。でも、効果的なアドバイスだったことに変わりはありませんよ」
「他に何か質問はある?」
うーんと考える。とりあえず取っ掛かりになりそうなヒントはもらえたけど、できればもう一つ聞きたいことがあった。それは、俺自身に関わるもう一つの謎。
「有里朱さんは、この物語の中に出てくる悪魔をどう思いますか?」
「……んー、いわゆるファンタジーの小ネタね。エブリディマジックでよく使われる手法かな。現代の日常に一つだけ不思議要素を突っ込むことで、より主人公に感情移入しやすくなる。けど、わたしが書くなら、そうね、ファンタジー要素こそが幻って方向に持っていくわ」
おかしな喩え方をされ、俺の目は少し丸くなった。
「幻?」
「そう、すべてが論理的に説明できてしまうという方向ね」
「そんなことが可能なんですか? それはどうやって」
「うふふ。自分で考えなさい。わたしはアドバイスはするけど、自分の物語の種明かしは教えないわ」
そう言って、彼女は何か意味深に微笑んだ。それにしても、この人は何者なんだ? 存在自体が謎に満ちている。
「ところで対価なんですけど、俺は何を有里朱さんにあげればいいんですかね?」
「対価は……そうねぇ、あなたの物語の結末を教えて」
「結末、ですか?」
まさか俺の恋の末路がどうなったかを報告しろ、というのか。予想外の対価に思考が少し固まってしまった。そんなこちらの心情や思考を読み取ったのか、有里朱さんは苦笑いする。
「小説なんでしょ?」
「……ええ、そうでしたね」
結末だけなら、なんとかひねり出して書き上げることもできるか。それでもわりと大変かも……。
「うふふ。わたしはとっても優しいから、口頭でいいわよ」
ニヤリと笑う。その笑顔は完全に俺の心を見透かしていた。
**
今日からテスト結果が悪い者に対する補習が始まり、一般生徒には少し早めのプチ夏休みに突入する。
暇を持て余して俺が家でゴロゴロしていた午前中。厚木さんからSNS経由でメッセージが来る。
まりさ【明日の10:00に部室に来て お話があるの】
スタンプなしの真面目な文。
彼女と会えるのは嬉しいが、内容には少し不穏な空気が表れている。手放しで喜べないと、俺の直感は告げていた。
そりゃそうだ。今の状況で、厚木さんが俺に告白するなんてことは100%ありえないのだから。
考えられることは1つ。俺の気持ちに気付いたか、それとも自身の事に関するカミングアウトか。
故に下手な対応をすれば彼女の寿命を縮めてしまうことになる。うまく処理できなければ一生後悔するだろう。
うだうだ考えて、眠れずに朝を迎えて学校へと向かった。
誰もいない教室で自分の席に座り、ぼーっと外を眺めている厚木さんを見かけ、声をかける。
「おはよう」
「おはく……どうしたの? 土路クン」
こちらを向いた厚木さんが、立ち上がって心配そうに駆け寄ってくる。そりゃそうだ、朝、鏡見たら目のクマが凄かったからな。
「いや、なんか昨日眠れなくて」
「え? わたしのせい? というか、わたし、まだ何も言ってないのに」
「いろいろ考え過ぎちゃったんだよ。気にしないでくれ」
「気にしないでと言われても……」
いつもよりテンションが低めの厚木さん。
「で、なんか話があるんでしょ? 高酉たちに聞かれたくないから、俺だけ呼び出したんでしょ?」
「う……ん」
彼女は下を向いて落ち込んだように表情を暗くする。それは普段の厚木さんからは想像できないような思い詰めるような顔。
「別に無理に話す必要はないよ」
「違うの……これは土路クンには知って欲しいことなの」
「……」
彼女に本当に話させてしまっていいんだろうか? この状況で彼女に触れるのはリスクが高い。ラプラスに未来を聞くという手段は少し待った方がいいかもしれない。そう、直感的に判断する。
「あのね。わたし、土路クンと仲良くなれて、ほんと良かったと思っている。話も合うし、いろいろ助けてくれるし、ちょっと変な考え方とかあるけど、それを含めて尊敬もしているの」
「……」
ありがたいお言葉だけど、俺は知っているからな。それが恋愛感情へと向かないことに。
「たぶん、わたしの知らないところでも土路クンは一生懸命わたしを助けてくれてたんだと思う。志士坂さんのことも、わたしのお父さんのことも、それから案山さんのことも。黒金さんはどう関係があるかわからないけど、たぶん、わたしに関連してるってのは直感的にわかるの」
「ははは、バレてたか」
俺は頭を掻きながら大げさに笑う。けど、心から笑えていないのは自覚していた。
「でもね、わたし、土路クンに助けられるような子じゃない。わたし、けっこうズルい子だよ。だって、本当は土路クンの気持ちに気付いてたんだもん」
ドキリとする。……けど、想定内だ。
まあ、志士坂どころか、高酉にも気付かれてるんだから、本人が知らないわけがない。隠し通せなかった俺が悪いわな。
「ズルくはないでしょ。そういうの知られたら普通は距離置かれるけど、厚木さんはいつも通り接してくれた。それだけでも感謝だよ」
どれだけキミの笑顔に救われたことか。
「土路クン冷静だね。わたし、あなたに酷い事をしようとしてるのに」
「酷い事? 俺のことは好きになれないとか、そんなことだろ? それとも文芸部をぶっ壊すとか言い出すか?」
動揺は完全に隠せない。思考が停滞する。それでも無理矢理言葉を吐き出したものだから、わりとぶっ飛んだことを言ってるな。
「ぶ、文芸部は大事だよ。みんな居場所ができて喜んでいるんだから」
予想通り厚木さんが驚いて目を丸くする。
「なら、それ以上に酷い事なんてないよ」
「けど、土路クンの予想通り、わたし……たぶん、あなたには恋愛感情を抱けないの」
心は驚くほど穏やか……なわけがない。でもさ、そんなことはもう既に知っていたんだよな。ラプラスの未来予知で俺は何万回とふられている。
「うん、理解した。けど、俺が厚木さんを好きになるのは構わないだろ?」
厚木さんは俺の返答に、困った顔で俯いてしまう。
「でもわたし、どんなにあなたが待っていても、あなたの気持ちに応えられないよ」
「……」
どうして? と問うのが通常の反応だろう。でも、理由を知っているからなぁ。
「わたし……男の人を好きになることができないの」
「男が嫌い?」
「ううん、お父さんは尊敬できるし、弟は家族だからとても大切。仲良くしてるよ。クラスの男子たちとだって話す事できるし……土路クンも大事な友達だと思う。ううん、こういう時の友達って、酷い言葉なんだよね。わたし、無神経にあなたのこと傷つけているのかも」
まずいな……厚木さんの表情に陰りが見える。俺なんかのことで反省する必要はないってのに。
「俺は、すっげー光栄だよ。自分の好きな子に友達って言ってもらえるのは。俺、厚木さんとお喋りしてるの大好きだし、笑ってる顔を見ると、なんだかこっちまで幸せになるし、どんなことでも一生懸命な姿は尊敬できるよ」
「土路クン……本当にごめんなさい」
彼女がぽろりと涙を流す。
「泣くことないだろ。俺は別に大丈夫だからさ。というか、フった方が泣くなんて前代未聞だぞ」
不意をつかれて、俺自身が焦ってしまう。まさかの展開を予想できるものか。厚木さんを泣かしたのは誰だ?! ……まあ、俺だな。
「だって、土路クン、すっごいいい人なのに、わたしはあなたに恋愛感情を抱けないの。たぶんわたし、女の人しか愛せない。自分でもなんでこうなのか、わからない。わからないの……」
本人にとっては、決意のカミングアウトなんだろうけど、演算の中とはいえ数万回彼女の話を聞いたのだから、その事自体に大した衝撃はない。
「うん。仕方ないね」
「お、驚かないの?」
「今の時代、そういうカミングアウト自体は珍しいことじゃないだろ?」
有名人でも、その手の話はいくらでも聞く。一昔前のような隠さなきゃいけないようなことでもない。
「そうかもしれないけど……でも、同情はしなくていい。たぶん、このわたしの気持ちは土路クンには理解出来ないと思うから」
「同情はしないけど、卑屈になる必要はないぞ。自信を持てばいい」
「どうして? わたしは昔からずっと負い目を感じてきたの。こんな自分が嫌いだった」
「俺は好きだけどな」
「……あなたを好きになれれば、わたしは幸せになれたのかもしれない。けど、ごめんなさい」
泣き顔で再び深々と頭を下げる厚木さん。
まったく、女の子を泣かす俺は酷い奴だわな。責任をとるという意味でも、彼女の気持ちを少しでも楽にするべきだ。
自己反省と冷徹な思考が、自分の中で交わっていく。
デリケートなLGBTの問題は、一歩間違えれば相手を傷つけてしまう。それでも、彼女を少しでも救う道があるならば、俺は全力でそれに注ぎ込むべきだ。
決めたよ。
だったらもう、さらにぶっ飛んだ方向に話を持っていって、今回の件を大した事がないと思わせるべきであろう。
さあ、土路劇場の始まりだ!
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