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第65話「未来予知は完璧ではないのです」
有里朱さんからの電話の後、俺はずっと考え込んでいた。
俺が設定する勝利条件がなんなのかを。
そして、そのために必要なこととは?
そんなことを考えて集中力を欠いたまま家のトイレに行く。途中で、すれ違いざまに茜と肩が触れた。
「ちょ……触んないでよね。キモいんだから」
「……」
不機嫌さにおいては、高酉の方がまだ可愛げがあったかなと、ふいにそんなことを思う。
瞬間に、悪魔が起動。
『たいしたことじゃないけどさ、明日厚木球沙が家に来るよ』
「マジかよ……まあ、想定してはいたけど、早いな」
『文芸部に戻る?』
「いや、まだ戻れないでしょ。どんな顔で志士坂と会えばいいんだっての。それに厚木さんはたぶん俺の策略に気付いていると思うし」
『ま、そりゃそうだよね』
「うちに来るのは厚木さんだけか?」
『うんにゃ、文芸部のフルメンバーだよ。高酉亞理壽に志士坂凛音、黒金涼々に案山結子』
「あー、そんな大勢で来られたら俺、まともな対応できないって……まだ、頭の中が整理できてないんだから」
『じゃあ、逃げるのね』
「言い方が悪いな。戦略的撤退だ」
『同じじゃない』
ラプラスはケラケラと笑った。
まだ完璧な改善案はない。明日、厚木さんたちに会うのは気まずいので、出かけて留守にすることにする。念のため、演算してもらって、文芸部の皆とかち合わない時間帯と方角を吟味する。
当日、逃避のためにターミナル駅へと向かうと、駅前の繁華街をブラブラすることにした。歩きながら思考するが、よいアイディアは浮かばない。
そんなとき、落ち着いて考えるために入ったファミレスで、思わぬ人物に出会ってしまった。
「土路君?」
案山だった。彼女は驚いた顔で俺を見上げる。彼女が座っている席のテーブルには、かなり大きなパフェが置いてあった。店の前にあったポスターを思い出す。あれは期間限定のやつか。
まあ、そんなことはどうでもいい。
「案山……?」
彼女は本来なら、厚木さんたちと共に俺の家へと来るはずだった。それは、ラプラスによる妹視点の未来で確認している。なのに、なぜここにいるのだ?
未来予知の精度が落ちているのか?
それとも案山という存在がイレギュラーなのか?
そういえば、ケーキバイキングやプールでは案山の存在が未来予知では確認できなかったことがある。これは偶然か。
「ねぇ、なんで文芸部辞めたの? みんな心配してたわよ」
「おまえには関係ないよ」
「そうね。私はあなたに誘われてあの部に入ったわけじゃないからね。けど、マリサもスズも悲しんでるわ。虚勢を張ってるけどアリスでさえ、元気がない気がするの」
「今はまだ戻れないんだよ」
俺がそう言って去ろうとしたところで、案山に腕を引っ張られそうになる。
「待ちなさいよ」
が、それを振りほどこうとしたところで、いつものように悪魔が起動。
『あらあら、元気ないね。厚木球沙の自殺フラグは消えたってのに』
「それよりもどういうことだ? 案山がなんで居る?」
『うふふ、なんでだろうね?』
「ふざけるな。昨日の演算では、俺の家に来るメンバーには案山も含まれていただろうが」
『まあ、あんたの行動が影響したのかもね』
「俺はこの一週間、文芸部のメンバーには会ってないんだぞ」
『あんた、今朝スマホを誤動作させたでしょ』
「誤動作?」
『案山結子のSNSに意味不明な文字列を送っている』
「……ああ、あれか。あれは寝ぼけてスマホを弄ったときに、思わぬ場所をタップしてそのあと床に落としたからな。それを拾うときに、さらになんかしたようだが」
あれで、誤って案山にメッセージが送信されたのか。
『メッセージは意味不明で無意味だったけど、それを切っ掛けに案山結子はスマホを触り、その時に画面に表示された広告がここのファミレスの期間限定パフェ……なのかもしれないね。まあ、これはあくまであたしの予想だけど』
こいつは基本的に過去は観られない。でも、その予測はとてもしっくりいった。
「あいつ、スイーツだけは目がないからな。それで俺よりもこっちを優先したわけか、案山らしいよ」
『案山結子だけは、あんたとはそれほど仲良くなっていなからね。借りはあるだろうけど、あんたへの思い入れはそれほどない。その結果がこういうことよ』
『人の心はわからない』というラプラスにしては、わりとつっこんだ予測だな。とはいえ、反論する気力もない。
「なるほどね。俺のミスである可能性も高いか。悪かったな」
『あ、そうだ。それよりも重要なお知らせがあったんだ』
「なんだよ」
『明日、案山結子は死ぬわ。工事現場の近くを通って、上からコンクリートブロックが落ちてくるの。当たり所が悪かったのね。ま、文芸部と縁を切ったあんたには関係のないことかもね』
え?
たしかに俺は案山とは仲良くなってはいない。けど、黒金は彼女にかなり懐いているし、志士坂は案山の自殺の件を知っているから、かなり同情的だ。厚木さんは文芸部に誘った張本人だし、高酉は同じ皮肉屋として案山に親近感を抱いているはず。
彼女の不幸は文芸部に陰を落とす。
「関係ないことないだろ。文芸部は俺抜きでも楽しくいてもらわないと困るんだ。それこそ、厚木さんの心に負担を与える」
『助けるのね。いいわ。時間と場所を教えてあげる』
**
案山が通る1時間ほど前に、俺は工事現場らしき場所に立ち入る。実際には工事現場ではなく、廃屋の周りを足場が組んであるだけの場所だ。
取り壊し工事がなんらかの理由により止められているのだろう。ひとけはまったくなかった。もしかしたら金銭面で揉めているのかもしれない。
新築の工事現場というわけではないので、セキュリティーのためのカメラもなく、その気になれば自由に立ち入ることのできる現場であった。
中に入って、危ない箇所に置いてあるコンクリートブロックを探す。大風や何かの拍子に落ちてきたのだろうと俺は思っていた。だが、いくら探し回っても危なっかしい箇所が見つからない。
人の命がかかっている。だから必死になって不具合はないかを探した。
あまりにも集中し過ぎて、探索中に何かで指先を引っ掛けて切り傷を負ってしまう。まあ、多少は傷跡は残るが、病院行くほどでもないな。
とりあえず、危険な箇所はないので出直すことにした。
10分前にもう一度、その現場に到着する。と、足場の上の方になにやら人影が見えた。
まさか、ブロックは事故ではなく人為的に落とされるのか?
その可能性を失念していた。少し余裕がないので思考が狭まっている。これはよくない傾向だ。俺は深呼吸をして、頭の中を整理した。
そういや案山は、わりと敵を作るタイプだったよな。殺したいという人間がいても不思議ではない。
そう思い、上にいる人間に気付かれないように足場を上っていく。
前もってとび職のような地下足袋を履いて作業着に着替え、ヘルメットを被って作業員のような格好をしてきたので、もし工事関係者だとしても不審には思われないだろう。
地下足袋は普通の靴よりは足音がたたないが、それでも慎重にあがっていく。
黒っぽい服装の人影は、足場の端の方でじっと息を潜めているようにも感じた。
4段ほど上りきると、ようやく姿がはっきりと見える。
女?
黒っぽいフリルの付いたミニスカートに、袖がヒラヒラとしたブラウス。背を向けているが、両手にはコンクリートブロックのようなものを持っているのに気付く。
明らかに工事関係者ではなく、不審者だ。
「おまえ、何してるんだ?」
俺の言葉にビクリとして背を向けたまま立ち上がる。
背丈は俺より頭一つ低く、服装の全体像も見える。スカートの下は黒いタイツにハイヒール。手首には小さなドクロのようなものが着いた腕輪。頭には黒の薄いベールのようなフードを被っていた。
いわゆるゴスロリというやつか。だが、なぜか懐かしいような気もした。なんだろう、この感覚。
「手に持っているそれ。まさか、通行人に投げつけるつもりじゃないだろうな?」
そう問いかけると、彼女は逃げるように足場の端からそのまま飛び降りる。
「待て!」
ここは3階ほどの高さはある。生身の人間が飛び降りて無事ですむわけがない。
俺は端まで駆け寄ると、その下を覗こうとして……。
**
スマホのアラームで目覚める。
寝ぼけた頭でスマホを取るとアラームを解除する。
そこに表示されるのは7:30という数字と、8月11日という日付。
「ん?」
寝ぼけた頭で考えるのは今見ていた夢。
夢?
そんなわけがない。8月11日はXデーだ。厚木さんが高酉に告白し、自殺する日。
ようやく乗り越えたと思っていたXデーが全て夢か幻だというのか?
俺は工事現場を調べていたときに左手の親指の先を切ったことを思い出す。が、指先は傷跡もなくきれいなものだ。
本当に夢なのか?
俺は飛び起きると、リビングへと向かう。この時間なら、母親はまだ出勤前だ。
「母さん」
俺はその背中を見つけると右手を母親の肩におく。
と同時に悪魔が起動。
『……緊急事態だね』
ラプラスも何かに気付いていたようだ。
「どういうことだ? 今日は本来なら8月22日だ。Xデーは超えたはずなのに」
『そうね。けど、土路栄里奈、あんたの母親の未来視では8月11日以降が見える。つまり今日はまぎれもなく8月11日』
「Xデーの作戦は俺の夢だってのか?」
『ううん。あたしも覚えているよ。あんたのゲスな作戦を』
「おまえが何かしたんじゃないのか?」
『あたしはあくまで未来視とその演算しかできない。それはあんたが一番わかってるでしょ?』
そりゃそうだ。そもそもラプラスは現実世界には直接干渉できない。
「じゃあ……まさか、あの時いたゴスロリ女が」
『それはわからない。けど、現段階で可能性が高いのはその子でしょうね』
「何者なんだ?」
『さあ?』
もし、今の状態が夢でないのなら、俺たちは11日前に戻されたことになる。
つまりリセット。
苦労して紡いだ俺の工作は全てなかったことにされている。何を行おうが、すべて帳消しにされる恐ろしい力だ。
「ラプラス。おまえみたいな神の能力を持つ奴が他にもいるのか?」
『知らないわよ、そんなこと。あたしは自分のことさえ、曖昧なんだから』
ラプラスが知らないというならば地道に調べるしかない。
けど……俺はあの後ろ姿を見て、何か感じたはずだ。
懐かしさ……いや、あんなイカれた格好を、この地域で見かけたことは過去に数度しかない。
そう、俺がずっと探し求めていた少女。自分を悪魔と呼ぶ謎の存在。あの子が着ていたものと酷似していた。
**
8月11日の作戦は、嗣森を二人にぶつけて流れを変えるというところまでは、まったく同じことを実行した。
ただ、有里朱さんの言葉が気になり、志士坂を無理矢理告白させて厚木さんに慰めさせるという策略は保留にしておく。
「ね、これで厚木さんの自殺は完全に止められるの?」
帰り道、志士坂が心配そうに聞いてきた。
「9割方な。ただ、厚木さんの周りの状況次第では再び自殺を考える」
本来なら、俺や志士坂の事を組み込んで計画は完璧となるはずだったのだが……。
「やっぱりそうだよね。ねぇ、土路くん。本当はこの後、何か次の手を考えているんじゃないの?」
考えていたが、今はその手を実行する気にはなれない。もしかしたらもっとベストな手があるのかもしれない。そもそも、あの案はギリギリで厚木さんの自殺フラグを止めるものだ。
「いや、ノープランだよ。これで時間は稼げたから、次の手を考えられる余裕ができたんだ。まあ、待ってろ。俺を誰だと思ってる」
自分を鼓舞する……いや誤魔化すために強気で発言する。
「手伝えることがあったらなんでも言って、あたし覚悟はできてるから」
真っ直ぐ向く志士坂が見ていられなくなり、目を逸らしてしまった。リセットされたとはいえ、過去に残酷なことを彼女に仕向けているのだ。罪悪感が目覚めないわけがない。
「おまえも傷つけるわけにはいかない……」
小声でぼそりと呟いたものだから、志士坂が「え? なに?」と聞き返してくる。
「なんでもねーよ。それよりも気になる事がある。今度の件も超常現象的な話だから、ついてこられないなら言ってくれ、納得いくまで説明してやる」
「う、うん」
俺は、ゴスロリ女とリセットの件を志士坂に話す。もちろん、その二つの件だけで、俺が志士坂に行った残酷な策略に関しては説明を省いた。
最初は首をひねっていた彼女だが、丁寧に説明したことで理解する。
「その人は敵なのかな?」
「案山にコンクリートブロックを落とそうとしたんだ。少なくとも味方じゃねえよ」
「でも、土路くんが昔、師匠と仰いだ悪魔と名乗る女の子に似てるんでしょ?」
「顔は見てないからなんともいえないが……」
「なにが目的なんだろうね?」
「案山への個人的な怨みか、それとも無差別な殺人なのか、今のところ曖昧な目的しかわからないな」
「じゃあ、とりあえずはい」
志士坂が自分の右手の甲を上に向けて俺の前に差し出す。
「え?」
「あたしに触れて未来予知をしていいよ。案山さん以外の視点からも未来は見た方がいいでしょ?」
「そうだな。ありがとう」
そう言って、彼女の手を握る。柔らかい感触、そういや直接彼女の手に触れるのは初めてだったな。そんなことを考えていると悪魔が起動する。
『落ち着いて聞いて』
「おいおい、開口一番でどうしたんだよ?」
いきなり深刻な声で語り出すラプラスに、俺は嫌な予感を覚える。
『未来が変わっているの』
「なんだと?」
『案山結子が死亡するのが3日後になって、そしてその2日後に今度は高酉亞理壽と厚木蒼が死ぬ』
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