出会いと、銃声

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出会いと、銃声

 青年・リンは緊迫した状態でも必死に考え事をしていた。  士官学校で頭に叩き込んだその知識で、この場を何とかできないかと頭を捻っていたが、しかし自分にはその知識を実行に移す能力がない事に気づき、彼はただ一般客と同じようにガタガタと震えることしかできなかった。 「おい、動いたら殺すぞッ!」  船内に響いた怒鳴り声は、この空遊艇(スカイボート)に居た全員の身体を強張らせた。怒鳴り声の主は、船内の一番前で乗客たちに銃口を向けていた。それを確認した乗員は、今自分たちが置かれている状況が「ハイジャック」である事をすぐに理解して、また恐怖で身体を小さく縮こませた。もちろんリンも例外ではなく、いくら教官の怒号に慣れていた彼でも、相変わらず急な大声にはめっぽう弱かった。犯人の怒鳴り声を聞くたびに、身体が驚いて石のように固まってしまう。そんなどうしようもない自分が情けなくて、惨めな気持ちで泣き出しそうだった。 「……最悪だ……」  リンはそうやって、頭を抱えて呟く。  今まで何度も死にそうになった事はあったが、それは士官学校で行った訓練での事だった。 「……落ち着きなよ、少年…」  座席で縮こまって怯えていたリンに向かって、隣に座っていた女性が眠たそうな声でそう言った。 「……?」 「…誰か助けてくれるかもよ…?」 「…そ、そんな…」  この場合、おそらく乗客を助ける役目を担うのは自分なのだろう。リンは一度そう思ってしまうと、誰かに頼るという思考に踏み出せなかった。それは、士官学校で散々叩き込まれた教訓のうちの一つだったからなのだろう。 「…僕が何とかしないと…」 「……でも、どうするのよ…?」  リンの隣にいた女性は、どういうわけか平然としていて、恐怖感はおろか緊張感すら感じていない様子だった。リンは、そんな彼女の不可解な余裕に圧倒される。 「…あなたは…?」 「…アタシは――」  彼女が、そうして自己紹介をしようとした時だった。犯人が、リンと女性に向かって「何喋ってんだッ」と大声を上げる。一般客は、それにまた怯えていて、リンは、やってしまった、と思った。  これ以上犯人を刺激してはいけない。  現在、この空游艇(スカイボート)を占拠している犯人は一人。それに対し、乗客の数は二十人を超えていた。もしも犯人が相当な精神異常者だった場合、これだけ人質がいれば簡単に人を殺してしまうだろう。その場合の被害者の数は、最悪二桁に及んでしまうかもしれない。  それだけは何とか避けなければ。  リンはそう思って、再び恐怖に怯えながらも頭を捻る。この場で犯人を刺激せず、かつ乗客の身を完全に護れる最善の手はないのだろうか。 「……なんで、こんな事に……」  リンはいつ恐怖に押し潰されてもおかしくないような頭でそんな事を考え始めた。  リン・ヨシハラ。  産まれも育ちも地球であり、今年で十七歳になる彼が、この世に誕生した頃には、もう既に世界は「世界政府(WGO)」により統制されていた。  完全なる世界の平和を実現するために結成されたその国際的な政府は、やがて深刻な人口爆発と、それに伴った犯罪率の上昇に頭を抱えるようになった。  そして世界政府は、革新的な手法に頼ることになる。  それが、――心理管理装置(ヘッドチップ)の開発であった。  世界人口の九十パーセント(残りの十%は十歳以下の子ども)に埋め込みを義務付けた“それ”は、あまりに革新的すぎる上に常に人権を侵すものだった。大脳に埋め込まれたマイクロサイズのヘッドチップは、完全な情報管理社会への実現と共に、チップを埋め込んだ者の思考回路を管理、把握してしまうものだったのである。  ようするに、世界政府の職員で閲覧権限を持っている者であれば、いつでも誰かのデータ化された思考を閲覧する事ができるということ。それは、かつて、どんな人間でも絶対に侵入する事ができなかった絶対的な領域に足を踏み入れるということになる。もちろん、当初は多大な批判を呼び、一度はこの案は否決となったが、それでも増えていく重大な犯罪に痺れを切らした世界政府は一部の反対派を押し切って、その「ヘッドチップ政策」を施行することにした。    すると、初めは反対派だった者達も、施行数年後には、もう大きく批判を訴える者たちは殆どと言っていいほどいなくなった。  それの大きな要因は、ヘッドチップが与えるサービスの充実さによるものだった。  銃撃音が鳴りやまなかったはずの醜い地球は、ヘッドチップの恩恵により、純然たる完全性を持った情報管理社会へと変わった。犯罪を犯そうとすると、その脳波をヘッドチップが認識し、世界政府管轄の特殊警察に犯罪信号(クライムシグナル)が送られる。結果として、ヘッドチップのおかげで犯罪を未然に防ぐことが可能になったのだ。それだけではなく、もしもその者が命の危険に晒されると、ヘッドチップがそれを読み取り、救急車を呼べるようになった。また、急激にキャッシュレス化が進み、もはや今となっては「ゲンキン」は昔の遺物へと変わっていた。  生活が豊かになり、重大な計画的犯罪を未然に防ぐことが可能になり、世界中の人間には笑顔が戻った。  世界から、銃声が消えたのだ。  それがリンが産まれる五百年前の話である。  しかし、リンが産まれた頃からだろうか。  どういうわけか、再び「ヘッドチップ政策」反対派の者たちが現れ始めた。  そして、また犯罪が起き始めたのだ。  ――偽造装置(ダミーチップ)の開発である。  大脳に埋め込んであったヘッドチップと全く同じ信号を世界政府のデータバンクへ常に送り続ける事で、あたかも「いつも通り平常である」と、コンピュータを騙すことが可能なのである。ダミーチップを代わりに埋め込んだ者は、ヘッドチップの特殊な医療サービスや購入サービスを受けられない代わりに、世界政府に脳内を覗かれることがない。だから、どれだけ犯罪的な危険な思考をしていようが、誰にも止められることがないのだ。  もちろん、世界政府も黙ってはいない。  出所不明のダミーチップ対策として、世界政府はある機関を立ち上げることになる。    それが――思想取締局(TEA)だった。  正式名称は「Thinker Enforcement Administration」頭文字をとってTEAと呼ばれているそれは、全人類の思想を取り締まる行政組織として作られた。ダミーチップを使用しているテロリストに対して、あらゆる武装が許可されており、その軍隊的な有様から世界軍と揶揄されることもある。ただ、確実にいえることは、TEAは現存している軍隊の中で最高峰の武装組織だった。  今年で十八歳になるリンは、十五歳の頃に士官学校に入学し、わずか二年でTEA局員へ正式採用される事になった。身体能力が低いのを加味したとしても有り余るその頭脳は、士官学校生時代にたった一人でTEA武装局員の新装備設計図を作り上げてしまうほどで、結果としてその新装備案は、TEA武装局員の「レベル5危険犯罪」鎮圧時に使用されることになるほどだった。  その功績により、異例の早さでTEA局員になった彼は、毎日のように働き詰めでオフィスに引きこもるようになる。  先日、そんな彼を見かねた上司が、たまにはゆっくり休んでほしいということで、彼に旅行を勧めた。――そして、今に至る。 「……どうすんだよ…」  やっと取れた休暇中ですら、彼はこうして頭が焼き切れるほど思考を巡らせていた。けれど、解決策がまるで見つからない。  空游艇(スカイボート)は、長距離移動が可能な小型の飛行機のようなものとして旅行会社から手配されている乗り物だ。見た目は、丸みを帯びたバスのようなもので、基本的にパイロットとCAが一人ずつ乗員している。 「……犯人は一人でしょ?取り押さえたら?」 「…簡単に言わないでくださいよ」  女性は、頭を抱えているリンにそう面倒くさそうに言った。リンはそれに小声で反応したが、女性は「あっそ」と素気ない返事をして窓の外を見た。  一方犯人は、運転手(パイロット)に銃口を突きつけたまま、もう片方の腕電話でどこかに電話をかけていた。  リンは犯人がなんの武器(ウェポン)を持ってハイジャックをしているのか、現段階ではいまいち決定できなかった。だから、最善手を打ち出すことができないのだ。 「犯人は今、何をしていると思う…?」  女性は、窓の外を眺めながら、リンにそう言った。 「…たぶん、空游艇(スカイボート)を一旦地上に下ろすつもりです…」 「…ほぅ…どうして…?」 「今、犯人は一般販売されているブレスレットで電話をかけてます。身代金の要求をしているのではないかと考えてはみましたが、それだとあまりにも頭が悪すぎる。逆探知されてブレスレットの緊急システムでブレスレットごと手首の動脈を吹き飛ばされるのがオチです。ですから、今犯人が電話をかけているのは警察ではないと思います」 「…じゃあ、誰…?」 「共犯者(オトモダチ)でしょう。見たところ、犯人は旧時代の自動拳銃一式しか持っていないようですし。武器と仲間をそろえて、改めて身代金を要求するのでは…?」  リンの頭脳と観察眼は、こんな緊迫した状態でも依然として優秀だった。 「……さすが、噂通りね」 「噂…?」  女性は、リンの疑問そうな顔を後目に、未だに窓の外を眺め続けていた。窓の外の景色が少しずつ地面に近づいているのにリンも遅れて気づく。リンと女性が座っている場所から運転手と犯人の会話を聞くことはできないが、おそらくリンの推測は当たったのだろう。 「ここからどうする…?」  他の乗客が、空游艇(スカイボート)が降下しているのに気づき始めたところで女性がリンに訊いた。リンはそこで改めて隣に座っている女性の容姿を確認する。  眩いほどの輝きを見せるブロンドヘアーと、透き通る白い肌、紅が引かれた唇に、リンは思わず目を奪われた。見惚れていたといえば、そういう事になる。 「…えっと…」  リンは分かりやすく動揺した。先程までの犯人の怒声なんて、もはや彼の頭の中にはなく、ただ彼女の碧眼に吸いこまれていた。何も考えられなくなり、思考が完全に停止する。教官に厳しい鍛錬を強いられて失神した時ですら、彼の頭は辛うじて働いていたというのに、今、たった一人の女性の目を見ただけで、リンの思考は完全に停止した。 「…なに…?」 「あ、いや…なんでもないです…」  数秒経って我に帰ったリンは、すぐに意識を別のものに移す。いつの間にか、空游艇(スカイボート)は地上近くにまで来ていた。  降り立つのは、普通道路。一般自動車は、突如本来の空中航路を無視して地上の道路を妨害してきた空游艇(スカイボート)を避けて通り始めた。 「――おい、誰か来いッ!」  すると、犯人が客席に向けて大声を上げた。乗客はまた恐怖で肩をきゅっと(すぼ)めるどうやら、犯人は人質を要求しているらしい。 「…TEAが来たみたいね」 「…そのようですね…」  窓の外、地上の道路際には武装をしたTEAが電磁シールドを展開させて待機していた。リンと女性側の窓からでは共犯者の様子は窺えなかったが、おそらく近くにまで来ているのだろう。 「アタシが行くわね」 「――待ってください…」  女性は、誰かが人質にならなければならない状況で、真っ先に立候補しようとしていた。けれど、いくら研究部に所属しているリンとはいえど、彼は士官学校を卒業している。身体に刻まれた訓練の証が、黙ってはいなかった。 「―――」  リンは黙って手を挙げた。  それを見た犯人は、リンに「こっちに来い」と指示をする。彼はそれに大人しく従った。乗客が不安そうな顔でリンを見る。リンは、そんな乗客たちに向けて、精一杯笑って見せた。  犯人のそばまで来たリンは、そんな状態でも、この状況での最善の手を思索していた。犯人は、一見ただの気弱な青年に見えるリンの首を掴み、銃口を突きつけた。リンの恐怖メーターが最大値を叩き出したが、ここで泣き出すなんて事はしてはいけないと、必死に唇を噛みしめる。 「おいッ!このガキがどうなってもいいのかッ!」  空游艇(スカイボート)の扉を荒々しく蹴り開けた犯人は、リンの耳元でそんな風に大声でTEA局員たちに威嚇した。 「てめェらは何もするなよッ!」  そう叫んだ犯人は、リンと身体の位置がTEA局員たちと直線で重なる位置に移動する。もし狙撃で犯人の身体に穴を開けようものなら、ついでにリンの身体にも大穴が開く事になる。 「…僕の事はいいので撃ってくださ――」  リンがそう言おうとしたところで、犯人に口を塞がれる。次喋ったら殺すぞ、という事を表しているのはすぐに分かった。  すると、銃を構えているTEA局員たちの後ろから、やけに重厚な武装をした五人が現れた。 「………」  リンは、それがすぐに犯人の共犯者たちであると分かった。旧世代のアサルトライフルを肩からぶら下げている彼らは、同じく旧世代の防弾チョッキを着て、武装したTEA局員たちに不適な笑みを浮かべていた。そして堂々とTEA局員たちを通り過ぎて空游艇(スカイボート)に乗りこもうと歩いてくる。きっと共犯者たちは、乗客にさらなる恐怖を与えるはずだ。 「……くっそ…」  リンの心の中で、恐怖の感情が唐突な変化を迎えた。それは、怒りか、悔しさか、もしくはその両方か。 「……――大人数で武装しないと、まともにハイジャックすらできないんですね」  リンは、空游艇(スカイボート)の扉を通ろうと自分の横を横切った先頭の共犯者にそう吐き捨てた。 「あ?なんだお前」  共犯者が鋭い眼光でリンを威嚇する。犯人は、リンのこめかみに銃口を突きつける。リンは、銃口の冷たい金属を確かに感じた。けれど、彼の中に恐怖の感情は残っていなかった。  そんなリンの反抗心の宿った目を見た共犯者はリンの顔面を殴打する。確かな痛みが顔面に走る。口の中が切れたらしい。歯茎まで真っ赤に染まった口で、リンは自分を殴った共犯者に笑って見せる。 「…なんだ、お前…」  リンの事を奇異な目でみる共犯者に、彼は笑いながら立ち上がって同じように睨みつけた。 「あんたたちが、嫌いな人種ですよ」 「――」  リンは、そう言った瞬間に共犯者が警戒体勢を取るよりも速く、後ろポケットに緊急時用に携帯してあったスタンガンを取り出した。けれど、それで攻撃しようと腕を伸ばしたところで他の共犯者に身体を抑えられる。そして、流れるように腹に殴打され、ついに痛みに悶えてしまう。 「こいつは殺しておこう、TEAたちに見せしめだ」  どの共犯者が言ったかリンには分からなかったけれど、今自分の後頭部にある感覚は、おそらく銃なのだろうと察する。もうすぐ自分は死ぬのだろうか。もしかしたら、自分は軽率な行動をしたのかもしれない。結局、自分の身体能力では、この犯罪集団をどうにかすることはできなかったし、もしかしたら――いや、もしかしなくても――この行動は最善の手とは程遠かったのかもしれない。  トリガーに指をかけた音が聞こえた。あと数センチ指を奥に持っていけば、自分の後頭部に親指ほどの穴が空くのだ。  ごめん、僕は結局なにもできなかった。 「――かっこよかったよ、アンタ」  誰かの声が聞こえた。  透き通るような声で、けれど、どこか強い口調で。  その瞬間、耳を劈くような銃声が空游艇(スカイボート)に響いた。けれど、頭蓋骨を貫かれたのはリンの方ではなかった。  客席から悲鳴が聞こえる。  その訳を、リンは一瞬困惑して理解した。  空に舞う自分以外の誰かの血液。リン以外の誰かの死体が、彼の身体に無気力に覆いかぶさる。 「う、うわぁあっ!」  リンは、すでに息の根を引き取った犯人の死体に思わず乗客と同じように悲鳴を上げる。共犯者は、一体何が起きたのか理解できていなかった。外にいるTEA局員たちに狙撃はできない。ならば、犯人を撃ったのは、一体誰なのか。 「動かないでね、あと五発しかないから」  そして、――バンッ、バンッ、と、思わず耳を塞ぎたくなるような銃声と共に、リンの周りにいた共犯者たちの頭は激しい血しぶきを上げて吹き飛んだ。  重厚な装備などお構いなしに、共犯者たちの頭は次々に撃ち抜かれていく。そのたびに、生々しい鮮血が空游艇(スカイボート)の壁に飛び散っていた。 「あ、一人逃した…、一発外しちゃったか~」  銃声がやっと鳴りやんだかと思えば、リンはその声がした客席の方を見る。 「大丈夫?ぼく?」  拳銃で共犯者たちと犯人の頭を打ち抜いたのは、リンの隣に座っていたはずの女性だった。手に持っているのは、リンが開発した兵器の一つである緊急時用の携帯拳銃。弾は六発込められていて、一人逃したということは、一発外したということだ。それでも、何の容赦もなく人間の頭を撃ち抜く精神力は凄まじいものだった上、なによりTEAの武装局員がプライベートの時にだけ携帯させられる拳銃をどうして持っているのかリンは気になって仕方がなかった。 「中々いいガッツだったね?」 「…が、ガッツ…?」 「あぁ、これは死語か」  女性は、そうやって笑いながらリンに近づく。 「まさか…」 「えぇ、そのまさかよ…」  女性はそう言いながら、扉から外を覗いた。奇跡的に女性の銃撃を逃れた共犯者の一人は、案の定、他のTEAの武装した局員に取り押さえられていた。 「なんとか、なったわね…?」  女性は、そう言って、いつの間にか腰が抜けて地面に尻餅を着いていたリンに手を差し伸べた。 「は…はい…」   リンは震える声でそう言う。けれど、彼の身体を動かしていた怒りのような感情は、血しぶきと一緒にどこかに消し飛んでしまったらしく、もはやまともに差し伸べられた手を取ることすら叶わなかった。    女性は笑う。  乗客の中には、目の前で起きた惨劇に涙を流す者すら居た。  どうせならリンもそうしたかったけれど、彼は再び彼女の碧眼に吸い込まれてしまって、泣き出すことすらできなかった。 「アタシの名前は、ティア。あなたと同じTEA局員よ。とはいっても、あなたとは所属している部署が違うけどね」  そして、女性は手を差し伸べる事のできなかったリンの横を通り過ぎる。 「あなたとはまたすぐに出会う事になると思うわ。その時はよろしくね」  そう言ったティアは、優しく笑いながら血まみれになった空游艇(スカイボート)の扉を抜けていく。  リンは放心状態になりながらも、ティアの慈愛が含んだ笑顔が脳裏について離れなかった。      
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