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コーヒーが冷めるまで
あれから彼に新しい恋人が出来たという話は全く聞かない。
というか、本当に実行すると思っていなくて正直少し驚いている。
いつもの喫茶店のいつもの席。
窓際の、日が傾くと少し西日が眩しい席でコーヒーカップを握りながら何となく店内を見渡した。
平日の午後、客足はやっぱり少なくて、店の経営は大丈夫なのかと若干心配になる。
しかしここのコーヒーが俺には一番のお気に入りで、繁盛したらしたでそれは複雑な心境になる気がする。
独占欲ってやつかな。俺の好きなものは、あまり有名にならないで欲しいなんて。
自分勝手な話だよな、全く。
本当に自分勝手な話。
恋人と居ることがなくなって自然とまた当たり前のように俺の隣に居座るようになったこいつを見てやけに安堵する自分に苛立ちを覚える。
カフェオレにまた何個も角砂糖を入れながら掻き回すその姿は、当たり前だけど子供の頃と比べると大分成長した。
味覚はそのままみたいだけど。
スッと通った鼻筋に開くと割と大きい目。普段は瞼が半分くらい眠そうに閉じてるけど。それから色白の首に影を落とす喉仏ややっぱり赤みがかった染めてるみたいな髪色。
これで地毛なんだって。子供の頃は馬鹿にされてたのを、俺がよく庇っていた気がする。
髪色と同じく少し赤みを帯びた瞳はずっと砂糖と混ざり合うカフェオレを覗いていた。砂糖が溶けゆく様をぼうっと眺める姿は砂場で遊んでいたあの頃を少し思い起こさせる。
もう随分、大きくなったっていうのにこういう子供らしいところは変わらない。
「…今日も告白されてたな」
「見てたんだ」
「見えたの」
「ちゃんと断ったよ」
「どっちでもいいよ」
「今までも、そうだった?」
カフェオレに注がれていた視線がふと俺に絡んで、やけに甘ったるい匂いが辺りに立ち込めた気がした。
じいっと穴が開きそうな程見つめられると嫌でもこいつのペースに飲まれてしまいそうになる。
昔から、こいつの真顔は苦手だった。だって何か逆らえなくなる気がするんだもん。圧がすごいって言うんだろうか。
「今までも、とは?」
「俺が告白されて誰かと付き合っても、本当にどうでも良かったのかってこと」
「それについては十分言ってきたハズだろ」
何を今更。
どうでもいい、めんどくさい、余所でやれ。こいつに恋愛に関する相談を受ける度に俺が発してきた言葉だ。
それが答えだろ。何を今更拗ねた様な顔してんだ。
「俺、やっぱり『好き』とか『愛してる』とかよく分かんないや」
「あれだけ色んな人と付き合っておいて?」
「数じゃないだろ」
「説得力のあるような、ないような」
「なぁ」
「んだよ」
「どうしたらいいと思う」
「なにを」
「勉強とか運動だとさ、やればやった分だけ成果が出るじゃん。だからひたすらにドリョクすればいいだけだった。だけどどれだけ頑張ってみても、どうも思い通りにいかないことってあるじゃん」
「…ある、かな」
「あるんだよ。それで、色んな方法試してみたけどやっぱり駄目で。そういう時、お前ならどうするかなって」
「んー。直球勝負でいーんじゃん?」
珍しく落ち込む様子の幼馴染みにそう答えると、彼はまるで思い付かなかったというような驚きを浮かべて俺を凝視していた。
いや寧ろ何で今まで思い浮かばなかったんだ。馬鹿だ。正真正銘の馬鹿がいるぞ。
まぁ馬鹿は、俺も同じか。
一度抱いた希望を打ち砕かれるのって、結構堪えるじゃん。
だから俺は何にも知らない、気付かないフリをして馬鹿な真似を続けるこいつを見守ってきた訳だけど。
多分その結果、多くの人達に迷惑を掛けたのかもしれないけど。
「秋月。一度しか言わないから、よく聞いて」
「んだよ」
「好きだ。愛してる」
「俺、そのコトバ嫌いなんだよね。お前が言うと殊更」
自分でもその言葉は嫌いって言っていた癖に、結局はその言葉に頼るんだ。
その器にどれだけの想いが含まれているかなんて露とも知らない俺は少しムッと唇を尖らせたが、身体は素直に鼓動を速くする。
沸き起こるよく分からないこの感覚は憎らしいのにやっぱり、手放せない。
「ひねくれてんなぁ…。知ってたけどさ」
「だから態度で示してよ、彼方。それなら考える」
「本当に?いいの?後悔しない?」
「何でそんな…え、後悔するの?俺」
「分かんない。けど十数年分だよ?貧弱なお前に受け止めきれるかな」
「言い方が不穏だよ…。小出しにしてくれ」
「ふはっ、分かった。努力する。…出来るだけ」
「うっわぁ…。信用ならねぇ」
コーヒーカップに口をつけると、もうすっかり中身は冷え切っていた。
今まではコーヒーが冷め切るまでずっとつまらない失恋話を聞かされてきたけど、今度は。
いや、これからは一体どんな話をするのだろう。
気まぐれでブラックコーヒーに角砂糖をひとつ入れてみた。うん、甘い。
冷めたコーヒーに混ざりきらなかったそれはやけに口の中に染み付いて、暫く取れやしなかった。
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