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9 ああ、やっちゃったー
オフステージ(こちら空堀高校演劇部)9
ああ、やっちゃったー
近頃は世界中が日本ブームだ。
昨年は、日本に来る外国人観光客が3000万人を超えた。
治安は良いし、食べ物は美味しいし、観光地も穴場もクールだし、カルチャーはホットだし、最近では大地震。
地震の凄さにもタマゲタけども、日本人が冷静で礼儀正しく静かな忍耐と情熱で対処していることに、17歳の留学生であるミリーは感動している。
同時に当惑している。
なぜって……身近にいる日本人には、それほど感動もしなければ尊敬の念も湧かないから。
中学3年の時に、ミリーは日本にやって来た。
中学は最悪だった。生徒はいちおう大人しくしているけど、だれも授業をまともには受けていない。勉強ができる子たちでも例外ではなく、ノートだけとってしまうと、あとは塾の勉強をしている。
先生たちも授業は下手くそだ。男の先生は、音楽でいうと、ド・レ・ミの3音、女の先生は、ミ・ファ・ソの3音声しか出していない。リズムは大陸横断鉄道のレールの音のように単調。「驚くべきことに」とか「ここ大事だから」と言うのに、先生自身が驚いていないし、大事だと言う気持ちが無い。ただ声が大きいだけ。
4月には家庭訪問があって、留学生のミリーは下宿している渡辺さんのお婆ちゃんと奥さんに親代わりに会ってもらったんだけど、先生が居たのはたったの5分。先生の目はスミソニアン博物館のはく製の目みたいだった。
先生がテーブルに置いた手帳にはスケジュールが書かれていたが、驚くべきことには、その日の家庭訪問は11軒もあった。それも、午後1時30分の開始だったから20分ちょっとの時間で移動して話を済ませなければならない。こんな家庭訪問ではアリバイにしかならない。
先生がいないところで、生徒たちは、いいかげんだ。
学年はじめの物品販売にやってくる業者のオジサンに平気で「オッサン、はよせえよ!」などとため口をきく。パシリやイジメは日常茶飯。相手が死にたいと思う寸前まで巧妙かつしつこくやっている。
ミリーも一度、授業中にしつこく髪の毛を引っぱられたことがあった。5回めにはキレてしまって、授業中であるのにもかかわらず、後ろの男子生徒の胸倉をつかみ、英語で罵りながらシバキ倒した。ミリーの剣幕は相当なものだった。なんせ相手がピストルを持っている心配が無い。ナイフとかスタンガンを持っていることも、まずあり得ない。武器さえ持っていなければこわい者なんかない。
ただ、相手の男子が「自分は悪いことをした」という反省にいたらず「自分は悪い奴に出くわした」としか思わないことが業腹だった。
グラウンドでボンヤリと野球部の試合を見ていた。
白熱した試合で延長戦になった。中学野球は7回までで延長戦も8回の表裏をやるだけなんだけど、ピッチャーは1回目から力を入れ過ぎて限界なのがミリーには分かった。
――体も出来ていないのに、あれじゃ肩壊してしまう――
ピッチャーはクラスメートの男子で、ほとんど口も利いたことがなかったが、野球という日米の共通文化だったので力が入った。
8回の裏、ツーアウト満塁で最後のボールが投げられた。バッターは空振りし、かろうじてミリーの真田山中学が勝ったが、ピッチャーは肩を押えて蹲ってしまった。
――ああ、やっちゃったー――
ピッチャーは、わずか14歳で投手生命を失ってしまった。
そのピッチャーは、それきり野球部を辞めてしまった。それまでミリーにとっては口数の少ないクラスメートに過ぎなかった。
それがイヤナ奴になった。とくに悪さをするわけではないが、ジトーっと暗くなってしまい、まるでブラックホールのようになってしまったのだ。肩を痛めてしまったことは気の毒だけれども、席の近くでマリアナ海溝のように落ち込まれてはかなわない。
高校では一緒にならないことだけを祈った。
そして祈りの甲斐なく、空堀高校で一緒になってしまった。
それが一人演劇部の小山内啓介であったのだ。
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