バラエティ番組“炎の冒険者”

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バラエティ番組“炎の冒険者”

 ダンジョン出土から1年の月日が過ぎ、法整備が進みダンジョン探索は国が定める講習を受け、きちんと資格試験に合格した者のみが入場を許可されるようになった。それでも、まだダンジョン内のアイテムやモンスターの素材などは調査不足により現代のような買取制度は整っていなかった。  そんな状態で無謀にもダンジョン内での活動をビジネスに繋げようといち早く飛び込んだのがテレビだった。当時は番組ディレクターの無茶振りに出演者がドクターストップをかけられることが日常のような視聴率の取り方をしていた。着の身着のまま無一文で世界を一周するような試みが当時は大人気だったのだ。本人の意思と関係なく目隠しをされて連れてこられているので、テレビでなかったら犯罪だ。テレビであっても出演者が次々栄養失調や過労から病気になって入院してしまうのは、今考えると本当に伝説と呼んで良い娯楽だったのかと甚だ疑問だが、この“炎の冒険者”も然りであった。  MCのコンビ芸人と、同事務所の後輩数名が日本ダンジョン探索調査士試験を受ける第一回放送の後、合格者はダンジョンへと侵入する。もちろん、番組スタッフも若手が試験を受けた。そのため映像は素人と変わらないレベルのものだった。  カメラマンが洗礼を受けては高価なカメラがダメになってしまう。マイクも濡らしてはいけない。様々な制約とともに、番組のその日の損失額がいくらになるか、オマケでしかないそのコーナーが一番の高視聴率を毎週叩き出すような有様だった。  初めのうちは、命がけの賞金バトルとCMなどでは宣伝していたが、次第に買取制度が整備され、ダンジョン内で取得したアイテムの販売額で競われるようになっていった。  初期では、どちらのチームが多くモンスターを倒せるか。倒した敵の強さやドロップしたアイテムの数などで競っており、勝利チームが100万円の山分けという内容だった。  番組の途中、ある芸人がボケのつもりでスライムを空のペットボトルに詰めて、相方の芸人に飲ませるという、今では無害とされているがなんの情報もなかったあの頃に気まぐれで行ったイタズラから、現代のヒット商品と呼べる“スライム水”は生まれた。おかげで負債が多すぎて破産しかけた状況は改善され、それから5年ほどお茶の間を賑わせた。  さらに数年。2011年のあの日まで、ダンジョンは大いに賑わいを見せた。
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