私の日常

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私の日常

 私はとうとう(とら)われてしまった――。  現代の王子様と世間で騒がれている、一条財閥の御曹司(おんぞうし)―― 一条 菊花(きっか)に。  甘い言葉と罠で、人里離れた別荘へ連れてこられ、気がつくと薄暗い部屋で椅子に縛りつけられていた。窓で四角く切り取られた青白い月明かりは、床でやけに()()えとしている。  闇の中から、カツンカツンと恐怖が忍び寄るように、ロングブーツが近づいてくる。逆三角形のすらっとした背の高い男が、月明かりの中に浮かび上がった。  肩よりも長い紺の髪は(もてあそ)び感を表すように、緩いカーブを描いて背中へ流れていた。頬はどんな洗顔フォームを使っているのか聞きたくなるほど、滑らかで色白。  水色の瞳は冷静だが、その奥には激情という(けもの)が潜んでいる真逆の魅惑。まつげはビューラーで巻いたのかと思うほど綺麗なカーブで、中性的な雰囲気が妖艶(ようえん)さに拍車(はくしゃ)をかける。  カツンカツンと近づいてくる足取りは、貴族的で物腰は丁寧。 「どのようにしてほしいのですか?」  この声は反則だ――私はそう思う。人を惑わせるような質感――あえていうなら、遊線(ゆうせん)――こんな言葉は存在しないが、それが螺旋(らせん)を描く優雅で芯のある、高低の両方を含む男の声。  聖女になるつもりが、性奴隷になってしまう――!  私は必死の形相(ぎょうそう)で訴えた。 「何を言わせるつもりですか?」  菊花は優雅に微笑みながらも、 「私の質問に答えてください」  質問したのに、仕返してきた、この女は自身の状況がわかっていないようだ――と彼は思った。一ミリのズレも許せない。ルールはルールが絶対の、神経質な顔立ち。  大ピンチを迎えているというのに、私は彼の美しさに思わず見惚(みと)れ、言葉をなくした。 「…………」  菊花はくつくつと笑って、 「仕方がありませんね」  ふたりきりの部屋に鋭い音が、  ピシャン!  と、闇を引き裂くように鳴り響いた。 「きゃあああああっ!」私は思わず悲鳴を上げる。菊花の手に握られているものを恐る恐る見ながら、 「ど、どこから、(むち)を持ってきたんですか?」 「今から五つ前の、私の質問にまだ答えていませんよ」  やけに細かい性格だな――そう思いながら、椅子に拘束された身で、私は何とかこれを解こうともがくが、鞭がいつ自分へ(やいば)を向けてくるのかと思うと、下から火で(あぶ)られるような焦燥感だけが(つの)ってゆくのだった。 「答えていただけないみたいですから、私が決めますよ」 「え……?」  勝手に進んでしまった物事に、私があっけにとられていると、 「っ!」  菊花は力んだ吐息をもらし、鞭が私に向かって、  ヒュルヒュル!  と伸びてきた。  このまま(なぐさ)み者になってしまう――! 「くっ!」  思わず目を閉じそうになったが、それでは相手の思うがままだ。私は恐れず、菊花の冷酷な水色の瞳をじっと見つめた。  すると、鞭は私の頬をかすめるように通り過ぎてゆくのだった。 「あれ?」  はずしたのか――。素早く振り返ると、背後に机があった。その上に、『媚薬(びやく)』とわかりやすく書いた(びん)が。そこへ鞭は、  シュルシュル、シュパン!  と、グルグルと器用に巻きついて、菊花へと戻り出した。  空飛ぶ媚薬―― 「あぁ……」  あまりのことに、私はバカみたいにぽかんと口を開けたまま、瓶を目で追ってゆくと、菊花の手元へ収まった。  あれを飲まされたら最後――私は王子の(みだ)らな(うたげ)(にえ)となるのだ。  菊花は神経質な手で瓶のフタをはずし、中からだけ取り出して――いや、だけ取り出して、瓶は床へと落ち、  ガシャン!  と派手な音を立てて砕け散った。  私は気が動転していて、思わず聞いてしまった。 「一条さん、何かやってるんですか? 鞭の扱いがずいぶん上手なんですが……」  どちらが主人なのかまだわかっていない女へ、菊花は足早に近づいてきた――     * 「――はぁ〜」  盛大なため息がもれた。優しい陽だまりの中で、パチパチとさっきからパソコンのキーボードを叩いていた音がやんだ。  私は髪をぐしゃぐしゃにかき上げ、今書いた文章を目で追う。 「シリアスシーンを書いてると、絶対にギャグになっちゃうんだよなあ」  ショートカットキーで全てを選択し、ディレイトで今の物語はパソコンの画面から一瞬にして消えた。昔でいうところの、ぐしゃぐしゃに紙を丸めて、ゴミ箱に投げたが入らなかった――そんな気分である。 「やっぱり、ラブコメとかのほうが向いてるのかも?」  ショートカットキーで作業をひとつ前に戻し、無事にさっきの物語が画面に蘇った。 「……。どこかに入れたいな、このセリフ――」  不意に部屋のドアがノックされた。 「はい?」 「颯茄(りょうか)ちゃ〜ん!」  そこまでは普通だったのだが、次から違った。ドアの向こうで、ソプラノの声が急に歌い出した。 「紅茶〜♪ それは〜安らぎのひととき〜♪」  ミュジーカル映画も真っ青な急展開で、 「こんにちは!」  次いで、セリフが入った。このままいくと、私――颯茄も道連れとなるところだが、 「楽主(らくす)さん、こんにちはですけど、部屋に入ってください」  放って置いたら、いつまでも廊下で歌い続けそうな勢いだった。  ドアまでいって開けると、お姫様みたいなドレスを着た女がにっこり微笑んでいた。その顔立ちは、神がかりな美しさで、初めて会った時には、こんなに綺麗な女の人が世の中にはいるのだな――と、深く感心したものだ。 「ありがとう」宝石が輝くような笑みを見せた、この女はである。姉妹でもなく、女友達でもなく、妻――配偶者である。  デフォルトでファンタジーな人で、楽主は運んできたトレイをテーブルに置いて、 「紅茶に魔法をかけましょう!」  と言って、一瞬にして花びらが部屋の床に、何もないはずの天井から落ちてきた。見渡す限りのお花畑が衝撃的に登場である。 「魔法使い……」  本当に使える妻で、ファンタジーを極めた人。  パソコンはそのままに、颯茄はせっかく持ってきていただいた紅茶をご馳走になろうとすると、楽主に手を取られた。 「さぁ、アフタヌーンティのダンスを踊りましょう!」 「え、え……?」  ついていけない――いや、妻は結構こういうノリは嫌いではないので、妻と妻が手と手を取り合い、舞踏会でワルツを踊るようにくるくると回り出した。 「私とあなた〜♪」 「あなたと私〜♪」  夫婦――いや婦婦(ふうふ)だけに息もぴったりで、歌いながら踊る。紅茶を放置して。 「幸せは〜 いつも〜 紅茶と一緒にやってくる〜♪」  空想世界で、颯茄もドレスをいつの間にか着ていた。宮廷楽団が奏でるワルツを、キラキラと光り輝くシャンデリアの下で踊る。ターンを決めて、また歌い出そうとすると、ドアがノックされた。 「はい?」  楽主のファンタジー世界に手を引っ張られながら、現実へとしっかりと戻ってきた。すると、ドアの向こうから、 「颯? 今よろしいですか?」  男の声が響いた。颯茄が反応する前に、楽主は胸の前で夢みがちに手を組んで、 「(ひかり)〜!」  ドアの向こうにいる人の名を呼んだ。 「やはりこちらにいたのですね」と言いながら、男は開けたドアの隙間から顔を覗かせた。  冷静な水色の瞳。神経質な顔立ち。中性的な雰囲気で、紺の長い髪は縛らず、胸へと落ちていた。逆三角形ですらっと背が高く――つまりは、さっきの小説で、一条のモデルになった、――光命(ひかりのみこと)である。 「ちょうどいいところへ来たわ。今から、アフタヌーンティの歌を歌うのよ」  楽主のミュージカルはまだまだ続こうとしたが、遊線が螺旋を描く優雅な声で、光命はエレガントに断った。 「私は歌は遠慮しますよ」 「光はピアニストだものね」楽主はにっこり微笑んだ。 「えぇ」  部屋の主人を残して、ふたりで手を取り合い見つめ合っている。それも仕方がないだろう。なぜなら、楽主の夫でもあるのだから、光命は。ということで、光命にとっては、颯茄と楽主が妻ということだ。 「とにかく、紅茶飲もうよ」  床に散らばった花びらを踏みながら、颯茄は椅子へ座ろうとした。すると、光命のすぐ隣に人影が立った。 「光――」  奥行きがあり、人を惹きつけるような少し低めの男の声が呼んだ。銀のサラサラの前髪は片目を隠していて、その瞳は鋭利なスミレ色。天使みたいな可愛らしい顔をしていたが、愛想など不要と言わんばかりに、超不機嫌な表情で、せっかくの可愛らしさが台無しにいつもなっている、――(れん)である。 「部屋の中にいきなり瞬間移動してくるなんて。ドアから入ってきてよ」  いくら夫婦でも、エチケットというものはあるはずだ。 「お前に用はない。光に会いにきただけだ」  妻はアウトオブ眼中である。口を尖らせていると、蓮と光命のまわりだけ、赤い薔薇の花びらが天井から降ってきた。見せ場のラブシーンですと言わんばかりに。  蓮もまた魔法使いで――というか、 「誰が部屋を掃除するんだ!」床を花びらだらけにして。 「お前の頭は砂粒みたいに小さいんだな」蓮がひねくれを言うと、一瞬にして床に散らばっていた花びらを魔法で消し去った。 「ふんっ!」勝った――的な笑みで、蓮ににらみつけられた。 「冗談が通じないなあ。真っ直ぐな蓮には〜」  颯茄もにらみ返して、バチバチと火花を散らしつつ、心の中で時々ボケている夫にツッコミ――  光さんとまだ何もしてないのに、薔薇の花びら消したら、出した意味ないでしょ!  颯茄たちの間にいた光命は軽く息を吐いて、 「蓮、どうかしたのですか?」  彼女から視線をさっとそらして、蓮は光命をじっと見つめたのだが、どんどん顔が近づいてゆく。 「…………」  妻ふたりが見ている前で、夫と夫が甘くとろけたみたいな瞳で見つめ合いながら、キスをしようとする。  どっちかの部屋でやって、ラブシーンなら――。  文句を言おうとすると、またドアがノックされ、 「いるかい?」粋のいい女の声が響いた。 「覚師(かくし)ちゃ〜ん!」楽主は純粋に喜んだ。  颯茄は意外な人が来たものだと思って、キスをしている夫たちが視界に入らないように、ドアをじっと見つめた。 「開いてるよ」 「夕霧のことなんだけどさ」  ドアは開かないまま、瞬間移動で人がすっと現れた。胸の谷間がよく見えるセクシーな服装をしている女も、である。ちなみに、夕霧とは――私と覚師、そして楽主の夫である。もちろん、キスに夢中な蓮と光命の夫でもある。正式な名は――夕霧命(ゆうぎりのみこと)。 「どうかしたの?」 「まったく修業バカでさ、今日の昼に戻ってこなかったんだよ。あんたから、注意してくれないかい?」  自宅にいるにはいるのだが、武術の修業に夢中で、時間を忘れることがしばしばな夫だった。 「またですか? でも、私が言うと夕霧さん(へこ)むらしいからなあ」 「私もそちらのお願いに来たのです」甘い口づけから、デジタルに現実へ戻ってきた光命が言った。彼が部屋を訪れたのはそういうわけか。  光命といえば、夕霧命――といういくらい、おしどり夫婦――ではなく、おしどり夫夫(ふうふ)だ。一番、話を聞きそうなものなのにおかしい――。 「何か新しい技でも思いついて、夢中になってるのでは――」 「――すまん、遅くなった」地鳴りのような低い男の声がすぐ近くで、突如した――いや、瞬間移動してきた。  だから、部屋のドアをノックしてから、入ってきて――! 「あんた、もう三時過ぎだよ。子供たちほったらかして……」  覚師が文句を言っていたが、夕霧命の無感情、無動のカーキ色の瞳は、颯茄に向けられていた。 「剣の扱い方を教えてほしい」  武道家の夫に、妻の私が聞かれるのもおかしな話だが、 「どんな状況?」何なく、夫の話に耳を傾ける。 「日本刀を持っているが、相手に瞬間移動をかけられ、刃先が自分のほうへ向いてしまう」 「武器に瞬間移動をかけるのは、ルール違反じゃないんだ」 「そうだ。それも技のひとつだ」 「高度な武術界だなあ」  地球で生きていた頃のことを思い浮かべる。瞬間移動で相手の武器を消したり、自分へ持ってきたりは誰もできないだろう。合気(あいき)という武術なら別の話だが――。  その時、颯茄の頭の中でピカンと電球がついたような気がした。 「自分の武器に合気をかけておく! どう?」 「日本刀に合気をかける……?」  上が白で下が紺の袴姿をした夫は、真剣に考え出した。もちろん合気もできる。 「だって、合気って触れてれば、相手にかかるんでしょ? だから、日本刀で合気をかける前の準備をしておけば、相手から瞬間移動をかけられても、払えるんじゃないかな?」 「んー?」  腹の低い位置で腕組みをして、夕霧命は頭の中で何度もイメージを作る。  即答ではないところ見ると、どうも空前絶後のことを言ってしまったみたいで、颯茄は気が引けた。 「まあ、机上(きじょう)の空論だけど……。これを実践するのは夕霧さんだから、実際できるかどうかわからないけど」 「やってみる」そう言って、夕霧命はまた修業に出かけそうだったが、 「ねぇ? 子供たち入りたいって」街でナンパでもするような軽薄的な声が聞こえたと同時に、部屋のドアが勝手に開いた。  一度見たら一生忘れられないような、ルビーのようにキラキラと輝く印象的な赤い目がふたつ。黒いボブ髪で、彫刻像のように彫りの深い芸術的な顔立ちの男――焉貴(これたか)――である。いや、ここにいるみんなのである。  そんなことよりも、ノックもせずに部屋に入ってくるとは、一体我が家のエチケットはどうなっているのだ!  と、文句を言う前に、幼い声が嬉しそうに響いた。 「あ、紅茶、僕も飲みたい!」  誰に似たのだろう。丁寧な物腰。きっと、光命とかだろうなあ。 「僕も!」 「僕も入れて!」  濁流の如く、子供たち――五歳児がドヤドヤと部屋になだれ込んできた。 「僕、クッキー作ったよ!」  今度は花びらの代わりに、子供たちが床を埋め尽くす。ただ、彼らは(とど)まることを知らない。 「ママ、また笑い取ってるの?」 「取ってない。今は至って普通です」  問題はそこではなく、この部屋は二十畳もあるのに、もうすでに満杯でも、子供たちはドアから中へギューギューと鮨詰(すしづ)め状態でまだまだやってくる。 「いやいや! まさか、みんなでここでお茶するんじゃないよね?」 「え、するよ」当然と言うように、子供たちから返事が返ってきた。  颯茄は頭が痛いというように、額に手を当てながら、 「うちの家族は全員で何人ですか?」 「ん〜?」子供たちの大半はそう言って、指を折り始めたが、 「はい!」速攻、計算を終えた男の子が手を上げた。 「どうぞ、お答えください」 「全部で、百六十一人!」 「わーい! たくさん仲良し〜♪」純粋に喜び、子供たちは拍手をし始めた。人数当てクイズが重要なのではなく、 「その人数は、二十畳の部屋には入りません。東のティーラウンジに移動しようよ。家は地球一個分の広さもあるんだからさ。ここにわざわざ密集する必要はないでしょ?」 「は〜い」聞き分けのよい、我が子だったが、 「じゃあ、パパ、ママ、お紅茶、瞬間移動で運んで」ちゃっかり頼み事をしていった。  打ち寄せた波が引いていくように、子供たちはドアから次々と廊下へ出てゆく。  そんな様子を眺めながら、颯茄はぼんやり家族構成を考える。  旦那――十人。  妻――十一人。  あとは子供たち。  こんな大家族が、バイセクシャルの複数婚をした明智家――私の日常だ。
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