1人が本棚に入れています
本棚に追加
番頭さんは車を停めた。
大きくも小さくもないような旅館だった。
手入れのゆきとどいた庭。半分以上埋まった平たい石の上を歩く。湿った苔が石の周辺にびっちりと生えている。
玄関から入る。
靴を脱ぎ、ニスを塗られて反射しているたたきに上がる。
床も、ワックスがかけられた濃い色の木だった。
入ってすぐのところに、有名な日本の画家の絵が飾られていた。
大きな絵だった。
すぐに、女将さん、若女将、他の仲居さんを紹介された。
若い男性の番頭さんもいた。
そのまますぐに着物を着せられ、夕方からの業務に一緒に参加するように言われた。
それまで、仕事の流れを教わる。
旅疲れもあったが、佳子は気合を入れなおした。
布一枚で奥まった控え室で佇んでいると、佳子はぐらっとバランスを崩した。
誰かが佳子の背中を肘で小突いたのだ。
「邪魔なんよ、もっと端にいとき!」
しゃがれた声で佳子を注意したのは、背が高く、髪の短い中年女性だった。
佳子と同じ作業用の着物を着ているので、仲居さんだと分かった。
「あ、ごめんなさい」
佳子は二歩、三歩と横に動いた。
壁に極力近づいた。
「ガミちゃん、あんまり虐めると、また帰っちゃうよぉ」
髪を一つに括った、人相のいい女性が、ガミちゃんと呼ばれる仲居をなだめた。
この女性もまた、同じ着物を着ている仲居さんだった。
「関係ありゃせん。帰ったらえぇねん」
ガミは布の暖簾をのけて控え室から出ていった。
「あんま悪く思わないでよね。女将さんに言いつけたりしないほうがいいよぉ」
ひっつめ髪の仲居さんが言った。
佳子はうなずいた。
仲居さんは「よかった」と言って、髪をほどいた。長い黒髪は肩の下まであった。
そのまま鏡に向かって、ちょちょいと髪に椿油を撫で付けながら、
「あれぇ、ガミガミした声だからガミちゃんってあだ名なの。面白いでしょ。アタシだったら嫌だぁあんな声ぇ」
くすくすと笑って言った
佳子は鏡越しに、仲居さんの顔を見た。
白くてお餅のような肌で、下膨れの輪郭だった。
お喋りそうな上向きの唇と、お節介で好奇心旺盛そうな丸くくるくる動く目をしている。
前髪はひっつめてあり、富士額が露わになっていた。
あらかじめ年上だと決め付けていたが、あんがい、近い世代かも知れないと佳子は感じた。
東京のほうではなかなか見ないような、純朴さを残した少女かも知れない。
最初のコメントを投稿しよう!