Flight4『月明かりと紫煙の中で』

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Flight4『月明かりと紫煙の中で』

 この学校で、教官は警察よりも怖い。こんなことが教官の耳に入れば間違いなく、全員 退学処分になるだろう。 「大丈夫か?」  二人きりになった教室で、空が万優に聞く。 「う、うん……」  万優はゆっくりと立ち上がって答えた。 「そっか。じゃ、戻るぞ」  空は、机に放られた茶封筒を手にとって、歩き始めた。慌てて万優もその後を追う。 「空……どうして? どうして、ここに?」 「……随分探したぞ。談話室から、寮の空き部屋から……校舎に入ったらすぐにわかったが」  きっと、男たちの声が響いていたのだろう。それを辿れば、すぐに着く筈だ。 「そうじゃなくて……」 「チェックの前以外は頭空っぽで元気なお前が、昨夜からすっかり塞ぎこんでた。虎珀だって、気付いてた」 「頭空っぽって……それ、言いすぎ!」  万優が元気に反論すると、空は笑った。 「そう、そうしてろよ、お前は」  空は、言いながらトイレ手前にある洗面台へ向かった。その後に万優が付いて行く。 「何するの?」 「コレの処分」  空は茶封筒を取り出すと、それを二つに折った。中で、写真が折れる音がする。そして、それをそのまま洗面台へ投げ入れると、その端にライターで火をつけた。 「……火、見張ってろ」  空は言うと、近くの窓を開けてポケットから煙草を取り出した。 「見つかったら退学、だよ」  規律の厳しいこの学校は、煙草も禁止されている。勿論、学内に限ってのことだが。 「知ってるよ」  空の口元から、紫煙が立ち昇る。  静かに、洗面台の中で、炎が燃え広がり、写真の一部が顔を覗かせた。  これを見ないように、窓辺に寄ったのだろうか……考え過ぎかな。    万優は、月明かりの中に立つ、長身の男に視線を合わせた。 「写真のこと、どうして知ってたの?」 「……噂っていうのは、本人を避けて流れるものなんだよ。虎珀が昼間、教えてくれた」 「知らなかったのは……俺だけ?」 「そんなことはないだろう。写真を撮ったなんて面白みがないから。風呂場に行けば、誰でも見られる」  空が肩をすくめた。 「そりゃ……そうだ」  万優が頷く。 「けど、記録に残されるのは、いい気分じゃないよな。見る目が違ってくる」  空は、煙草の火を携帯灰皿に押し付け、消した。その頃には、既に写真は灰になっていた。  万優はそれに、水を流しかけた。灰は全て流れ去っていった。洗面台に多少の焦げ跡は残ったが、これもいずれ消えるだろう。 「済んだな」  空はそう言うと、少しだけ笑顔を見せた。 「ありがと……色々」  万優は、そんな空に頭を下げる。 「噂では、俺はお前の『彼氏』らしいからな。お前には関係ないって言われたけど……放っておけなかったんだよ」  空の言葉が、万優の心に響いた。  先刻口にした言葉――『空には関係ない』なんて、突き放すような言葉。  自分だって、嫌だと感じたはずなのに、口にしてしまったことに、ひどく後悔していた。  そして、そんな言葉を聞いてもなお、ここに居てくれる空の優しさを改めて感じる万優だった。 「それは……悪かったと思ってる」  万優は素直に頭を下げた。 「いや、俺の勝手で行動しただけだ。自分の目の前で、誰かが自主退学するのは……もうたくさんだから」 「それ、誰のこと?」  万優に聞かれて、空は自分が余計なことを話してしまったことに気がついた。諦めて、質問に答える。 「俺の友人。本校に居た頃、お前と同じような目に遭って、自主退学した。真面目で、頭が良くて、いい奴だった。でも……俺は助けてやれなかった。そうすれば、今回みたいな噂が流れるの、目に見えていたから……正直、迷惑だと思ったんだ」  空は、先刻自分が開けた窓に寄った。夜の心地いい風が、空を抜けて万優にも届く。  ほんの少し、煙草の香り。 「ごめん……」  珍しく話をしてくれる空に、万優は素直に謝る。今回だって、同じ気持ちだったに違いないと感じたからだ。 「……俺の勝手だって言っただろ。きっと、初めはアイツに対する罪悪感みたいなものがあったんだと思う。だけど、それだけじゃなくて、守りたいと思ったんだ。お前の……万優のフライトを」  今まで背を向けていた空が振り返り、桟に背を預けた。向かい合った万優は、その言葉に首を傾げる。 「お前のフライトが凄いと聞いてからずっと見てたんだ。真っ直ぐ前だけ見てる素直で、曇りのないフライト……いいパイロットになると思う」 「空……」  万優は驚いて呟く。 見られていたなんて気付かなかった。空は自分以外の全てに興味がないのだと思っていた。こんな底辺でもがいている万優なんか、きっと同室にならなかったら、視界にも入らない存在なんだと思っていた。 「俺みたいに、半ば強制的に飛んでる奴には絶対出来ないんだよ」 「空のお父さん、有名なパイロットなんだって? 血筋ってあるのかな?」 「あの人は、どちらかと言えばお前のタイプだ。俺は、あの人から何も受け継いでない」 「何言って……お父さんでしょ? 何かは受け継いでるよ、絶対」 「……だといいな」 「絶対そうなんだ! きっと何かあるよ、頭がいいとことか、本が好きなとことか、背が高いとか、脚が長いとか、陽が当たると金に光る髪とか、無口だけど実は優しいとことか……て、空聞いてる?」  くすくすと笑い出した空に、指を折って言葉を羅列していた万優が詰め寄る。 「聞いてるよ。随分出てくるなあと思ってさ」 「あ……」  万優は、その言葉に気付かされて口を噤んだ。 「……続きは?」  優しい空の言葉に、万優は口を尖らせて答えた。 「……ぶっきらぼうで愛想なしなとこ」 「それ、かもな」  空が笑う。その顔がいつもよりも魅力的に見えて、万優は視線を逸らした。 「いつも言葉が足りないとこ」  万優が言うと、空は表情を変えて、呟くように言った。 「……万優が好きだ」  万優がその言葉で驚き、空を見上げる。そして、慌てて口を開いた。 「だっ……だから、言葉が足りないんだよ。俺の『フライトが』好きなんだろ」 「いや、足りてるよ。お前が好きだ」  万優は、空の透き通るような目を見つめた。その目から、言葉が真実だとわかる。  急にそんなことを言われても、万優の心は何も準備をしていない。 「ちょっと……待って。俺っ……」 「わかってる。言葉にしたのは、俺の自己満足だ。明日、ソロフライトだな。頑張れよ」  空は優しい笑みを残して廊下を歩き始めた。  万優は、その背中を追うことも出来ず、ただ立ち尽くす。  ……なんだ、今の言葉……  好きってどういうことだ? 空が、俺を好きだって……『特別な対象』として見ていたってことか……? 「わかんねぇよ……そんなの……」  万優は、今まで空が居た窓辺にもたれた。  頭は混乱したままだった。  冷たい風が、万優の頬を撫でる。  その切なくて優しい夜の匂いは、どこか空に似ていた。
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