未来へ

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 その夏、ワタナベはふるさとの川と山で夢を実現する。  『川と山の学校 ナベ先生と遊ぼ!』 小学校と教育委員会の共同主催、PTAの協力や市内各社からの協賛を得て、夏休み中の自然学校事業は大好評だった。  子どもたちや保護者からの強い要望により、秋にも同様の事業が行われる運びとなる。また、近隣市町村からも要望があがり、ひと夏の間に、この付近でワタナベは一躍有名な時の人となったのである。  その後、ワタナベは故郷にほど近いH町に本拠地を構え、自然教育のプロとして活躍を続けている。  先日、ワタナベと深田先生と俺の三人で飲んだ。飲んだと言っても、三人とも、それぞれの理由でアルコールを控えているのでノンアルコールで語り合った。  ワタナベは雄弁に語った。 「小学6年の時、若かった深田先生の突拍子もない思い付きと、バカみたいに熱い西の情熱がなかったら、今日の僕はいなかった。あの日から、すべてが動き出した。人を思う気持ち、真剣に思う気持ちは、必ず人に届く。必ず人を変える。良い意味でも、悪い意味でも、人は人の流れの中で生かされている。深田先生と西のガムシャラな勢いが、あの時も、今も、僕を大きな流れに向かわせた。いつも感謝している。この感謝の気持ちを、僕はまだ先生や西に返す余裕はない。今は、その感謝の気持ちを子どもたちに返している。自分の体力が尽きるまで、二人からもらったエールを胸に、子どもたちに向けて精一杯、自然の魅力を伝えることに専念したいと思う。いつか僕を踏み台にして育った自然児たちが、僕の出番を奪ってくれたら、僕は本を書きたい。水に一生を捧げた僕の祈りをまとめたい。そう思っている。その本の、まえがきに、深田先生と西の名前を、きっと書きたい。多分、まだまだ本を書く暇はないから。先生、あと30年は待ってください。それまで体鍛えて元気でいて下さい。僕の本の監修、お願いしますよ。」  その話からからだった。深田先生から、意外な申し出があった。 「ワタナベ。今の本の監修の話、了解だ。それまで俺が元気でいられるように、ワタナベの力を貸してくれないか。つまりだ。早い話、俺が定年退職したらナベ先生の助手として手伝わせてくれないか。給料はいらん。俺の心身の健康を維持するためだ。お前にしかできないこと、考えつかないことに専念してもらうために、俺には、俺にできる雑用を手伝わせてほしい。まだ体力には自信がある。俺は子どもが大好きだ。定年になっても子どもたちのために何かできることはないか、ずっと考えてきた。だが、今、それがハッキリわかった。頼む!ワタナベ。俺を手伝わせてくれ。俺を助手にしてくれ。」 深田先生は、正座して深々とワタナベに頭を下げた。  深田先生は頭を下げ続けていたので、どんな顔をしているのか見えなかった。  ワタナベは唇を噛みしめて、目にいっぱい涙を浮かべていた。俺も胸が焼けるように熱かった。ワタナベは心で何かを噛み砕いているようだった。ややあって、彼は落ち着いた声で答えた。 「深田先生。よろしくお願い致します。助かります。あてにします。先生が一緒なら、今の三倍の事業を引き受けられます。よしっ。僕は本気で事業を拡大する。西、お前も手伝え。先生が手伝って下さると言ってるんだ。お前は、顔が広いから営業な。ネット配信も得意だろ? あああああ、僕は生きるのが、ますます楽しくなってきたぞ。ありがとうございます、深田先生。」        完  
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