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その日、6時間目まで、俺は作戦ばかり考えていた。どんな作戦を考えても自分が興奮し過ぎたら失敗すると思った。だが、何をどう考えようとしても俺は悲しく、イライラして、怒りの矛先をどこへ向ければいいのか判断できなかった。
ワタナベの家は川の堤防の近くの『バラック街』と呼ばれている地区にあった。小学1~2年の頃、俺は何度か彼の家に遊びに行った。家といっても、俺の家の庭にある物置小屋より不安定な、隙間だらけの木造平屋の小屋で、いろいろな色のトタンが張り付けられていた。部屋の区切りなどない8畳程度の、その空間には布団と座り机が在るきりだった。部屋の片隅にある薄暗い台所の上に張られた針金に、薄汚れて擦り切れた雑巾みたいなタオルが一枚きれいに広げて干されていた。トイレは裏のどぶ川の上に建てられた掘っ立て小屋だった。足をのせる板の隙間から川の流れが見えた。
俺の考えが何もまとまらないうち、6時間目になってしまった。
先生はいきなり、こう言った。
「ワタナベくんの不潔について。どんなことでもいい。一人ずつ順番に思っていることを正直に聞かせてほしい。では窓側の一番前の田中さんから、お願いします。」
「ちょっと…と思ったことはあるけど。別に気にしてないです。」
クラスメイトは意外に気遣いのある言葉を続けた。
「ワタナベのことは、ワタナベ一人でどうかできるものじゃないから仕方ないじゃないですか?」
という男子が続出した。俺が休み時間に先生に大声で抗議しているのを、みんな聞いてくれていたんだ。先生に抗議したことは無駄ではなかった、みんなの心に俺の声は届いたんだ、そう思うと胸が熱くなった。
俺の席は真ん中の列の前から4番目で、ちょうど半分の友だちの意見を聞き終わった頃、俺の発言の順番が回ってきた。と思ったのに先生は
「西は最後だ。みんなの発言が終わってからだ。」
と言った。俺はイラッときたが、深呼吸をして耐えた。
みんな優しかった。みんなワタナベをあたたかく見守る発言を続けた。そしてとうとう最後、俺に発言が求められた時、俺はもう感極まってボロボロ涙をこぼした。
「みんな、ありがとう」
それだけ言うのが、やっとだった。でも俺は、心の中で、勝った!と思った。俺は深田先生に勝った。そう思った。
それと同時に、だからと言って何一つ変わらないワタナベの生活を想うと俺の悪あがきなど何の足しにもならないと心が曇った。
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