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ダリルは自分のことをただの男だと思っている。
ちょっとマシンに詳しい。それを活かして食っている。
それだけだ。
街に着いてすぐ、行きつけの店に入ると、薄暗い店内にはそこそこ客が入っていた。
古いジャズの名曲が流れている。ダリルはいつものように壁際のテーブルにつく。
顔なじみの店員が水を運んできた。
「久しぶりね、ダリル」
「サンドラ。ジューク・ボックスの調子はどうだ?」
「野暮な男ね。マシンより先にあたしの調子を尋ねたら?」
「あんたの調子はおれの仕事じゃない」
古ぼけたジューク・ボックスなんて、ダリルにしてみればマシンのうちに入らない。
でもまぁそこは商売だ。うまくぼかして整備の仕事をもらっている。
「ずいぶんなご挨拶ね」
サンドラは肩にかかる赤茶色の髪をはらいのけながら、唇をとがらせた。緑色の瞳はテーブルのぼんやりした明かりを受けて猫のように光っている。
「調子よさそうに見えたからさ」
「あんたはそうでもなさそうね」
「運転疲れだ。盗賊が出るって聞いたんで、荒野の方から来た」
「盗賊? そんな話、初めて聞いたわ」
「へっ?」
「どこで聞いたの? 変なデマ流されたら、よそから来るお客さんが減っちゃうじゃない」
「ひとつ前の街の酒場で……」
「酔っぱらいの作り話だったんじゃない? それで運転疲れ? 骨折り損だったわね」
がっくりくるような話だったが、サンドラは同情して機嫌を直したようだった。メニュー表をテーブルに置く。
「まぁ飲んで。今日のおすすめはこれ。決まったら呼んで」
「ありがたいね」
サンドラは女神のように微笑んで、別のテーブルに移っていった。
管楽器の艶のある音色が複雑に折れ曲がりながら響いている。大昔の奏者の腕前に感心しながら、いったいどうやってこの規則性に乏しい旋律を覚えるのだろう、とダリルはぼんやり思った。音を聞く限りでは、ジューク・ボックスには問題なさそうだ。
盗賊の噂を酒場で聞いたのは事実だが、その話をした男は酔ってはいなかったし、もっと言えば旧知の仲だった。だから疑いもしなかったのだが、場合によっては今後の友好関係に大きく影響する。
それは結構、気が重かった。
酒と料理を頼んで、飲み食いしていると、知り合いが声をかけてくる。
「よう、生きてたか」
「見てのとおりさ」
「あのおちびちゃんは?」
「カナリアは宿に置いてきた」
「いつもの宿か。アンナが病気らしいけど」
「そうなのか? じゃ、見舞いに花でも買おうかな」
「花屋はもう閉まってる」
「ああ明日だな……」
ぽん、と肩を叩かれた。
なんだか運がないような気がする。二杯目の酒を飲みながら、沈んだ気分のままで店内を眺めた。
どこの酒場もだいたい薄暗い。どこも音楽が流れていて、食器やグラスの音、客の談笑する声。煙草の煙。座っている客もだいたいどこかで見たような気がしてくる。
「ん?」
ダリルはなんとなく違和感を覚える。
なんだっけ。
「あら。辛気臭い顔して。もう一杯どう?」
「いい。もう酔ったのかな……」
気づいたらサンドラがそばにいた。
「お疲れね」
「いいんだ。そっとしといてくれ」
「泊まっていったほうがいいわ」
「宿まで歩ける。平気だ」
「つれないわね」
サンドラの顔が近づく。猫のような瞳。目が離せない。
「泊まっていくでしょ?」
雲行きが怪しくなってきた。魅力的な女、対するダリルはただの男。
「あー。いや。必要ない……」
「必要でしょ?」
逃れようがなかった。
ただの男には。
最近、盗賊が出るらしいぞ。
酒場の席で聞かされた話。昔なじみの男が真顔で話すものだから、ダリルは整備されたいつもの道を避けて、荒野から街に入ってきた。
あのとき、薄暗い店内にいた客の姿を、もちろん大して覚えてはいなかった。
しかし。
同じような客が一人、この街の酒場にもいたような……?
はっきりつかみきれない記憶のもどかしさに、耐え切れず目を覚ます。
知らない部屋だった。
レースのカーテン越しに差し込む光は弱く、まだ早い時間なのだとダリルは思った。
同じベッドで眠っていたはずのサンドラの姿はなく、代わりにコーヒーの香りが漂ってくる。気まずい思いで散らばった衣服をまとって身なりを整え、ドアを開けて香りのする方へ向かった。
「あら。おはよう」
サンドラはすっかり朝の顔になっていた。開襟のシャツブラウスにタイトスカート。
「ベーコン・エッグでいい?」
「ああ」
もちろん、あれこれ注文をつけられるわけもない。
ベーコン・エッグに分厚いトースト、サワークリーム、カラフルなピクルス、コーヒーが並ぶ。
「あんたは?」
テーブルの上にあるのは一人分だ。
「とっくに済ませたわよ」
「起こしてくれりゃいいのに」
「死んだように眠ってたから。いびきくらいかいてくれないと、心配になるわ」
たまに指摘されることだった。だからと言って直せるものでもない。
そのとき、遠くから教会の鐘の音がひとつ、長い余韻を引き連れて響いてきた。
ダリルは食べる手を止めた。
「前にも聞いたな、この鐘」
「お葬式を知らせる鐘よ」
サンドラは言って、コーヒーカップに口をつけた。固まっているダリルに気づくと、付け加える。
「アンナが亡くなったのよ」
「……なんてこった」
アンナはなじみの宿の老婦人で、カナリアの恩人だった。ダリルが旅の途中で拾った箱形の人工知能を見て、昔の旅人にもらったという少女型の人形のボディを譲ってくれたのだ。その二つを繋ぎ合わせて、少女型のマシン、カナリアができあがった。
カナリアはどうしているだろう。
マシンには感情がない。取り乱すことはないだろうが、アンナの死がカナリアの思考回路に与える負荷は未知数だ。
「サンドラ、悪いけどおれ、急いで宿に……」
「行かないほうがいいわ。たぶんいまごろ葬儀の支度で大忙しよ。あんたが行っても邪魔なだけ」
「だけど」
「あんたは親しくても、宿にとってはお客様なの。いま顔を出したら、誰かがおもてなししてくれるわ。そんな手間と時間をかけさせたいの?」
ダリルは反論できなかった。
浮かせていた腰を椅子に戻して、食事を続ける。
「葬儀は午後からよ。ダリル、黒い服を持ってる?」
「持ってない」
「貸してあげるわ。サイズが合うかわからないけど……」
サンドラは言葉を切って、ダリルを観察した。頭の中の誰かと比べているようだ。
「たぶん大丈夫ね」
その黒い服が元は誰のものなのか、ダリルは聞くのをやめておいた。
宿には行くべきでない。
だったら仕事でも片付けよう。
「葬儀までにジューク・ボックスを見ておくよ」
「いいけど、間に合うかしら」
首をかしげ、サンドラが壁にかかった時計を見た。ようやくそこでダリルは正確な時刻を知る。
時間は正午に近づきつつあった。
空が暗いのは朝早いからではなく、曇天のせい。
ダリルの慌ただしい一日は、こうして始まった。
工具はいつも持ち歩いている。
ジューク・ボックスの整備くらいならコートのポケットに入れているもので十分だった。
それでも終わるころには午後に差し掛かる。
酒場からサンドラの部屋に戻って服を着替えた。
「噂を気にする?」
「もう手遅れじゃないか?」
「そうかもね」
「あんたはどうなんだ」
「あたしを純情な生娘だと信じてる人がいるかしら?」
答えにくい質問だった。
ダリルはサンドラと連れ立って教会へ向かった。幸か不幸か、街の人たちはほとんど先に葬儀に行ってしまったようで、見とがめられる心配はあまりなさそうだった。
「じゃ、あとでまた」
教会に着くと、サンドラはするりと離れて人の輪に紛れてしまった。
ダリルはすぐにカナリアの金髪を見つけた。少女型のマシンは借り物らしい黒いワンピース姿で、棺のそばで別れの花を手向けていた。
いつもと同じ無表情だ。
感情のないマシンだから、どこまでアンナの死を理解しているのか、外から見ただけではわからなかった。
ダリルは花を棺に入れ、アンナの息子のテオと孫娘のミーナに目礼した。
棺を墓地へ運ぶ途中で、カナリアに声をかけた。
「こんなことなら、ゆうべ飲みに行かなきゃよかった」
やりきれない思いでつぶやくと、カナリアはまっすぐに青い目でダリルを見る。
「あなたはいつものように行動しただけです」
これはべつに気休めを言っているのではなかった。
ただ事実を事実のまま述べているだけなのだ。
それだけにやましいところがある身にはこたえる。ダリルはいつもと同じ行動のあとの、いつもと違う行動または行為を思い起こして、いたたまれない気持ちになった。
歩いているうちに、怪しい人影に気づいた。
見覚えがある。
カナリアも気づいたようだった。
「知っている人ですか?」
「ちょっとな」
木立に紛れるように葬列について来ているが、隠れているつもりなら壮絶なほどに失敗している。ハンチング帽に灰色の上着の若い男だった。
やがて葬儀が終わり、カナリアに宿へ戻るよう指示した。
ダリルは墓地に残ると、いちばん奥の外れにある墓へ一人で向かう。
墓石に銘はない。誰かがたまに手入れしているようで、それほど荒れてはいなかった。すぐそばに野ばらが茂っていて、小さな白い花が咲いていた。
ダリルはしばらく佇んで、肩越しに言った。
「用があるんだったら早くしてくれないか。こっちは忙しいんだ」
背後に足音が近づいてきた。
「気がつきましたか」
「よく言うよ。身を隠すつもりなんかないだろ? 目立ちすぎだったぞ」
あきれ返りながら振り向くと、ハンチング帽の男は肩をすくめた。
「尾行には慣れてなくて」
「あんた、前の街からおれのまわりにいたな。つきまとうのはやめてくれ。迷惑だ」
ダリルは思い出していた。前の街の酒場にも、この街の酒場にも、この男がいた。
男につきまとわれるなんて、生涯のうちで避けて通りたいことの上位三つに確実に入る。
「こちらも仕事なんでね」
ハンチング帽の男は苦笑した。
「ダリル。いつから旅をしているんですか?」
「気安く呼ばないでくれ。ぞっとする」
「ぼくのことはセロと呼んでください」
男は勝手に話を進めることにしたらしい。
気取った話し方が気に入らないが、ダリルはさっさとこの場の問答を片付けたかったので、まずは黙って用件を聞くことにした。
「あなたはマシンの整備をしながら旅をしている。そういう人を探していたんです。よかったら、ぼくらの仲間になりませんか?」
「断る」
ダリルはセロの申し出をばっさり切り捨てて、その場を離れようとした。
「ま、待って。もう少し話を聞いてくださいよ」
「聞かない」
振り向かずにどんどん歩くダリルの背に、セロの声が追いすがる。
「カナリアのことを中央政府に報告してもいいんですか?」
ダリルは立ち止まった。
「おまえ、中央政府のメッセンジャーか。ただのマシン屋を脅そうなんて、メッセンジャーも質が落ちたもんだな」
うんざりしながらダリルは言った。
なんとなく、前の街の旧友から盗賊のデマを聞かされたいきさつが読めてきた。
同じように脅したか、金をつかませたか。それとも、もっともらしくだまして盗賊が出ると信じ込ませたのかもしれない。
「おれの友人に嘘をつかせたのはおまえだな? おれがもし、すでにメッセンジャーだったら、盗賊のデマなんかすぐに中央に確認して見破れる。それを試したかったんだろ?」
「そのとおりです。メッセンジャー同士はほとんど面識がないから、試さないとわからない。あなたは荒野を抜けてきた。つまり中央政府とつながっていない。ということで、よかったら仲間に……」
「ならない。おまえを殴ってもいいか?」
腹が立ってきて、ダリルは拳を固めて言った。
「ばかにしやがって。どんだけ苦労して荒野を抜けたと思ってんだ。言っとくけど根に持つからな?」
「暴力はやめてください」
「人をペテンにかける口があるなら、メッセンジャーかどうかくらい直接聞け。まわりくどいぞ」
「ぼくらは隠密行動なんで、そういうわけにはいかないんですよ」
「なにが隠密だ。死ぬほど目立ってたくせに」
「あなただって、目立ってますよ。少女型のマシンを連れて旅しているなんて」
「カナリアを連れてるのが目立つってんなら、そもそもメッセンジャーの仲間になるのは無理だ。話はもう終わりでいいな? あんたとの縁はここまでだ。じゃぁな」
この話し合いが合意に至る気配は微塵もなかった。ダリルはメッセンジャーなんかとはもう一秒も関わりたくない。一方的に別れを告げて、足を進める。
「ダリル。あなたはただのマシン屋なんかじゃない。旧テクノロジーから少女型のマシンを作り出すなんて、尋常じゃない。本来なら、あなたもカナリアも中央の管理下で保護されるべきだ」
セロはまだなにか言っていた。静かな墓地でその声はダリルにも届いたが、ダリルは振り返らなかった。
ありあわせの人工知能とボディを繋いだだけだ。
ちょっと腕があれば誰でもできることだ。
ほかのやつらが怠慢なばかりに、ダリルが突出しているように見えるのはとても困る。
「まったく。もっとみんな努力しろ」
世の同業者全般に対してぶつくさ文句を言いながら、ダリルはもう立ち止まらずに街に戻った。
メッセンジャーという存在について、旅人なら一度は耳にしたことがある。
大規模な災害で世界中の人口が減り、文明が衰退した現在。その世界中の情報を収集している機関がある。
中央政府と呼ばれるそれは、ほとんど実態を知られていないが、情報収集には人を使っている。中央にメッセージを送る存在。彼らをメッセンジャーと呼ぶ。
人が容易に連絡を取り合う手段は失われている中、メッセンジャーたちは独自の通信手段で中央と繋がっている。
ただの噂話だと思っている者も多い。
メッセンジャーは旅をしながら情報を中央とやり取りするだけの存在で、正体を明かすこともまずない。普通に旅をしていて関わることはほとんどないからだ。
だから、関わったらどうなるのか、誰も知らない。
サンドラはもう着替えていた。
ダリルは人目を気にせず彼女の部屋に入って、いつものコート姿に着替えた。
「世話になった。ありがとう」
「いいのよ。またお店に来てね」
「ああ。元気で」
「ダリル。生きててね」
「まかせろ」
請け合うダリルに、サンドラは淡く微笑んで、二人は別れた。
ダリルは街で残り三件の仕事を済ませようと奔走した。
まず銀行の紙幣と硬貨を数えるマシン。硬貨が時折詰まるというので、問題の個所の金具の歪みを直し、詰まっていた紙片を取り除く。ほかに不具合がないか調べて、試運転して、終了。
次は消防車の点検。放水の水圧のスイッチが効きにくくなっているという。分解して接触部の不良を直し、ほかに不具合がないか調べて、確認してもらう。
そのころには日は西に傾いていた。
最後に縫製工場の機械の点検に向かう途中、宿の前を通りかかった。
見たくもないハンチング帽がダリルの軍用車のあたりにいる。
放っておきたかったが、宿の裏手をのぞいているようだったので、近づいて襟首をつかんで引いた。そのまま表通りまで引っ張っていく。
「ちょっと、離してください」
セロはさすがにやましいところを見つかったと思ったのか、抑え気味の声で言った。
「とっとと失せろ」
ぽいっと手を離して、あっちに行けと手を振る。セロは引き下がらなかった。
「あのカナリアは本当によくできていますね。優れた人工知能です。野放しにしていたら、いずれ世界の脅威になるかもしれない」
「あいつはただの古いマシンだ。おかしな言いがかりはやめてくれ」
「よく考えてください。中央を敵にまわすのは得策ではないですよ」
「おまえの口を封じればいいわけだ。待ってろ、マシンガンを取ってくる」
ダリルが言うと、セロは逃げて行った。
さぁ、仕事仕事。
気を取り直して縫製工場に向けて歩き出そうとしたとき、歌声が聞こえてきた。
よく知っている声だった。
通りから流れてくる弦楽器の旋律に合わせ、カナリアが歌っている。
親しい人との別れの歌だった。
セロがいなくてよかった、とダリルは思った。
自分から歌うマシンなんて、本来いないはずなのだ。
縫製工場の仕事が終わると、すっかり夜になっていた。
ダリルはやっと宿の扉をくぐった。
「おかえり。よれよれだな」
「やっと来たわね」
テオとミーナが出迎えて言った。
「忙しかったみたいですね」
カナリアはいつもの無表情だった。
「ダリル、食事は? 肉を焼いてやるから、一杯つきあってくれ」
テオの言葉に甘えることにした。
ミーナとカナリアはそれぞれ部屋で休む、と引き上げていく。
残った男二人はラウンジで飲むことにした。
室内の席だった。カーテンが開いているのが気になり、ダリルは全部閉めておく。のぞかれたらかなわない。
「アンナのことは残念だった」
「悪かったな、こんなタイミングで。気を遣って来なかったんだろ」
「よしてくれ。そんなんじゃないんだ」
ダリルは首を振った。タイミングなんて誰かにどうにかできるわけもない。そんなことで詫びを入れてくれなくてもいいし、宿に近づかなかったのは若干のうしろめたさもあったからだ。
ダリルは手元のグラスを見つめながら言った。
「昼前くらいに、教会の鐘が鳴ったろう? 久しぶりにあの音を聞いたな」
「そうだろうな。おまえさんがこの街にいるときに葬儀なんて、ダイアンのとき以来だろ」
「ああ。墓の手入れ、あんたがやってくれてるんだろ」
「たまにな。ほかのやつらも気づいたときにやってるみたいだ」
「いい街すぎるぞ」
「でも、住み着かないだろ」
ダリルは答えなかった。肉を噛むのに忙しいふりをする。
「わかってるさ。墓石に名前を入れてないのも、仕方ない」
テオは二人のグラスに酒を注ぎ足した。
「おまえさんがまだ、いまのミーナくらいのときだったな」
「そうだな、十年余り前だ」
「おれも老けるはずだよ。ミーナは詳しく覚えてないだろう。急に葬式をやったことは覚えてるかもしれんが」
「それでいいんだ。詳しく知られてもありがたくない」
「おれが知ってる。話したいときは話そう」
「……いまのはこたえたな」
「だろう。もっとこたえるつまみを用意してやる。ちょっと待ってろ」
テオは器用に片目をつむって、キッチンに立った。
昔、ダリルはダイアンと旅をしていた。街から街へ、マシンを整備して移動していく。
物心ついたときにはその生活だった。
なので、ダリルはダイアンを母親だと思っていたが、実際のところはわからない。
確かめることはもうできなかった。
この街で、ダイアンは誰かに銃で撃たれて死んでいた。
犯人は見つからなかった。
彼女の墓に銘が刻まれていないのは、犯人、もしくは犯人たちにそれ以上、触れさせたくなかったからだ。
そこまではテオも知っている。
ダリルは、誰にも話していないことがあった。
荷物を整理していたときだ。
ダイアンの遺品の中に、シガーケースくらいの小さなマシンがあった。なんだろうと思って動かしていると、電源が入った。
砂利のこぼれるような低いノイズの音が聞こえた。
「なんだ、ラジオか……」
まだ少年だったダリルは納得しかけたのだが、ノイズの中からはっきりと呼びかける声が聞こえて、飛び上がった。
『ダイアン、どうした? 二日も通信を空けるなんて、トラブルでもあったのか』
知らない男の声だった。
ダリルは自分でも情けないほど動揺して、震えて思うようにならない手で、どうにかスイッチを見つけ出して、電源を切った。
『ダイアン? なぜ黙っ……』
マシンはそれっきり黙った。
ダリルは怖くなって、そのマシンを細かく分解して、ほかのいらない金属片や部品といっしょにくず鉄回収に渡した。
それがなんだったのか、そのときはわからなかった。
一人で旅をするようになって何年か経ったころ、中央政府のメッセンジャーの噂を聞いた。
ダイアンの遺品の小さなマシンがなんだったのか、ダリルはそのときに知った。
メッセンジャーが持つ、中央政府と繋がる通信機。
ダイアンはメッセンジャーだった。
彼女がどんな情報を中央に報告していたかはわからない。メッセンジャーだと知られて、都合の悪い情報を送られることを恐れた誰かが、彼女を殺したのかもしれない。
その誰かは、まだこの街や、ダリルが行く街に潜んでいるのかもしれない。
だから、ダリルはどこにも住み着こうとはしなかった。
メッセンジャーとも中央とも、殺人犯とも、できれば生涯関わりたくないのだ。
「大丈夫ですか?」
「ああ」
宿を出発して、車を走らせていると、カナリアが聞いてきた。よっぽど疲れて見えるらしかった。
「おまえ、昨日、歌ってたな」
言葉が石ころみたいに一個ずつ出てくる。
「よく知っていますね。ミーナに聞いたんですか?」
「通りかかった」
ダリルは事実を短く言った。ものを考えるのが面倒くさい。
「歌は嫌いじゃなかったか?」
言ってから、そういえばマシンには好き嫌いはないのだと思った。
「いいえ。ただ、わからなかったのです。言葉を旋律に乗せる必要があるのか。でも、あのとき、言葉が見つかりませんでした」
「そうか。いい歌だった」
気づいたらそう言っていた。
いい歌だった。
だったらいいじゃないか。
マシンが歌ったっていい。誰も困るわけがない。心配することなどあるものか。
こんなちっぽけな、なけなしのマシンの心が、誰かに歌を届けたいと思うことの、なにがいけない?
中央政府なんかくそくらえだ。
「今回は慌ただしかったな。次に来たときはゆっくりしよう」
「はい」
カナリアは無表情にうなずいた。
そしてまたいつもの店で飲んで、サンドラと話をしよう。アンナとダイアンの墓にちゃんと花を供えて、仕事も念入りにやろう。
自分にだって、大事なものはたくさんあるのだ。
なにも知らないやつに、横からあれこれ言われたくない。
そう思っていたら、セロの姿が見えた。ダリルは心からうんざりした。
「あいつ、またいる」
「手を振っていますね。仲良くなったんですか?」
たしかに手を振っていた。こちらを呼び止めようとしているらしかった。あれで本当にメッセンジャーなのか、いまさらながら疑わしい。
「まさか。盗賊よりタチの悪いやつさ」
ダリルはアクセルを踏み込み、スピードを上げた。
振り切るようにそのまま街を出る。
セロが言うような脅威をダリルは自分にもカナリアにも感じない。
むしろ、セロこそあんなんで大丈夫かと思ってしまう。
ダイアンは殺された。
あんなに目立つ尾行をするセロなんて、命がいくつあっても足りないだろう。それとも、ばかすぎて誰も本気でセロをメッセンジャーだと思わないのだろうか。
案外それが当たっているような気がしてきた。
車体の軋みの中でカナリアが歌っていることに、ダリルは気づいていた。
唇が動いている。
なにも悪くない。歌いたければそうすればいい。アンナだって喜ぶだろう。
十分街から離れたところで、車のスピードを緩めた。
「あの人は何者だったんですか?」
騒音が落ち着くと、カナリアが尋ねてきた。
「メッセンジャーだ」
「メッセンジャーとはなんですか?」
ダリルはどこまで話したものかと迷った。
「そうだな……」
「説明が難しければ、無理にしなくてもいいです」
カナリアが無表情に言った。
ダリルはほろ苦い思いで微笑んだ。
「ありがとな。おまえが精一杯いいことを言ってくれたのはわかる」
「いいことを言いましたか?」
「そうさ」
「いまのあなたの言葉と表情を記憶しておきます」
「ああ。好きなだけ記憶しといてくれ。おれもそのほうが助かる」
「わかりました」
「次の街に着くまでに、話してやるよ」
全部話そう。ダイアンのことも。
カナリアは旅のパートナーだから。
向かう先の風景を見れば、雲の影が誘うように道の先へと流れていく。
あのときの通信機を思い出す。あれが手元にあったら、と考えてみる。
自分はなにも報告しない。
ダリルはただの男。
カナリアはただのマシン。
メッセージはない。
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