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一 過渡期
五時間目の授業が終わり、十分休憩の時間が来ると教室内に弛緩した空気が流れ出す。
だが、悲しいかな十分という時間はあまりにも短く、あっという間に自由な時間は過ぎ去り、教室の前の扉が開くと、このクラスの担任教師である柿沢浩一が教室内に入って来た。
「皆席に座れ。もう休憩時間は終わりだぞ。後一時間だ。寝ないで頑張れ」
柿沢の言葉を聞くと、うへーい、ふわーいなどと、自分の席を離れていた生徒達がやる気のない返事をしつつ各々の席に戻る。
「じゃあ授業を始める。この前の続き、五万人規模のドーム都市群建設は、もう終わっているから、今日はドーム都市移住からだな。お前らはもう高校一年生なんだから、しっかりと自分達の住むこの世界の現状を学ぶんだぞ」
高校に入ってから始まった人類保存という名のこの授業は、現在人類がおかれている苦境を学ばされる、人類にとっては実に辛く面白くない授業だった。
「啓介。おい。鍵山啓介」
後ろの席の男子生徒の小さな声がし、啓介の背中がつんつんと指で突つかれる。
「田中か。なんだよ。怒られるぞ」
啓介は柿沢の動きを目で追いながら、小声で言葉を返した。
「今日だな。今日。あのFPSゲーム買うだろ?」
田中の言葉を聞いて、もちろんだ。と答えようとしたが、柿沢と目が合ったので、啓介は喉元まで出かかった言葉を慌てて飲み込む。
「おい。鍵山。ドーム都市の説明をしてみろ」
柿沢が口を開いたと思うと、啓介を指名する。啓介は、田中が先に話しかけて来たのになんで俺なんだ。と思いながら立ち上がった。
「ドーム都市は、人類がPSの脅威から逃れる為に作った場所で、十三年前から移住が始まって、今は移住は終わってドーム都市の外には、PS結合体だけしかいなくって、けど、もう、ドーム都市も、PSが天井を、透過だっけ? してくるようになったから、ヤバくなって来たので地下に移住してる真っ最中です」
啓介が、ぶすっとした態度で答えると柿沢が苦笑する。
「座って良いぞ。それはドーム都市の説明じゃないだろ。でも、まあ、それだけ言えれば現状を知っているという意味ではじゅうぶんなんだけどな。こんな事言っちゃ教師としては駄目なんだろうけど、もっと別の話をした方が、お前らの為にはなると思うんだがな」
柿沢の言葉を聞いていた生徒達の中から、あの話。あっちの方が面白いって。先生あれの話を始めると夢中になるもんな。などという小さな囁き声が聞こえ始めた。
「先生。PSってなんだったっけ?」
生徒の誰かが大きな声で言うと、柿沢が難しい顔をする。
「それくらい皆知っているだろ。それに、それはこの前も話さなかったか?」
「それはうちのクラスの授業の時じゃないんじゃない。詳しい事はやってないよ。このクラスはまだだよ」
柿沢の言葉に生徒の誰かが答えると、柿沢がそうか? といって小さく首を傾げた。
「まあ、どっちでも良い。一番大事な事だからな。何度話しても良いだろう。PSの話をした方がお前らの為にもなるか。その代わりちゃんと聞けよ。命に関わる事だからな」
そう言うと、柿沢が黒板の方に体の正面を向ける。
「PSとは英語のポッシビリティの略だ。日本語で言うと、可能性という意味だな。彼らは宇宙から飛来する量子状生命体だと言われている。彼らは人に視認される事によってこの世界に確定された姿を現し、視認した人間と結合してしまう。PSと人間とが結合すると、その者、PS結合体呼ばれる者は、人格などを失い、凶暴化して周囲にいる人や物を見境なく破壊し殺戮する。最初のPS結合体事件は今から三十年前、二千二十年に私達の住むこの国、日本の東京で起こった」
柿沢が板書をしながら夢中になって話し始めると、生徒達がここぞとばかりに雑談を始めた。
「啓介。話の続き。買うんだろう?」
田中が声をかけて来たので、啓介は座ったまま体の向きを変えて田中の方を向く。
「あのシリーズだけは全部買ってるから絶対に買う。帰りに商店街に寄ってくつもりだ」
「そっか。早く学校終わんねえかな。早くやりてー」
啓介の言葉に田中が応じ、そのまま啓介と田中は授業が終わるまで、だらだらと話し続けた。
下校しようとする生徒で溢れている昇降口から駆け足で飛び出すと、人工太陽から発せられる光が柔らかく啓介の体を包み込む。
「おい。啓介。待てって。ちょっと止まれって」
校庭を突っ切ろうとしていた啓介の背後から、田中の声が聞こえて来る。
「なんだよ田中。さっき話したろ。買いに行くから今急いでんだ」
啓介はそう叫びながらも、足を止めて振り向いた。
「まあそう言うなよ。お前と一緒に帰りたいって思ってんだから」
田中が啓介の傍まで走って来ると、足を止めて言う。
「一緒って、お前も店に行くのか? ソフトはアベゾンで買ったって言ってなかったか?」
啓介は歩き出しながら言葉を返す。
「ああ。俺はアベゾンでポチったから買わないよ。けど、早く実物を見たいんだよ」
啓介から少し遅れて歩き出した田中が言った。
「家に帰ったらもうあるんじゃないか? 発売日当日配送だろ?」
明日配送とかだったら面白いのに。などと、意地悪な事を考えつつ啓介は言う。
「どうだろうな。俺一般会員だから。最近一般会員だと来るの遅いんだよ。明日が日曜で助かったぜ。今日来なかったら、明日は一日家で待機だ」
田中が言い終えると、啓介の表情を探るようにじろじろと見た。
「良し。俺のが先にできるな。今日中に一周はレベル回してやる」
啓介が嬉々として言うと、田中が嫌そうな顔をする。
「なんだよそれ。待ってろよ」
田中が言ったのとほとんど同時にPS警報が鳴り響いた。
「警報だ」
啓介は足を止め、顔を斜め上に向けながら言う。
「ざまー。これでお前は、今日は無理だな」
「いや。俺は行く。このまま行って店に寄って買ってから帰る」
田中の言葉を聞いた啓介は、そう言うと門の方に顔を向けた。
「おい。啓介。やめとけって。この前だって近くで死人が出たばっかだぞ。この頃本当にヤバいんだからやめとけよ」
田中が今までとは打って変わって真剣な表情になって言うと、回れ右をして校舎のある方に体の正面を向ける。
「先生達が出て来ると、教室に避難させられるから、俺はもう行く。じゃあな」
啓介は言いながら駆け出した。
「啓介。マジか。くれぐれも、気を付けろよ。死んだりとかすんなよ。帰ったら絶対連絡くれよな」
背中越しに聞こえて来た田中の声に走りながら、分かった連絡する。と言葉を返し、啓介は第六ドーム都市高等学校と書かれた学校銘板のある正門から学校外に出る。学校の周りにある住宅街の路地や公園には、自宅に避難しようと急いでいる人々の姿があった。啓介はそんな人々の中を駆け抜けて行く。商店街に着くと、どの店もシャッターが閉まっていた。避難も終わっているようで買い物客の姿もどこにもない。ゲーム屋の前まで行き、足を止めた啓介は、閉まっているシャッターを結構な勢いで叩きながら、すいません。開けて下さいと叫んだ。店内からの返事がないので、繰り返しシャッターを叩きながら開けて下さいと何度か叫んでいると、店の中から物音がし、シャッターを隔てた向こう側に誰かが近付いて来る気配がする。
「誰だ?」
若い男性店員の声がそう言った。
「客です。今日発売のゲームが欲しくて来たんです」
啓介が言うと、ちゃんとした人間か? という言葉が返って来る。
「普通の人間です」
啓介は言ってから、頼む。開けてくれ。と願った。
「なんで避難してないんだ?」
啓介の願いは届かず、若い男性店員はそんな言葉を言っただけだった。
「だからゲームが欲しくって」
啓介はそこまで言って、そうだ。良い嘘を思い付いた。と思うと、すぐに思い付いた嘘を言葉にする。
「この近くまで来た時にPS警報が鳴ったんです。それでパニックになってしまって。さっきようやく落ち着いて来て、思い付いたんです。お店に行って中に避難させてもらおうって」
啓介は言い終えると、これでどうだ。と思い、ちょっと得意になった。
「さっきは、そんな事一言も言わずにいきなりゲームが欲しいって言ってたじゃないか」
店員が返して来た言葉を聞いた啓介は、あれ? おかしい。開けてくれない。と思い、がっかりして肩を落とす。
「いや。えっと。それは。混乱してて。どう言えば良いのか考えられなかったんです。今は、少し落ち着いて来たというか。けど、まだ警報なってるし。怖いんです。お願いします。早く開けて下さい」
こうなったら無理矢理だ。もっと攻めてやる。と思うと、啓介は如何にも怖がっているというような演技をし始めながら言葉を出した。
「分かった。今開けるから」
若い男性店員のその言葉を聞いた啓介は、思わず、良し。と言いながら、その場でぴょんっとジャンプしてしまった。
「早く入って」
シャッターが啓介の腰の高さくらいまで開き、若い男性店員の声がそう告げる。
「ありがとうございます」
啓介は、お礼を言うと、素早くシャッターの下を潜って店内に入った。
「すぐに開けなくて悪かったね。この頃物騒だし、僕も怖くて」
若い男性店員が言い、シャッターを閉じると、店内の会計をするカウンターの中に入ってしゃがみ込む。
「あの、それで」
啓介はそこまで言って言葉を切る。すぐにでもゲームソフトが欲しかったが、それを言うと嘘がばれて、叱られたりしてしまうのではないか。と思った。
「これかな? 君が買いに来たソフト」
若い男性店員が言いながら立ち上がったと思うと、片手に持ったゲームソフトを啓介に見えるように差し出す。
「それです。それ。いくらですか?」
啓介は嬉しさのあまりに嘘をついた事などすっかり忘れ、大きな声で言った。会計を済ませ、手提げ袋に入れてもらったゲームソフトを受け取った啓介は、早く帰ってやりたい。と痛切に思いながら、まだ鳴り続けているPS警報が鳴り終わるのをそわそわしつつ持つ。
「さっき、嘘ついたでしょ?」
若い男性店員が、不意に優しく責めるような表情をしながら言った。
「あ、あの、はい。早く欲しくってつい。すいませんでした」
啓介は、嘘の事などすっかり忘れてた。しかもバレてるし。もう良いや。謝っちゃおう。と思うと、深く頭を下げながら謝った。
「意外にも素直なんだね。良い事だ。気持ちは分かるかな。俺もゲームが好きでここのバイトやってるんだし。けど、気を付けた方が良い。PSやPS結合体の事もそうだけど、ドーム都市統制機構の方の事もある。防衛軍の連中に警報が鳴ってる最中に出歩いてる所を見付かったら、親と学校まで連絡が行って大変な事になる」
優しい笑みを浮かべながら途中まで言っていた若い男性店員が、けど、と言った辺りから真剣な表情になりつつ言う。ドーム都市統制機構の持つ軍隊、ドーム都市防衛軍が警報が鳴っている最中に都市内を見回っている事は知っていたが、出歩いている所を見付かると親や学校にまで連絡が行く事を啓介は知らなかった。
「そんなにヤバいんですか?」
啓介が言うと、若い男性店員が小さく頷く。
「相当怒られるらしいよ。君にだけじゃなく、親とか学校にも監督責任があるからってそっちまで酷く文句を言うらしい。ここまでうるさくなったのは、最近になってからみたいだけどね。なんだか、どんどん都市の中が生き辛く、窮屈になってる気がするよ。昔の、戦争中みたいな感じ? 歴史の時間で習わなかった? 第二次世界大戦中のこの国の統制されてた内情の話」
若い男性店員の話を聞きながら、ここに来る途中で防衛軍と出会わなくて良かった。と啓介は思った。
「それと、そうだ。銀髪のPS結合体の女の話。PSやPS結合体と戦ってるPS結合体の女がいるらしい。防衛軍の仲間で一緒に戦ってるらしいよ。そんなのもいるらしいから、PS警報が鳴ってる時にはもう出歩かない方が良い」
「そんなのがいるんですか? それって、本当に仲間なんですか?」
若い男性店員の言葉を聞いた啓介はぎょっとすると、若い男性店員の顔を見つめて言う。
「僕も話を聞いた事があるだけだから、詳しい事は分からないんだけどね。なんだか、良い話がないね。お先真っ暗だ。これからどうなって行くんだろうね。どんどん状況が悪くなって行って、ゲームとかも禁止になって学校もこの店もなくなって、都市に住んでる若者全員がPSやPS結合体との戦いに駆り出されたりして」
若い男性店員が啓介の視線に気が付くと、啓介の目を見つながら言う。
「そんな。戦うなんてできないですよ」
啓介は呟くように言う。
「あれ? 警報鳴り止んだ?」
若い男性店員が言った。
「本当ですか?」
啓介は、ついさっきまで若い男性店員としていた会話の所為で、暗く不安になっていた心の中に、一条の救いの光が射したような気持になりながら声を上げた。
「うん。鳴り止んだね。PS警報が鳴り終わった事を告げるアナウンスが流れてる。さて。じゃあ、営業再開かな。もう店から出ても良いよ。実は俺もそのシリーズやってるんだ。早く帰って何も考えずに夢中になってやりたいよ」
若い男性店員がそう言うと、カウンターの中から出て店のシャッターを開ける。
「ありがとうございました」
啓介はお礼を言い、店を後にして走り出すと、帰ってゲームができるという事に興奮し、喜びに心中を染め上げながら、走る速度を思い切り上げた。
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