六月は寿司だけ見つめる

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六月は寿司だけ見つめる

このド田舎で男2人で暮らすということはまあまあ面倒くさいことになるだろうと分かってはいた。 だけどそれ以上に、三月(みつき)ともっと近くにいたいと思った。 だから大好きなひとりの時間の大半を諦めてまでも、一緒に住み始めたのだ。 三月の事が好きだったし。 三月が俺を好きなことも知っていた。 そしてお互いの気持ちがずっと続くわけじゃない事も知っていた。 だからせめて気持ちが冷めるまでは、できるだけ近くにいようと思ったのだ。 気持ちが離れるのはいつになるのだろう? 1年後?半年後?あるいは明日かもしれない。 ひょっとしたら今日かも知れない。 そう考えたら、面倒くさがりな俺でも今やりたいことを大事にしたいと思えるのだ。 とりあえず今は、三月の分として昨日買ってきたハーゲンダッツを食べることにした。 だって今日は異常に暑いし。 そもそも俺が買ったんだし。 まあ、いいだろう。 「暑い」 『ただいま』も無しに同居人が帰ってきた。 「何食ってるの?」 「アイス」 「俺のは無いの?」 「ないよ」 不満そうな顔をした。 なんだか今日は強気だな。危険信号だ。 こういう時は何か後ろめたいことがあるのだ。 「たまには蟹でも食べに行く?」 俺がそう聞いたら、六月(むつき)の目が輝いた。 「行く行く」 子供みたいに嬉しそうだから、話の続きをするのが心苦しかった。 「俺の親が一緒に飯を食いたいって。だから蟹を奢るって」 案の定、六月は戸惑ったようだった。 俺だってこんなかっこ悪いことは言いたくない。 だいたい六月は人見知りだし、マイペースだけど繊細なところがある。 そういう部分も好きだから一緒にいるはずなのに、なんだかんだ自分の親にもいい顔を見せたくて六月に無理をさせようとしている。 かっこ悪い。 六月は黙ったまま、アイスを食べている。 俺の好きなハーゲンダッツ。いつ買ったんだろう? 「まあ、六月がいやならいいけど」 なんだこの言い方。六月を悪者にしてるみたい。 かっこ悪い。かっこ悪い。 「たまにはって親が言ってたから」 今度は親を悪者にしている。 とことんかっこ悪い。 「それに蟹だしさ」 なんだか蟹まで悪者になりそうだ。 ごめん蟹。 六月は少し考え込んで、やがてペロリとスプーンを舐めた。 「行かない」 きっぱりとそう言った。 そう、この人は俺と違ってかっこいいのだ。 面倒な事を考えても、余計面倒なことになるから、考えない方がいい。 わかっているけど、そうも出来ないから面倒なのがこの世の中だ。 『俺の親が一緒に飯を食いたいって。だから蟹を奢るって』 蟹? そんなの小林多喜二だ、プロレタリア文学だ。つまり地獄行きだ。 別に三月の両親を特に嫌いなわけじゃない。 でも正直に言うと特に好きでもない。 付き合ってる男の親。ただそれだけじゃないか。つまり他人じゃないか。よく知らない人だし。 知らない人と蟹を食べに行くなんていやだ。せっかくの蟹が可哀想だし、知らない人と食事をする自分が可哀想だ。 いやだ、いやだ、いやだ。 それでも三月のことを考えると迷いが出る。 行くべきか?いや、行きたくない。 行くべきか?でも、行きたくない。 面倒くさい。 昨日きっぱり断ったのだから、放っておけばこの話はなかったことになるだろう。 でも三月とはいつまで一緒にいられるかわからないのだ。 出来るなら、いい思い出だけ残したい。 いい思い出だけ?そんなの無理だよ。 やっぱりひとりでいた方が楽だなあ。 仕事をするフリをしながら、大きくため息をつくと堀米さんが心配そうな顔をした。 「大丈夫?そんなに手間がかかる作業だった?」 「はい。まあ」 「少し休んできなよ」 優しい。大好きだ。 「少し休んで、リラックスして考え方を変えてみなよ」 考え方を変える? それが出来ればいいのに。 「スシローならいいよ」 六月は帰ってくるなりおかしなことを言った。 「スシロー?」 「お前の両親とのご飯。蟹じゃなくてスシローなら行くよ」 少し考えて、俺はやっと理解した。 「本当にいいの?」 「小林多喜二じゃなければ、まあいいよ」 「小林?誰だっけ?」 「とにかく行くよ」 我ながら自分勝手だけど嬉しい。 「でも、なんでスシローなんだよ?」 「スシローなら寿司が回ってるから」 そりゃ『スシロー』は有名な回転寿司チェーンだから、寿司は回っているだろうけど。 「俺は回っている寿司を凝視して、次にどの皿を取るかだけに注力する。だから話はお前が適当にしておいて」 「そうする。そうする。適当にやっとくよ。お前は寿司だけ見てくれ」 「回っている寿司はよく見ないといけないからな」 俺は激しくうなずいた。 でもな六月、最近は回転寿司もタッチパネルが主流なんだよ。 回っている皿はただの飾りみたいなもんなんだよ。 ということは黙っていた。 「ごめん。ありがとう」 俺がそう言うと、六月は曖昧に笑った。複雑そうに笑った。 矛盾している。 誰より六月に嫌われたくないはずなのに、親にもいい顔がしたいなんて。 そのせいで六月に無理をさせる羽目になったのに、嬉しいなんて。 そんなの回らない回転寿司くらいの矛盾だ。 「ありがとう」 もう一度言うと、六月はチラリと舌を出して笑って見せた。
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