十五章 富士山

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「仕事、楽しい?」 守谷さんに問われた。私は大きく頷く。 「なんだか、生きてる心地がするっていうんですかね? 人生で初めて、何かに打ち込むことが楽しくて充実してます」 「そっか。良かったね」 「はい」 口角を上げる。こういう報告を先輩の彼にできるのは、とても嬉しいことだった。生ハムを口に入れる。生ハムのしょっぱさが程よくて、つい酒が進む。 「白浜さんはバロック美術展どこになったの?」 「博多です」 「それはラッキーだね」 「みんなに言われます」 苦笑する。 「少しずつ階段を上ってるんだね。あ、そうだ。あれから、絵は?」 「描いてます。それこそ、休日なんかは……」 ハッとする。あ、守谷さんに休日暇なのバレた。守谷さんは私をみて吹き出した。 「いいよ。他人に会うより、絵に没頭したいことが多いって、何人か画家さんから聞いてるから」 「すみません……」 私、最近、失言が多いな。 政治家だったら、すぐに辞職させられてるレベルだよ。 「どういう絵を描いてるの?」 ああ、失言をフォローしてくれる守谷さんの優しさが痛い。 多分、傷つけたよね。 でも、まさか、好きだからとも言えないし。 「バベルの塔です」 「バベルの塔って、旧約聖書の?」 「はい。でも、日本版にしようと思ってて」 「あ、じゃあ、スカイツリーを?」 守谷さんの感覚はすごいな。私は頷く。 「下から見上げると、日によっては雲も下がっていて、建物を覆ってるんです。下からのアングルで描くと、天まで登ってるような感じなので、これを題材に今、描いてます」 「へぇ。そういうちょっとファンタジーなの好きなの?」 「え?」 「いや、日常の中にファンタジーを盛り込むの好きなのかなって」 そう言われて、私は目をぱちくりさせた。まさか、私の嗜好をすぐに見破られるとは思わなかった。 でも、家族が求めているのは、そういう絵ではなく、全うな万人に好かれるような絵画だった。よくそこで苦しんだ記憶がある。 「私、ちょっと幻想を抱くのが好きみたいで……。絵を描いていても、精霊描いたり、ちょっと神話を織り混ぜたくなったりするんです」 そういうところは、私は、甘利さんに似ているのだ。甘利さんも、優しい絵画にファンタジーを盛り込む傾向がある。だから、嫌なのだ。私は嫌でも甘利さんと比べてしまう。甘利さんがすごい素敵な人だから、守谷さんが惹かれるのもわかるのに。 「出来たら、見せてよ」 「え?」 「白浜さんの絵画、出来上がったら一番に見せて欲しい」 そうやって、期待させるような言葉を掛けるのやめてほしい。 落ち着け。私。 彼は画家としての白浜彩月に期待してくれてるだけだ。
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