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祐二は2年4組から、3年4組へと教室を変えた。
針が触れただけで破裂するような、膨張した風船にも似た空気が教室に流れる。
休み時間に席を離れる者は、友人と同じクラスになった者だけ。
彼らは獲物を仕留めた野生動物のように、誇らしげな目つきで教室を見渡している。
やけに話し声が大きいのは、最初から「友達が存在する」事を誇示したいのだろうか。
祐二は久方ぶりに安らかな昼食時間を過ごせた。
後ろの席からペンシルを刺してくるものも居ないし、弁当に牛乳をかけてくる者も居ないからだ。
祐二はそんな目に遭遇した時、必ずこうリアクションする。
「おいおいお前ら、俺が自分で牛乳入れようと思ってたのによお。
ほら、クリームリゾットみたいで旨そうじゃん。もう少し入れるから貸せよ」
自分はイジメられているのではない。
あくまで彼らと「遊び」、むしろ自分から楽しんでいる。
こうして見せなければ、自分がイジメられているという実態を曝す事になるから。
周りに女子が多い時ほど、祐二は痛々しいほどふざけて見せた。
しかしそれは、イジメる側にとってこれほど面白い反応は無い。
「よおしもっと入れるぞほら、フランス風の完成だこりゃ」
数滴の牛乳に侵された白米なら致命傷には至っていなかったが、
筑前煮やウィンナーまで乳白色に陵辱されると、それはもはや残飯との境目すらぼやけてきた。
その残飯を、祐二は誰にも見られない帰り道に捨てた。
家に帰り、弁当を作った母と目が合った時、祐二は心臓を握り潰されたような哀しさに襲われた
こんなつまらない意地が良好な結果に結びつく事は、まず無い。
「イジメられている」という立場は、客観視すればこれほど有利な立場は無いわけで、
教師や親にどれほど酷い仕打ちに遭っているか主張すれば、彼らを断罪する事も可能である。
しかし祐二にそれは出来ない。
それよりも、「イジメられている」という立場を曝す事が百倍屈辱であったのだ。
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