白紙

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 長細い虫が一匹、本の上を走っていた。  私の部屋には古書が多い。金が無いからではなく、むしろ金持ちだからこそ古書が溢れていた。  紙魚(シミ)は古書を食べる。比喩ではなく本当に食べる。だからこそ虫除けシートで丁寧に保護する必要があった。  なぜ突然紙魚が湧いたのか。古書の中にあった卵が孵化したのだろうか。  悪夢だ。丁寧に保護したはずなのに。  私は立ち上がり、本を一冊ずつ確認する事にした。函から取り出し、ページを捲る。  本の中は全て白紙だった。  私がいま手にしている本は坪内逍遥の書いた児童向けの戯作で、中にはセリフと共にお面や衣装の作り方、保護者への注意喚起が図解付きでカラフルに書かれていたはずだ。  白い。  見る影もなく真っ白だ。  隣の本を手に取る。これも同様。次も同じ。全ての本が漂白されていた。  大犯罪者。人殺しと同等。この虫は一刻も早く地球上から駆逐するべきだ。  紙魚は本から転げ落ち、せわしなく床を這い回っている。不意に動きが止まり、私と目が合う。こちらの怒りが伝わったのかもしれない。  私はあらんかぎりの力でそれを踏み潰し、その音で目が覚めた。  重い身体を起こし、寝ぼけた頭で本棚を見る。私の部屋には古書が一冊しかない。  当世書生気質。  先週坪内逍遥の戯作と当世書生気質の二択で迷い、結局こちらを購入。  初めての古書ということで買った直後は満足していたが、すぐにあの戯作も欲しくなり、迷った挙げ句今日買うことにしていた。 「…まぁ、うん」  よく考えてみれば管理できる自信がない。あの夢のように虫が湧くくらいなら一冊で十分過ぎるのでは。  …私はそっと目を閉じ、今日の予定をなかったことにした。
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