瞳を閉じて

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「船長。間もなく銀河系に入ります。  太陽系地球まであと1日です」 「分かった」  トミー船長はうなずいて、静かに目を閉じた。彼は青い水の惑星と重なるように、妻ルシアのことを思い出していた。最後に会ったのは、彼の宇宙船フォーエバーが地球を離れる日だった。 ☆     ☆      ☆ 「気をつけてね」 「ルシアも。  お腹のジュニアが生まれたら、大人になったら会おう、と伝えてくれ」 「あなた」 「ルシア」  病室のベッドに横たわったままのルシアとの長い口づけは、永遠の一歩手前まで続いた。そのキスは、永遠という時の試練に(あらが)うだけの力を秘めていた。  西暦4000年が近づくと、オゾン層の破壊は、生物にとって極めて深刻な問題だった。地球の人口も1億人を切っていた。    人類は宇宙に飛び出し、新たな地球を探し、移住した。だが、どこも想定外の問題が発生し、移住プロジェクトは失敗に終わった。ただ移住先調査の過程で、北極星ポラリスに、オゾン層の再生が可能となる物質ポラミンXが発見された。  宇宙船フォーエバーの任務は、その物質の採取と地球までの運搬だった。 ☆     ☆      ☆ 「トミー二等航行士!」  その呼び出しで、ルシアとの長い口づけは、幕を下ろさなければならなかった。  トミーは、明日が出産予定のルシアを病室に残し、旅立たなければならなかった。  トミーは宇宙省の事務官と、省の管轄する病院を出た。新築の建物の周囲では、まだ作業員が働いていた。  事務官が説明した。 「(つた)、アイビーです。アイビーを植えて、建物の断熱効果を高めるみたいです。植物もだいぶ絶滅してしまいました。アイビーは生命力がありますから」  宇宙船フォーエバーの旅は、苦難に満ちていた。出発時の乗組員は、235名だった。ポラリスに到着するまでに198名に、ポラミンXの採取を終えるまでに113名まで減っていた。  その間、トミーの役割も、段々と責任のあるものに変わっていった。  二等航行士から一等航行士。航行士長、副船長となり、地球に向けて帰還を始めた頃には、船長になった。  それでもトミーのすることは変わらなかった。ポラミンXを地球に持ち帰り、ルシアや新しい家族、そして青い水の惑星を救うこと。そのため最善を尽くすだけだった。 「船長!  到着です!  帰還です!」  トミーは湧き上がる興奮を抑えながら、最後の指示を出した。最後の一人になると、報告書用のデータを見直した。帰還までに亡くなった151名の顔写真を見ながら、一人一人思い出し、その家族のことを思った。  持ち帰ったポラミンXは、すぐに研究施設に送られた。乗組員は帰還後隔離され、綿密な身体チェックや地球環境への適応プログラムが実施された。  隔離施設のロビーでは、帰還二日後から家族との対面が繰り返された。トミーと息子ケンの最初の抱擁は、帰還から三日後だった。 「父さん。ケンです。」 「ケン。会いたかった。 ケン。  君を抱っこすることも、風呂に入れてやることも、できなくてすまなかった」 「構いません。そんなこと。 父さん。妻のリサです」  ケンはそばにいた女性を紹介した。 「初めまして。リサです」  トミーとリサはしっかりとハグをした。 「でもケンとそっくり。まるで兄弟みたい」  トミーにはその時、これから起こることが予想できた。いや、それを覚悟のうえで宇宙船フォーエバーのミッションに志願したのだ。  トミーはルシアから、妊娠のことを告げられた日のことを思い出した。喜びに浸りながらも、ミッションのことをルシアに話した。 ☆     ☆     ☆ 「誰かが行かなければならない。  それが僕のような気がするんだよ」 「トミー。  残念だけど、私もそう思う。  行ってらっしゃい。  お腹のベビーは、私が守る。  でも…  必ず…  無事で帰って来るのよ!」 「ルシア…」 「あなたっ」 ☆      ☆     ☆  トミーたちは、ケンの運転で、ルシアが待つ病院へと向かった。  途中、通りには人々が思い思いに着飾り、騒いでいた。 「いったいどうしたんだ?」 「もうすぐカウントダウンが始まるんです」 「そうか。ついにその日が来たんだな」  トミーは地球の323光年先にある、北極星ポラリスでの出来事を、その旅のことを、しみじみと思い出した。  ルシアは入院していた。もともと体が弱く、環境悪化に耐えきれず、すでに危篤(きとく)状態と言ってよかった。ただトミーとの再会への強い思いが、彼女の命をこの世にかろうじて引き止めていた。  医学の進歩により、一時期、人類は長寿や若返りを獲得した。だが環境変化への適応という重荷は、その進歩を振り出しに戻した。  トミーたちが病室に入ると、ルシアはベッドに横たわっていた。 「ルシア…」  トミーが呼びかけると、ルシアは目を覚まし、視線をトミーに向けた。すぐにルシアの眼は涙で(あふ)れ、深くなり始めた顔のしわを伝わり、白くなった髪まで届いた。それでも最後の力を振り絞るように、右手をトミーの方へ差し伸べた。トミーは傍まで近づき、両手でルシアの右手を包み込んだ。やはりルシアの手には、しっかりとしわが刻まれていた。  一方、トミーの容姿は、息子ケンの兄と言ってもおかしくなかった。相対性理論によって説明される宇宙船の時間の遅れ。地球を出発した宇宙船の時間の進み方は、地球の時間の進み方と比べると遅くなる現象を、トミーとルシアは受け入れるしかなかった。いや、それを覚悟での、二人のミッションだった。 「ルシア…」 「あなたっ…」  トミーはルシアに顔を近づけた。しばらく見つめあった後、二人は涙で溢れた瞳を閉じて、キスをした。  ケンとリサは、二人を見守りながら、肩を寄せた。  外ではカウントダウンが始まっていた。 「スリー。  ツー。  ワン。  ゼロ!」  花火が打ち上げられ、夜空を染めた。歓声が沸き上がり、爆竹やらが鳴らされた。  この瞬間、こぐま座アルファ星のポラリスは、地球における天の北極に最も近い輝星、北極星としての役割を終え、その任務はケフェウス座ガンマ星へと引き継がれた。  褐色(かっしょく)の大地の中、緑のアイビーに包まれた建物の上空にも、虹色の大輪が咲き乱れた。  父親におんぶされて、それを見ていた少女に、母親が話しかけた。 「アイビーに大きな花が咲いたみたいね」 「うん」 「アイビーにも花言葉があるのよ」 「なーに?」 「永遠の愛、よ。でもサラには、まだ分からないわね」  家族に見守られる中、ルシアの瞳は、二度と開かれることはなかった。トミーとの永遠の愛を閉じ込めるために。    (了)
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