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僕の名前はチャーリー。
カマキリの幼虫さ。
今はたくさんの兄弟達と一緒に、母さんが木の枝に産み付けてくれた卵鞘(らんしょう)という茶色の粘液の中にいる。
居心地かい?
良くはないね。
とにかく混みあっていて、動きが取れない。
何せ、数百匹がこの狭い卵鞘の中で暮らしているんだから仕方ない。
最近、ポカポカした空気が卵鞘を包んでいる。
春が来たようだね。
兄弟達も、ここを離れる時期が近づいているのを察知し、浮き足立っているようだ。
今はひしめき合って暮らしている兄弟達とも、ここを出たら一瞬でお別れだ。
みんな、自分の居場所を探して四方八方に散らばっていくだろう。
寂しくないのかと聞かれれば、そりゃ少しは寂しいよ。
一人で生きていくのは正直、不安もある。
でもそれが、カマキリのルールなんだからしょうがない。
ここにいる数百匹の中で、生き残れるカマキリは僅か数匹のみらしい。
とにかく繁殖出来るまで生き残って、子孫を残す事が何よりも重要なんだ。
そんな事を考えていると、隣にいたアルフレッドが話しかけてきた。
「チャーリー、お願いがあるんだ」
「どうしたんだい、そんな神妙な顔をして。
誰かにケンカでもふっかけられたのかい?」
小柄なアルフレッドは、頭はいいけど気が弱くて、普段からよくいじめられていた。
アルフレッドは首を横に振って、話し出した。
「君も分かっているだろうけど、もう春が来ていて外には餌となる昆虫も増えてきているはず。
僕達がここを離れる日も近いと思うんだ」
「そうだね。
そうなれば、ここともお別れだ」
僕の言葉を聞いたアルフレッドが、顔を近づけ言った。
「チャーリー。
僕は考えたんだよ。
生き残るためには、1人より2人の方がいいんじゃないかと」
「えっ?
でも、そんな事したら餌場が重なって、生き残れないんじゃないのか」
僕はアルフレッドの言っている事がよく分からず、混乱していた。
アルフレッドは、キョロキョロと周りを気にしながら小声で話し出した。
「違うんだよ。
みんな、1人で生きていくと思い込んでいて、何も考えようとしていないだけなんだ。
僕達カマキリは、大人になれば最強だが、幼虫の間はただの弱小昆虫でしかない。
小さなアリにすら、簡単に捕まって餌食にされる。
そんな僕らがたった1人で逃げ回っていても、簡単に生き残れるはずがない。
そう思わないか?」
最初は理解に苦しんだが、よくよく考えれば確かにアルフレッドの言う事は理にかなっていると感じた。
「もし、君の言う事が正しいとすると、僕と君、2人で一緒にやっていけば生き残れる確率が上がるという事なんだね」
僕の言葉をじっと聞いていたアルフレッドは深く頷いた。
この提案は僕の心を揺さぶった。
脳にインプットされている司令に従い生きていくだけの僕達だけど、新たな道を試してみる価値はある。
アルフレッドは頭のいい奴だ。
もしかしたら本当に生き残れるかもしれない。
僕はアルフレッドの考えに従う事に決めた。
数日後、誰かが卵鞘を破りだした。
それを見た他の兄弟達も、一斉にバリバリと破っていく。
卵鞘が破れ外界に出た数百匹のカマキリの幼虫は、最初の脱皮を終えると各々好きな方向に散らばっていった。
卵鞘を出ると、真っ青な空が見えた。
初めて見た空を、2人でしばらく見上げていた。
それから、僕とアルフレッドは計画通りに行動を共にした。
頭の良いアルフレッドと、体の大きな僕。
彼が作戦を練り、僕は狩りを担当した。
アルフレッドの予想通り、1人で飛び出していった兄弟達は、ことごとく命を落としたようだった。
僕達は夏が来るまでに数回の脱皮を繰り返した。
その度に体は大きくなり、力も強くなっていった。
最初は天敵から身を守る事で必死だった僕も、今では強靭なハサミを振りかざす捕食者となり、あらゆる獲物を簡単に捕らえられるようになった。
最後の脱皮を終えた僕達は、これからについて話し合う事にした。
「チャーリー、どうやら僕達の作戦は見事に成功したようだね。
あとは交尾をして、子孫を残すだけになったな」
「アルフレッド、君の言う通りにして良かったよ。
これからどうするつもり?
誰と交尾するか決めてるのかい?」
アルフレッドは空を見上げて言った。
「僕はイザベラにお願いしようかと思ってる」
僕は心底驚いて叫んだ。
「イザベラだって!?
アルフレッド、君は死ぬ気なのか!
イザベラは体がデカいし、大食漢で有名じゃないか。
あんな奴と交尾したら、君の命すら、どうなるか分からないんだぞ!!」
アルフレッドは優しく微笑みながら言った。
「だからこそだよ。
僕は体も小さいし、力もない。
ここまで生き残れたのも、チャーリー、君がいたからであって、僕だけならとっくに死んでた。
僕が強い子孫を残すためには、強い雌が必要不可欠なんだ。
イザベラ以外、考えられない」
アルフレッドの決心は固く、僕がいくら止めても無駄だった。
出来るだけ多くの子孫を残す。
それが僕達の使命。
でも君が決めたやり方を僕は認める事は出来ない。
僕は絶対に最後まで生き残ってやる。
アルフレッドのように、自分から命を差し出すなんて愚かだ。
そんな事を考えている内、狩りの疲れからか僕はいつの間にか、うつらうつら居眠りしていた。
気付くと、もうアルフレッドの姿はなく、白い花の花びらが1枚置いてあった。
ゴジアオイという花だとすぐに気付いた。
旅をしている時に草むらに咲いていたこの花の事を、アルフレッドが教えてくれたからだ。
「この花の花言葉は(私は明日、死ぬだろう)っていうんだ。
悲しい中にも、どこか威厳を感じないかい?」
その花を愛しげに見つめていたアルフレッドの姿が脳裏に浮かんだ。
きっとこれは、彼の最後のメッセージなのだろう。
こんなに急に別れが来るなんて思っていなかった僕は、懸命にアルフレッドを探した。
そして次の日、ようやく彼を見つけた。
アルフレッドは、イザベラの大きな背中に必死にしがみついていた。
何度も何度も振り落とされそうになりながら、交尾を試みるアルフレッド。
しかし、力の弱いアルフレッドがイザベラにかなうはずもなく、とうとうイザベラは、大きな口でアルフレッドの頭に噛み付いたのだった。
繁殖期で狂暴さを増したイザベラは、ガリガリとアルフレッドの頭を貪っていく。
「だから命をかけてイザベラに挑むなんてやめろって言ったんだ。
結局、こんな結果になってしまったじゃないか!」
そう僕が思った時だった。
なんと、頭を食べられているアルフレッドの尾の部分が動き出したのだ。
アルフレッドの頭を貪り食うイザベラは、全く気付いていない。
アルフレッドの下半身は、イザベラの腹部に近付くと射精し、交尾に成功した。
本当に見事な最後だった。
アルフレッドは目標を達成し、死んでいった。
アルフレッドを食べたイザベラは万全の体調で、彼の血を引いた卵をたくさん産むだろう。
頭が良かったアルフレッドは、もしかしたら全てを計算していたのかも知れない。
君は、僕がいたから生き残れたと言っていたけど、きっと、君がいたから僕はここまで生き残れたんだ。
アルフレッドに別れを告げると、僕は1人で雌を探す旅に出た。
聞いた所によると、交尾中、うまく雌から逃げ続ければ、死ぬまでに数回交尾をする事も出来るらしい。
アルフレッドには悪いが、その方法の方が子孫を残せるのではないだろうか。
それにしても、最近とても疲れやすくて体の調子が悪い。
なんでだろう。
その時、すぐ近くで、小柄な雌が前足の手入れをしているのを見つけた。
この大きさなら僕の力で押さえ込める。
簡単な事だよ。
命をかけなくても子孫は残せるんだ。
アルフレッド見ててくれ。
僕のやり方だって捨てたもんじゃないぜ。
雌に近付こうとした時だった。
何故か体が言う事をきかなくなった。
自分の意思とは無関係に、僕は池の方へと歩き出した。
カマキリは水が苦手だから、自ら水辺に近付く事は決してない。
それなのに、何故か僕はどんどん池に近づいていく。
そして、とうとう池の中に入ってしまった。
すると突然、お腹が痛くなった。
「痛たたっ」
激痛で気を失いそうになった時、僕のお腹の皮を破り、体をくねらせながら何かが出てきた。
「こっ、これは!」
ハリガネムシだった。
様々な過程を経てカマキリの体腔に寄生し、腹の中で栄養を得ながら成長していく寄生虫。
そして産卵期を迎えたハリガネムシは宿主を支配し、自分の産卵場所である水辺へと誘導する。
水を察知すると、腹を食いちぎり出て来る。
最も恐ろしいのは、寄生された宿主の生殖能力を奪ってしまう事だった。
いつの間にか僕の体は、ハリガネムシに食い尽くされ、子孫を残せなくなっていたんだ。
自らイザベラに食われたアルフレッドと、知らぬ間にハリガネムシに食われていた僕。
なぁ、アルフレッド。
僕は何のために、ここまで生き抜いてきたんだろうか。
君が子孫を残せるように、盾になり、駒となるだけの人生だったのだろうか。
君に利用されたのだろうか。
もし、そうだとしても僕は何故か腹が立たないんだ。
君と出会えていなかったら、きっと僕は何も考えずに走り回る、そこら辺にいるカマキリと同じになっていただろう。
君のおかげで、僕は考えるという事を知り、与えられた人生だって変えられると気付いたんだ。
僕なりに考えて生きてこれたと思うんだけど、どうかな?
ユラユラと水に浮かんでいると、何だか君と過ごした卵鞘の中を思い出すよ。
今日も空は綺麗だ。
君と一緒に空を飛んでみたかったな。
何だか、疲れた。
もう目を閉じてもいいかな。
チャーリーが目をつぶった時、青空の中を急降下してきた鳥が、チャーリーを咥え飛び去った。
チャーリーは、自分の暮らしていた原っぱを見下ろした。
アルフレッド。
僕は空を飛んでる。
きっと、君も見たかっただろうね。
とても素晴らしい景色だよ。
そろそろ、僕の全てが終わる。
さようなら。
僕の命。
ありがとう。
アルフレッド。
巣に戻った親鳥は、腹ぺこのヒナ達にチャーリーを与えた。
チャーリーの思考はここで途切れた。
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