掃除編-6章:近づく距離、揺れる思い

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彩響の質問に成がぱっと首を横に振った。 「いや、最初からそう思ったわけじゃない。正直、俺も掃除を職にできるとはなかなか思えなかった。でも、とにかく掃除がしたかった。何をどうすればいいのか全く分からなかったけど、取り敢えずこの汚い部屋をなんとかすると、心の整理が出来ると思ったから。」 あ、これは自分の話でもある。元カレと別れ、汚いマンションで過ごすときは、何度も掃除をしたいと思っていた。でもどこから始めればいいのか分からず、結局は長年放置していた。きっと成に会ってなかったら、今でもあのゴミ屋敷のまま放置していたんだと思う。 「俺が仕事初日に言った言葉、覚えてる?『家はそこに住んでいる人を映す鏡』って言ったけど、それはまさにあの頃の自分の部屋を見て思ったことだったよ。そして、掃除をしながら、思った。時間を取り戻すことはできない。なら、今からでもいいから、なにかきっと自分に出来ることがあると、必ず探せると思った。綺麗になった部屋を見て、不思議とそう思えたんだ。」 そこから少しずつ部屋の外にでて、家の外にもでて、急激に増えた体重も少しずつ戻ってきた。リハビリもなんとか無事済まして、一般人のレベルくらいまで動けるようになった。そして、ふと気付いた。辛かった気持ちも、家族に対する罪悪感も、すべて掃除をしながら徐々に消えて行った。だから、この「掃除」を職にしよう。 きっと世の中には、俺のような人間がいっぱいいる。そんなひとたちに自分の話をして、掃除して、また新たな道を探し出してほしい。 淡々と話す彼の声はとても優しくて、でも力強くて、どこにも昔の辛い記憶は残ってないように思えた。彩響はふと夜空の月を見上げた。ずっと横になっていた成が体をおこし、彩響の隣に座った。 「あんたも初めて会ったときは俺とすごく似てると思った。だから、なんとかして助けてあげたいと思ったよ。形は違うけど、あんたはあんたなりに苦労して、どうすればいいのか分からなくなっていただろ?俺もそうだったし、だから無理やり掃除するようにしたんだ。自分の経験もあったから。」 「うん、最初は本当迷惑なやつだと思ったわ。金払って雇ったのに、逆に掃除させられたからね。」 「今は?今でもそう思う?」 成がなんだか深刻な顔で聞く。その顔がなんだか可愛くて、彩響は笑ってしまった。 「違うよ、感謝してるよ、本当に。今更だけど、首にしなくてよかったと思うよ。」 彩響の答えに、成の顔が明るくなる。そしてすぐ彩響の手をとり、ぎゅっと握ってこう言った。近くなった距離になんだかドキドキする。 「がんばれよ、彩響。人生は本当終わるまで終わったわけじゃない。俺はもう選手には戻れないけど、作家はいつでもなれるし、あんたもきっとなれる。いままでの苦労を無駄にせず、いい作家になってくれ。」 彼はきっと自分が叶えられなかった夢を、自分に叶えてほしいと思っているのだろう。そこは母と一緒…いや、成は母とは違う。娘の感情も、意思もなにもかも無視して、自分が夢見た人生を強調して、非難していた母と彼は違う。成は、ありのままの自分も認めてくれる、応援してくれる。だから…。 「うん、頑張る。」
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