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その2
アイヴィーはアコギで、シンはエレキで。二人でビールを飲みながらの即興セッションが、毎晩の日課になった。
有名な曲のカヴァー、仲間のバンドの曲、即興で作った歌に適当な歌詞を乗せたり。気に入ったフレーズがあると、録音して後で練り直してみたりする。
つねづね「女とバンドは組まねえ」と公言していたシンだけど、ある時を境にして、アイヴィーとのセッションだけは拒まなくなった。
二人が一緒のステージに立ったことは、今まで2回しかない。一度目は“ズギューン!”のギタリスト・ゴンちゃんの結婚パーティでの弾き語り。
そして、もう1回は…。
「こんな時、また出てこないかな。」
ポツリとアイヴィーがつぶやいた。
「んん?」
手癖で適当なメロディーをつま弾いていたシンが顔を上げる。
シンのギターの腕は秀逸だ。「パンクをやらせておくにはもったいない」と、他のジャンルのバンドマンからよく言われているくらいに。
テクニックだけじゃなく、理論や基礎もしっかりしている。恐らくクラシックを経験していると思う。けど、アイヴィーはその事実を確かめたことがない。彼女にしてみれば、どっちでもいいことだ。
「ギヤのこと。」
「ああ…。」
「あの夜のこと、覚えてる?」
「覚えてるよ。」
高円寺ギヤ。
ずっとずっと前に、閉店したライヴハウス。
シンとアイヴィーが出会ったライヴハウス。
シンとアイヴィーが結ばれたライヴハウス。
そんな二人のルーツは、思いがけない火事によって唐突にその幕を閉じ、つい数年前にビルが取り壊された。
工事前の最後の夜、思い出作りに向かったハコの跡地で、二人が体験した不思議な一夜。
夢なのか、スピリチュアルなのか、何だったのかは…今でも分からない。
とにかく、無くなったはずの高円寺ギヤで、超満員のパンクスたちを前に、二人は2回目の共演を果たした。
今でも忘れることはない。
あのライヴを超えるのが、二人の共通した目標。
「あそこでまたライヴができるなんて、夢にも思わなかった。二度と行くことができないと思ってた、ギヤで。」
「あの夜は、サイコーの気分だったな。」
「いまアタシが、何よりも欲しているのは…あの日のギヤなんだと思うよ。今、またギヤが現れてくれたら…アタシ、もう他には何もいらない。それくらい、ライヴを欲してるよ。」
シンはギターを弾き続けていた。
「シンだってそうでしょ、ライヴがなきゃ生きていけない。」
「まあな。」
そう言ってアイヴィーは赤い髪をかき上げた。
外出が少ないと、化粧の回数が格段に減る。楽といえば楽だけど、オンナとしての戦闘力は下がりっぱなしだ。
パンク・ロッカーとしても、バンドマンとしてもね。
「ちょっと、今からあの場所に行ってみようかな。もうあのビルは無いけどさ、あの場所に行けば何か…。」
「いや、今回は、それはねえな。」
シンがフッと顔を上げた。
「そう…かな?」
シンはギターを置いて、アタシに向き直った。
「本当はあれが何だったのか、俺には分からねえ。ただ、ギヤはもう過去だ。あれは、俺たちが過去にケジメをつけるために起きたことだと思う。」
それはアイヴィーにもよく分かった。ギヤを懐かしむバンドマンたちの情念が、あの奇跡を起こしてくれたんだと。
「いま俺たちが向かっていくのは未来だ。このクソみてえな事態を乗り越えて、未来を創っていかなきゃならねえ。じれったい気持ちは俺も一緒だ。でもな、過去に逃げても、何にもならねえんだ。俺は前に進む。もうギヤは、いらねえ。」
「未来…。」
「何とかやろうぜ、アイヴィー。仕事もねえ、ライヴもねえ、金もねえ。それがどうした?これはチャレンジだぜ。ここを乗り越えなきゃ、俺はみっともなくてパンクスなんて名乗れねえからよ。」
お酒が入っているからか、シンは珍しく長くしゃべった。
「エヴリシング・ゴナ・フィール・オールライトか…。」
「何か言ったか?」
アイヴィーはかぶりを振って、軽く微笑んだ。何だか、とってもスッキリしたな。
お互い、これからに対しての不安を山ほど抱えて、途方に暮れている。それでも、「心配だ」と言ったところで何も変わらない。
現状はアイヴィーもマイナス。シンもマイナス。マイナス+マイナスでプラス。
シンはアイヴィーを、アイヴィーはシンを。お互いがお互いを想い合い、それが力に変わる。
とってもシンプルだ。
「時間はたっぷりある。俺にも考えがあるんだ。うまくいくか分からねえが、前からやってみたかったこと…この機会に始めてみようと思う。だから…。」
言葉を続けようとしたシンを、いきなりアイヴィーが押し倒した。はずみで、空になったビールの缶が床を転がっていく。
「アイヴィー、何だよ。」
「ありがと、シン。アタシ、もうギヤには頼らないよ。覚悟、決めた。なるようになれだね、未来を創ればいいんだよね!」
「おう…そうだな。」
「ハッキリ言って惚れ直したよ、さすがシンだね。だから、ご褒美に今夜は…抱いてあげるね。」
「それはまた…ずいぶんな誘い方だな、アイヴィー。」
と言いながら、シンはまんざらでもない顔をした。
「いいから、いいから。明日から新たな闘いが始まるんだよ。せめて今夜はリラックスしなきゃ。」
「とてもリラックスできるとは思えねえけどな。」
そう言ってシンはニヤリと笑った。
そのまま二人は、床の上で激しく身をよじらせ始めた。
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