教団の実態

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教団の実態

大輔は、また「現正法の集い」という集会にも頻繁に顔を出していたんだ。大輔の入っていた宗教の集会だよ。これをこの教団では「集い」と呼んでいたんだ。  「集い」は月に一回開かれ、講義や討論を行う。何かを唱えたり崇拝したりといったことはしない。これが木岩現正法の特徴だったんだ。だから宗教ではないと言い張っていたんだ。事実、来岩現正法では自分達を「宗教団体」とは呼ばず、「啓蒙団体」と称していたんだ。まあ実際、来岩現正法は宗教法人ではなくて財団法人だったからね。 そんな折りにスパイ事件が起こったんだ。  来岩現正法では、いくつかの暗号が使われており、スパイのことを「カンニング」と呼んでいたんだ。  なぜ暗号を使うかというと、もしも将来『ソ連軍が侵入してきたら』来岩現正法の存在が知れ渡ることになり、当然信者(『正法者』と呼ばれていた)はシベリア送りか処刑ということになるからだよ。  だから、何かを行う時には常に秘密裏に行われていたんだ。  会合(集い)の時には顔を見られないように鞄で顔を隠して会場へ足を運んだんだ。また、ビラ配りなどの目立つ活動も、夜や人のいない平日を選んで行われていたんだ。  その他の暗号としては次のようなものがあったのさ。  「ビラ配り=ジョギング。天上界=校長先生」などなど。  そしてある日のこと。  会合(集い)に「大韓民国居留民団宣伝部」を名乗る中年男性が二人現れたんだ。  来岩現正法の教義も何も知らないようだった。  教師だということから大輔が呼ばれ、教義を説明するようにたのまれたんだ。彼らは開口一番に言った。  「ここでは共産主義のことを悪魔と呼んでるそうですけど、詳しくお話を聞かせて下さい」民団の人だと思って大輔は次々と「共産主義」について話し始めたんだ。  「民団の方ならわかると思うのですが、共産主義になって元へ戻った国はありませんよね。それから、知っていると思いますが、六二五(朝鮮戦争)などで共産主義者は乱暴狼藉の限りを尽くしました。共産主義によって、カンボジアなどでは住民の三分の一が殺されています」 「知ってます。本当に恐ろしいですね」  「我々は共産主義の犠牲になって死んでいった多くの人々に代わって、その残虐性・非人道性を世に訴えているのです」大輔はこの時はこの二人が「怪しい」とも何とも思っていなかった。ごく普通に話を交わすことができたからね。その上、二人はきちんと背広を着こなして一見すると「紳士」に見えたからなんだ。  こんな会話を交わしてから、「集い」が終わるころ、若い会員が大輔に告げたんだ。  「あの人達、何かおかしいと思いませんか?」  そう言われてみると彼らは会場を後にする時に何かバッジのようなものをつけていた。「まさか」とは思ったんだけど、後から考えるとそれは金日成バッジだったかも知れない。  「僕も変だと思った。会場を出る時に何かバッジのようなものをつけていた。カンニング(スパイ)かも知れない。後をつけていこう」  彼らが自分達の車に乗り込むのを見届けて、タクシーの運転手をしているK氏の軽自動車に二、三人が乗り込んで、わからないように後をつけたんだ。  彼らは民団の方向へは行かず、朝鮮総連の建物に入って行ったんだ。  「カンニング事件(スパイ事件)」だ。彼らが総連の建物へ入ったことを確認すると大輔はK氏に尋ねたんだ。  「どうしてこれがカンニングだと分かったのですか?」  「うん。『宣伝部』というのを聞いてピンときたんですよ。民団には『宣伝部』なんてありませんからね」  まもなくこの事件は連絡網を使って回されることになったんだよ。  「大阪の集いでカンニング事件発生。東京の集いへ回すとともに連絡網を使って全員に回して下さい」そう東京本部に連絡すると連絡網でこれが全国に伝わるんだ。  このようにして、カンニング事件が起こったら会員全員に伝わる仕組みだったんだ。。 *   大輔はこの団体で二回講師を務め、東京で開かれた全国大会へも行ってたんだ。  熱心な信者だったんだね。---というよりは完全にイカレテいたんだ。  先ず、二回の講演だけど、現役の教師だということを買われて日教組のことについて、そしてマルクス主義の矛盾について話した。  日教組についてというのは、大体次のような内容だ。  「皆さん方の中には革新自治体などからいらっしゃった方もいると思います。革新自治体に限らず、保守系の自治体でもそうですが、日教組や高教組はとんでもない偏向教育を行って生徒さん達を『洗脳』しています。  例えば、高校ではどのように教科書を選定するかと言えば、教師達が教科会議を開いて気に入った教科書を選びます。そして、特に社会科の教師などは大半がサヨクだから、左翼的な教科書を選定します。教科書会社も先生の気に入るような教科書を作ってきます。復古調の教科書が問題となっておりますが、あのような教科書が高校の現場で選定されることはないのであります。  また、組合の教師達の中にはマカレンコの『集団主義教育』というものを行っている人もいます。これは生徒を能力別に班分けし、できない班は『ボロ班』とか『屑班』とか呼び、挙句は『トロツキスト』なんて呼ぶと言ったものです。もしもお子さんが突然『トロツキストって何?』なんて聞いてきたら学校で何を習ったか問い正す必要があります。  それから、革新自治体の教育委員会は教育委員会自体がサヨクである場合も多いので気をつけて下さい。それから、お子さんが先生からもらってきたプリント類には必ず目を通して下さい。  私の勤めている学校は組合がそんなに強いわけではありませんが、なぜか映画の観賞会で『炎の第五楽章』や『ザ・デイ・アフター』などを視ました」  また『マルクス主義の矛盾』は大体次のような内容だった。  「マルクスの基本的な考えは労働価値説から出発しています。例えば一時間の労働を千円とすると、その千円分の労働の対価は労働者に渡らず、数百円は剰余価値として資本家に持っていかれるというのです。しかし、この『労働価値説』は本当に正しいのでしょうか?  例えば二人の海女さんがいて、一人は一時間かけてサザエを採って来て、もう一人は一時間で真珠を採って来たとします。これが同じ値段で売れるのでしょうか?また、労働価値説では、時間で給料が出るわけですから、ソ連の農民のように八時間トラクターに乗って遊んでいるだけで給料がもらえ、誰も働かないということも起こってくるのです。  それから、原始共産制から共産主義に至る過程をマルクスは唯物弁証法で説明しました。ある制度の下で矛盾が起こってくるので、そのアンチテーゼとして次の時代が来るというのです。では、何も矛盾のない原始共産制は、なぜ奴隷制になるのでしょうか?これは『生産力の向上による』とマルクスは言ってますが、同様に『生産力の向上』によって資本主義は社会主義になるとも言ってます。これは明らかに矛盾しています。  また、資本主義はブルジョアジーとプロレタリアートの階級闘争によって『必然的に』社会主義になるとも言ってますが、『必然的に』なるのなら、労働者は団結する必要などありません。どうです?おかしいでしょう?」  この二回の講演は大変な好評を博したんだよ。確かに説得力はあるけど、少しオーバーではある。そうは思いませんか? その頃、大輔の書いた論文がある右翼的な雑誌に取り上げられもしたんだ。  「教科書はいかにあるべきか。」というタイトルだった。丁度この頃は教科書のことが問題になって韓国や中国で「反日」の嵐が吹き荒れていたんだ。何でも日本の「侵略」とあるのを「進出」に書き直させたとかいったことだった。まあ、実際は朝日新聞の誤報によるものだと後で分かったんだけどね。その論文というのは次のような内容だ。  「今の日本史教科書が日本人の血を疎ましく感じるように出来ている。  例えば、豊臣秀吉などには『太閤さん』のイメージはなく、検地や刀狩りなどのことの方が重要視され、人物の評価が全くされておらず、教科書から人物が消えている。  特に東郷平八郎や広瀬中佐といった日露戦争の重要人物の名が消され、代わって非戦を訴えた内村鑑三なんかが教科書に載っている。 事実、小中学生に『尊敬する歴史上の人物は誰か』と尋ねたら『田中正造』という意外な答えが返ってくる。  そして、生徒達は荘園制とか絶対王政などと言った無味乾燥な歴史用語を習い、維新の英傑や戦国の勇将のことなど教えてもらってない。  こんな教育に誰が興味を示すだろうか?だから今の歴史教科書を憂う」  という意味のことを書いたんだ。そしたら佳作で入賞した。この馬鹿は右翼で爽やかな青春を満喫していたんだな。               *  さて、東京で来岩現正法の全国大会が開かれることになったんだ。  来岩峰子氏は来ていなかったが(実は、来岩峰子氏に実際に会ったという者はほとんどいなかった)、代わりに韓国人の幹部である医者が来て講演を行ったんだ。  信者は約二千名ほどであったが、ほとんどが出席していたようだった。「二千人?」そんなに小さな教団なの?そう、小さな教団でした。○○学会や○○の科学のような大教団じゃないよ。  先ずは、健康法などのあまりあたりさわりのないことから話は始まるんだ。そして、いよいよ記念講演が始まると、一同は波を打ったように静かになるんだよ。  突然、聞いたことのないような言葉が、講師の口から発せられたんだ。キリスト教などで言われている「異言」だ。  異言(来岩現正法では『天国語』と呼んでいた)は五~六分で終わるが、一同はみんな聞き入っていたんだ。  そして「重大発表」が成されるたんだ。  「重大発表」は二つあった。  先ず、日本人は正統なユダヤ民族の血を引く民であり、古代の歌謡などは全てヘブライ語であったということが発表されたんだ(そんなものはみんな学研の「ムー」なんかに書いてあるんだけど)。  次に、マリアの処女懐胎は本当の話であって、それはヨセフの精子をテレポートしたものであるということだったんだ(本当に「テレポート」って言ってた。もっとましなネーミングはないのか?SF漫画だな、まるで)。  こうして大会が終わると、「大阪現正法の集い」のメンバーは新幹線に乗ったんだ。  あちらこちらで「イエス様」とか「ミカエル様」とか「ガブリエル様」とか言った声が聞こえる。今から思えば異様な集団だ。  と言っても、この来岩現正法に入っている人々はサラリーマンであったり、主婦であったり、きわめて「普通の」人達でした。そして、なぜか高学歴の人が多く、京都大学の大学院生とか、大阪大学在学中などと言った面々が至るところにいたんだ。何かこの辺はオウムと似てないかね?  そして、その日は同じ「正法者」のH氏の家に男三人が泊まることになったんだ。大輔は電話で一日の年休をとることを告げた。学校の仕事よりも「現正法」の方が大事だからだよ。それほどイカレテたんだね。  そして月曜日、ジョギング(ビラ配り)が行われることになったんだ。  H氏が告げる。  「明日、ジョギングやるよ。男三人いるからEコースやけどいいよねえ」  断る理由もない。否、それどころかジョギングをやるために月曜日の年休を取ったんだ。  「はい。よろしくお願いします」  快諾、快諾。  ジョギングにはAコースからEコースまであって、Aコースというのは来岩現正法の本の紹介など、女性一人でビラまきしても安全なもの。Eコースになると共産党などの悪口を書き連ねた危険なものなので、必ず男三人以上で回ることになっていたんだ。  その夜、ビールを飲み交わしながら現正法の話に花が咲いたんだ。  また、H氏のアパートでは猫が三匹飼われていたんだ。  現正法の教義では動物は人間と同等に扱わなければならないんだ。従って、H氏はこの三匹を文字通り「ネコ可愛がり」していたんだけど。この猫達、頭が三角形だったんだ。シャム猫って言うのかな?  大輔も猫好きだったけど、頭が三角形の猫など見たことがなかったんだ。正直言って不気味だったよ。  大輔の猫のイメージというのは、顔は丸顔で、三毛や藤猫といった雑種だ。  しかし、来岩現正法では猫と人間は対等なのだ。寄って来る猫どもの頭を撫でたり、抱いたりしながら遊んだんだ。  そして、翌日の朝6時。  いよいよジョギングの始まりだ。  8時までの間に何百枚か撒いて、朝食だ。  H氏と、もう一人、そして大輔は紙バッグにビラを入れてH氏のアパートを出発した。  早朝のビラまき(おっと、『ジョギング』だった)は楽しかったよ。  ただ、住人が家を出るのとはち合わせてはいけない。そこは注意しながら撒いていったんだ。  そして三人で楽しい朝食をしてから、またジョギングだ。  大輔が郵便受けに入れる番が回ってきた。 半分に折って入れていくのはなかなか工夫がいる。入る郵便受けならいいが、口が小さすぎてなかなか入らない家もある。  そして、アパートを見つけて撒いていると、赤旗日曜版が入れられた郵便受けがあったんだ。  何とも思わずに大輔がその郵便受けにビラをねじ込んだ。その後、そのことをH氏に伝える。  「Hさん。今の家、赤旗が入ってましたけど」  「え?それはまずいよ。どこ?撤収してきて。僕も昔Eコースを回っていた時に共産党の連中に囲まれたことがあったよ。あの時はビラを置いたまま逃げた」  そこで大輔はそのアパートに戻り、今入れたビラを撤収してきた。  そう。もしも来岩現正法の存在が共産主義者に知れたら、ソ連が侵入してきた時には正法者はシベリア送りになるのだ。  また、ひっきりなしに右翼の街宣車が通る。  大輔がジョークを飛ばす。  「あのうるさい連中はどうしましょうか?」  「大丈夫、大丈夫。あいつらは味方だから。このビラを見せたら『頑張って下さい』と言ってくれるよ」   そして十二時くらいに昼食をとって、またジョギング。  ビラを撒いた地域は大阪府と兵庫県の境目あたり。  「あのー。僕、大阪府の職員なんで大阪府内はまずいです。兵庫県内でお願いします」  「分かってますよ。兵庫県でしか撒いていません」     こうして六時頃までかかって数千枚のビラを撒いていったのです。ご苦労様。              *  さて、そうこうしている間に二つの大事件が起こったんだよ。  すなわちベルリンの壁の崩壊とソ連の消滅だ。  来岩現正法では、共産主義になって元に戻った国はないと盛んに言っていたんだ。これは事実だったんだけれど、それが崩されたんだ。  ベルリンの壁が崩壊し、ドイツが民主化された。そして、瞬く間に東ヨーロッパの民主化が起こり、ついにソ連が崩壊したんだ。  来岩現正法の土台が揺れ始めたのでした。さて、木岩現正法はどうなったのでしょうか?今までの発言を撤回した?いやいや、そんなことはありません。  教組の来岩峰子氏は奇妙なことを言いはじめたのです。  「共産主義というのはもっと長い目で物事を見ている。ソ連の崩壊は一過性のものに過ぎない。今や、共産主義者はS波ビームを使って我々の活動を妨害しようとしている。」  さて、S波って何だろうか?これは新聞ではただ「電磁波」とだけ書いてあったのだけれどもそうじゃないんだなあ、これが。  それは神経を麻痺させて痴呆のような症状を引き起こす恐るべき兵器なのだ。  そしてこのS波を出す方法は、違法な電気工事を行って電柱に細工をすることなのだ。  そして、来岩現正法の機関誌には、その「証拠」として「電柱」の写真が所せましと並ぶようになったのでした。  時々、NTTの電話工事中に、余ったケーブルをぐるぐる巻きにしていることがありますが、そこからS波が出ているということなのです。そして、それを仕掛けているのがNTTの労組である電機労連だというのです。  大体、そんな兵器が本当に存在するのならソ連は崩壊などしていないと思わない?  しかし、大輔はこの馬鹿馬鹿しい理論を本気で信じ込んでしまったんだな木岩先生の言うことだから本当のことだという何とも曖昧な根拠で。。  また、この頃より来岩峰子女史の奇行が始まったんだ。  ワゴン車で隊列を組んで「S波」から身を守るために全国を放浪し始めたんだ。  そのワゴン車数台がまた異様だったので、世間からは「オウムの再来か」と言われたんだ。  先ず、ワゴン車の窓という窓全てにグルグルマークのステッカーが貼られた。これはS波を防ぐためだったんだ。それからワゴン車の中にいる人は頭から足まで全身白装束。頭には白い頭巾を被り顔はタオルで覆って、上下ともに原発で働く職員のように白い服を着て、足には白い靴と、全身が白ずくめ。異様だわなあ。どうも、この白装束がS波を防ぐということらしかったんだ。  また、近く地球は隕石の衝突で滅ぶと言いはじめた。  これは、初期の来岩現正法から見ると明らかに矛盾しているんだ。  「神はこの世に破壊をもたらさない」  「ハルマゲドンは一九七〇年代に終わった」  と常々言い続けてきたからだよ。  黙示録では、ハルマゲドンでサタンは封印されることになっているが、来岩現正法の主張は違っていたんだ。  即ち、サタン(ルシファー)は改心したことになっていたんだ。  また、来岩現正法は「反共」であるが、「国粋主義」ではなかったのに、この頃より靖国神社に祀られている日本兵の言葉を頻繁に機関紙に載せるようになってきたんだ。  まともな思考力を持った人間ならば「これはおかしい」と思うはず。しかし、大輔は信じたんだなあ。信奉する来岩先生が間違ったことを言うわけがないなんて思っていたんだ。  また、登場する天使の名前も変わってきた。  今までは、ミカエルやガブリエル、そしてウリエルとかラグエルとかパヌエルとか、この教団で「七大天使」と呼ばれている天使達だったが、なぜか「バル天使長」などと言うマンガチックな名前の天使が主役になってくるんだ。  そして、地球は滅亡するが、バル天使長などがUFOの大艦隊を率いて助けに来てくれる。そのために来岩先生から、信者(正法者)はワゴン車のキャラバンに参加して、彼らがやってくる時を待てと言う命令が通達されたのさ。  また、バル大天使長以下、天使達はキリスト教の洗礼を受けているとされていたんだ。これでは、キリスト教の方が正しいということになってしまうではないか?  しかし、大輔はまだ信じていたんだな。来岩先生に仇をなす共産主義者を撲滅しなくてはならないと心から思っていたんだ。    そして、大輔は二校目の高校に転任になった。ややレベルは下がるが、進学校であることには間違いはない。  ここでも大輔は持論を展開したんだ。あの反共的な持論をね。  だから周りの教師、特に組合の教師は明らかに大輔を敵視していたんだ。  また、「ウルトラ右翼の教師が転勤してくる」と言う噂が組合を通して伝わっていたようだったからね。
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