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第四十九話
昼見世は客が少なく遊女達はゆっくり過ごす事が多いのだが、最近は源一郎の幼馴染だという男が頻繁にやってくるようになった。今日も当然のようにやってきた公孝は、お気に入りの遊女篠と、数人の新造を侍らせ座敷で酒を飲んでいる。
「またまた、公孝様ったらご冗談ばかり」
「いやいや!もし妻より先に君に出会ってたら俺は絶対君を身請けしてた」
「失礼致します」
と、いつものように公孝が篠を口説いているところへ、遣手の佐知が遠慮なしにズカズカと入ってくる。
「公孝先生、楼主からお話あるそうなのでいらしてください」
「なんだよ!俺は今日客として…」
「楼主の部屋がわからないようなら私が案内いたしますが?」
有無を言わさぬ佐知の強い声音に、公孝はため息をつきながら立ち上がり、いそいそと座敷から出て行った。普段の客とあまりにも違う公孝に対する佐知の態度に、皆呆気にとられていたが、佐知は気にする様子もなく、その場にいた遊女達に言い放つ。
「いいかいあんた達、ああいう顔だけの口の上手い男には絶対に引っかかっちゃいけないよ。篠、間夫にするならもっといい男を選びな」
「佐知さんそんな!私全然あの人好きじゃありません!」
「わかってるよ、あんたは男の趣味がいいからね」
二人の公孝への酷い言い様に、その場にいた皆がクスクスと笑いだし穏やかな空気が広がる。
「ああそれから梅、楼主があんたにも後で話があると言ってたから、呼ばれたらちゃんと行くんだよ」
「…はい」
だが、佐知に突然声をかけられ、思わず笑みを浮かべていた梅はすぐに顔が強張った。源一郎には間夫がいることを追求されたばかりであり、とてもいい話しとは思えない。
「あんた達!今日はもう見世じまいだ。花火見物に備えてしっかり着飾っときな。それから、外に出れるからって逃げようとなんてしたらただじゃすまないなからね」
梅の心など素知らぬ佐知は、皆に向かってそれだけ言うとすぐに部屋から出て行った。佐知がいなくなると、遊女達のとりとめのないお喋りが始まる。
「逃げるったって行くあてなんてないからね、せっかくの花火見物の日に捕まって折檻なんてごめんだよ」
「とか言って環あんた、花火見物に便乗して勘吉さんとこしけ込む気なんじゃないの?」
「そんな度胸ないって、女将さんも怖いけど、佐知さんも怒らせたら容赦ないって知ってるでしょ?」
思い思いに話す遊女達の中、篠が梅に尋ねてきた。
「あんた何か、楼主に呼び出されるようなことしたの?」
「え?」
「さっき佐知さんが言ってたじゃない、楼主があんたに話しがあるって」
「わ、わからないです、なんだろう?」
とぼける梅を、篠は怪訝な表情で見やったが、梅は護摩化すように聞き返す。
「そういえば、佐知さんがあのお客様のこと先生と呼んでましたけど、何かの先生なんですか?」
「あー、あの人はああ見えてお医者さんなのよ」
「お医者さん!」
梅が驚き声をあげると、篠は声をひそめ梅に耳打ちをする。
「まあ、流し専門だけどね」
「ながし?」
「赤子をながすってこと、あんたも楼主や女将さん達に散々言われてると思うけど、身籠るなんてのは遊女の恥だからね。十分気をつけな」
「…はい」
神妙な面持ちで頷きながら、梅は言いようのない不安に襲われた。胡蝶の心中、新造出し、お凛の住み替えと、あまりにも色々な出来事が重なりすぎて気にもかけていなかったが、海と出会ったあの日から、ずっと月のものがきていない。
(まさか…)
不安と共に梅の心に芽生えたのは、好いた男との子どもをこの身に宿しているかもしれないという喜び。孕むは恥だと知っていながら、梅は本能的に、海との子どもを産みたいと思ったのだ。
「あの姉さん、もし赤子ができたらどうなるんですか」
「そりゃ流すに決まってるだろう?紫姉さんほどの花魁ならまだしも、私ら程度の遊女が赤子産むのを許されることは絶対にない。あの医者と玉楼は、切っても切れない仲なのさ」
篠からかえってきた返事は梅に残酷な現実をつきつけ、同時に嫌な予感が頭をよぎる。
(源兄ちゃんの話しって、もしかして…)
不安と恐怖にかられ、梅は、赤子がいるかもしれぬ自らの腹を、守るように両手で覆い身を屈めた。
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