第三話

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「佳乃姉さんの道中綺麗だったね」 「そうかな?」 「そうだよ、おいらがいた村にあんな綺麗な女の人いなかったよ」 「私は佳乃より梅ちゃんの方がずっと可愛いと思う」 「おい、おまえら!」  他愛のない話をしている梅とお凛の前に、突然源一郎が現われ、二人は慌てて廊下を拭き始める。 「ばかやろー!今頃掃除してるふりしたって遅いんだよ!お凛、おまえは二階の座敷掃除するよう佐知に言われてただろうが!しかも今、花魁を呼びつけにした上に梅のほうが可愛いと抜かしてやがったな!お前の目は節穴か!」 「節穴じゃないもん、本当のことだもん」  口答えするお凛に、源一郎がゲンコツしてやろうとすると、梅が慌てて源一郎の腕を掴んだ。 「ごめんなさい、お凛ちゃんのこと叩かないで」 「なんでおめえが謝るんだ」 「だって、本当にお凛ちゃんの目が節穴なんだもん」  梅の応えになっていない言葉を聞いて、源一郎は思わず吹き出す。   梅を買って以来、顔を合わせば嫌味ばかり言ってきていたお吉が、昨日突然源一郎に、梅を買って良かったと言い出した。いったいどういう風の吹き回しだと思ったら、どうやらその原因はお凛らしい。  お凛は、どんなに高い金を出してでもうちが欲しいと、お吉自ら熱心に交渉して買った子供だ。この玉楼にいる禿の中でも、おそらく一番の器量良しだろう。  その美しさは、玉楼どころか、吉原一の花魁だった夕霧を思い起こさせ、お吉は、この子もきっと夕霧のような花魁になるに違いないと期待していたのだ。  しかし、そんなお吉の期待はもろくも崩れさる。お凛は、夕霧とは似ても似つかぬはねっかえりの乱暴者で、花魁の佳乃や姉女郎達に食ってかかるは、禿達と取っ組み合いのけんかをするはでまったく手に負えない。  特にひどいのは逃亡癖で、夜中に逃げようとするなんてのは日常茶飯事。中でも一番騒動になったのは、佳乃の花魁道中の時のものだろう。  花魁道中とは、その名の通り、美しく着飾った花魁が、禿や新造達を引き連れ吉原の道中を練り歩く、最高級の遊女にしか許されない見せ物だ。  初めて花魁道中に参加することになったお凛は、朝からこんな着物はきたくないと大騒ぎした。それでも、お凛がいるのといないのとじゃ見栄えが違うと、なんとかねじ伏せ、半ば強制的に道中に出したのだが、それが大きな間違いだった。  お凛は道中を歩いている最中に、突然履いていた下駄を脱ぎ捨てると、そのまま大門に向かって全力疾走で走り出したのだ。  その日は佳乃の道中どころではなく、禿が逃げたぞとてんやわんやの大騒ぎ。お凛はあえなく捕まったが、佳乃は顔を潰されたも同然だった。  当然、お凛への折檻は、今までの中で1番きつく厳しいものになったのだが、どんなに厳しい折檻をしても、お凛の逃亡癖は直らない。お吉も源一郎も、このままでは花魁になる前に折檻で死んでしまうのではないかと、ずっと頭を抱えていた。  そんなお凛が、梅が来てから、まったく逃げようとしなくなった。あれほど苦労した花魁道中も、昨日は佐知が「佳乃花魁の道中に、梅がお凛と一緒に出たいと言ってるがどうする?」と聞くと、あっさり着物を着ておとなしく道中に参加したのだ。   お吉は、お凛のあまりの素直な態度に拍子抜けしたが、どうやら梅が原因らしいとわかると、途端に「梅を買ってよかった」と言い出した。  源一郎自身、梅を買う事が、お凛にこんな影響を及ぼすとは全く考えもしなかったが、自分の買い物が役に立った上に、母のお吉に認められ、悪い気はしない。
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