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その6
「エンジェル・フロム・モンゴメリー」はとっくに終わって、部屋には沈黙が流れていた。
この曲は、アメリカの貧困層の問題や悲哀を歌ったブルース。間違ってもラヴソングなんかじゃない。
レインがなぜ、今この選曲をしたのか分かるよ。
こんな時、だからこそ。
アタシは息もつけず、レインの横に座っていた。
泣いているのが自分でも分かった。
笑顔を見せたい。全力で今の気持ちを表現したい。
思いとは裏腹に、顔が言うことをきかなかった。
「家族として、サニィを背負う。それなら俺は納得してここにいられる。お互いを気づかって会わないんじゃなくて、お互いを守るために一緒にいるってこと。それが、俺の出した結論。」
遠くでカラスが鳴いている。ウイルスはそこら中に蔓延しているような気がしてるけど、実際には世界中で産業が停滞して、空気は今まで以上にきれいになっているんだろう。
何だか変な話だよね。
「やっぱり、先に相談した方が良かったかな?迷惑だったかな?いつもサプライズされてるから、こんな時こそ…。」
「もうそれ以上、言わないで。」
アタシはやっとのことでそう絞り出した。
そして、そっと彼の手から指輪を受け取り、手のひらに乗せてまじまじと見つめた。
婚約指輪には似つかわしくない、ダークシルバーの細いリング。表面にツタの模様がたくさん刻まれている。「ツタ」を英語にした名前の女パンクスを、アタシたちは知ってる。アタシの大親友で、世界一カッコいいオンナだ。
「レイン、つけて。」
「うん。」
彼はアタシの右薬指に指輪をつけてくれた。こんな時のために、ひそかに測ってくれていたんだろうな。ピッタリだもん。
「きれい。」
アタシは手をかざして、レインに指輪を見せた。
「きれいだ。指輪も、サニィも。」
こういう時、ハッキリと言葉に出してくれるレイン。
思いは伝わるけど、言葉にしてくれたらなお伝わる。
「俺と結婚してくれますか?」
「はい、よろしくお願いします。」
そう言って、アタシたちは抱き合った。
かたく、やわらかく。
いつの間にか、お日さまはお休みを告げていたみたいだった。
「バツイチだから、指輪とかもらえないと思っていたよ。」
しわくちゃのシーツにくるまりながら、アタシはレインに向かってつぶやいた。
「それ、今さら言うの?」
「いいじゃん。隠し事でもないんだし、アタシは気にしてないから。」
「まあ俺はバツだけど、サニィは違うだろ。こういう風になるなら、ちゃんとしてあげないと。」
レインはそう言って、アタシの肩をそっと抱き寄せた。
今は二人とも、何も身につけていない。この指輪を除いたらね。
「見て。」
そう言って、アタシは彼の前に指輪をつけた手をかざした。さっきから、もう10回以上そうしている。
レインは笑みを浮かべて、ただうなずいた。
「さっき、ちゃんとしてくれるって言った?」
「言ったよ。」
「じゃあ、ちゃんとして欲しい。」
「なに、結婚指輪のこと?それとも結納とか?」
「そんなの、どうでもいい。」
アタシはそう言って、チラッと台所に目をやった。
今から料理、めんどくさいな。もうお鍋だけでいいかな。
「結婚パーティーしたい、ライヴハウスで。」
「式場じゃないの?」
「それはうちのお父さんが張り切って仕切るはずだから、別にいいの。ライヴハウスで、みんな集めてさ。バンドもたくさん呼んで、DJもたくさん呼んで。ナミもアイヴィーちゃんも、松下のおばちゃんも。」
「ああ…楽しそうだな。」
「いつになるか分からないけど。この状態がおさまって、みんなが安心して笑顔で外に出て、笑い合ったり大声で話し合ったり、酔って抱き合えるようになったら、必ずやるんだ。」
「試練を乗り越えた、最高のご褒美になるね。」
「レインもDJやってくれる?」
「まあ、考えとくよ。」
その言葉に一応納得して、アタシはあおむけになり、また指輪を眺めた。友達のデザイナー・鉄太郎君の手持ちのリングから、大急ぎでピッタリなものを見繕ってもらったんだって。よくこの期間で用意したよね。
アタシとレインに、ピッタリの指輪。
きっと結婚指輪も、こんな感じになるんだろうな。
「今は、そのイメージだけで生きていける。それまでは、ずっとレインと抱き合って過ごすから。今はそれで十分。」
そう言って、アタシはレインにしがみついた。レインも優しく抱き返してくれた。
「その日が来たら、アタシは泣いちゃうかもな。レインは?」
「サニィが泣いたら、俺は1ミリも泣けないよ。」
「レインのばか。」
アタシたちはそう言って笑い合い、そしてまた唇を重ねた。
晩ごはんは当分先になりそうだった。
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