その4

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その4

何とか経堂駅前のレンタカーショップまでたどり着くことができた、二人とも五体満足で。思わず息がもれたよ。 レンタカーショップで車を返却して、駅から自宅のマンションまでは歩いてもあっという間。遠慮するレインの荷物を、アタシは有無を言わせず半分こした。 みんながマスクをして、やや距離を気にしながら歩いている以外は、すすらん商店街はいつも通り。 「このお弁当屋さん、覚えてるよ。」 「そうなの?」 「あの時、サニィが“お弁当屋さんの隣”って教えてくれたから。」 その言葉を聞いて懐かしい思い出がよみがえってくる。顔から火が出るような、でも心地よい思い出。 レインと初めて言葉を交わした夜、アタシは思い通りに事が進まず、いら立って酔い潰れた。 レインはそんなアタシを、ライヴハウスから家まで送ってくれた。アタシはそのままオトナの関係を期待してた…けど、レインはアタシをベッドに放り込むと、さっさと帰ってしまった。 翌日、割れるような頭痛を抱えて、アタシは自分のバカさ加減を呪いに呪ったっけ。 勘違いオンナの惨めな朝。 でも、あれがあったから今がある。 「あの日以来だよね、うちに来るの。」 「そうだね。」 付き合い始めてもう3年。お互いの色んな面を見てきた。 何度も同じ朝を迎えた。 今さら遠慮し合う仲でもない。 でも、こうやって彼がアタシの家に来ることは今までなかったし、これから一緒に暮らすとなればなおさら感慨深い。 アタシはちょっと緊張しながら、家の鍵を取り出した。 「うわー、懐かしいな。」 手洗い・うがいをしてから部屋に入ると、レインは嬉しそうにベッドサイドに近づいた。 壁に貼られた大きなポスター。アタシとレインが初めて共演した、あのライヴハウスでのパンク・イヴェント。 あの日、女性カメラマンの松下のおばちゃんが、ライヴ後のアタシたちを一枚の写真に収めてくれた。 長丁場のイヴェントで見た目はボロボロになったけど、満ち足りた表情で身を寄せ合う二人のDJ。この時はまだ友だちだったけど、絆は確実に深まったよね。 その写真も、ポスターの横にちゃんと飾ってある。 「あれからもう3年かあ。早いなあ。」 「レコード、全部とってあるよ。」 アタシはそう言って、大きな棚を指さした。 彼がそちらに近づく。 あの日、レインはライヴDJを卒業した。 彼はアタシに、自分の所有していたレコードを全部残していった。「サニィが使って」と。 レインのコレクションには、アタシが見たこともないようなレアな作品がゴロゴロしている。アタシはありがたく使わせてもらうことにした。 同じレコードが2枚かぶっていても、そのままにしてある。 アタシの中では、レインのレコードは「もらったもの」じゃなくて「借りてるもの」。 いつか、レインがDJとして戻ってきた時。レコードがなくちゃ、困るでしょ? 残念ながら、今のレインにその気はないみたい。彼は懐かしそうに、レコードを眺めているだけだった。 「お鍋、作ってあるよ。ちょっと時間くれたら、他の料理もすぐできるし。おなか、すいてない?」 「いや、まだ大丈夫。夜まで待てるよ。」 「お風呂、入る?」 「それも夜でいいや。」 そう言って、彼はベッドに寝転がった。アタシはそんな彼の姿をじっと見ていた。 彼のハスキーな声が大好き。スマホ越しに聞いてるのとは、やっぱりぜんぜん違うな。 小柄な身体。少年のような顔つき。今は薄手のパーカーにジーンズを履いて、シルバーのスカル・リングが指にきらめいている。タバコはずいぶん前にやめた。 スーツも似合うし、ライダーズ・ジャケットも似合う。 これが、アタシの彼氏。思わずニンマリしちゃう。 午後の日差しはまだ強くて、何をするにも中途半端な時間だった。 お互い、黙っているのは苦にならない。 外には遊びに行けないけど、こうして一緒にいるだけで、流行りのアミューズメントに行くより幸せな気分になれる。 それが、これからは日常になるんだ。 よしっ。 「じゃあ、レインのために、これから歓迎の儀式を行います!」 唐突にアタシはそう言うと、クローゼットの方に飛んでいった。 「歓迎の…儀式?」 レインの顔には“真意を測りかねる”というような半端な笑みが浮かんでいる。サプライズ好きなアタシの性格はよく知ってるから。あれは、“今度は何を始めるんだ?”といった表情。 アタシは食事に使っているローテーブルの上に、手持ちの機材を並べ始めた。 ミキサー。CDJ。ターンテーブル。 「ターンテーブルは1つしかありません。アナログオンリーはできないので、ご了承ください。」 レインはベッドの上に座り直した。今や顔には満面の笑み。 「DJサニィのプレイが家で聴けるのかあ。これはぜいたくだね。」 「ドリンクはフリーになってます。冷蔵庫にビールとワインが入ってるので、ご自由にどうぞ!」 「DJならやっぱりビールだね。」 そう言ってレインは冷蔵庫からビールを2本出してきた。両方のフタを開け、1本をアタシの前に置く。アタシはヘッドホンで1曲目を調整していた。 「ちゃぶ台DJだから座ってプレイするけど、レインは自由に楽しんでね。踊ってもいいんだから。それじゃ始めます!」 そう言って、アタシはターンテーブルのプレイボタンを押した。レインがガッツポーズで応える。 自宅用の小さなスピーカーから、デッド・ボーイズの「ソニック・リデューサー」が流れ始めた。
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