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反日なんかどこにもなかった1990年代
(三)第三回~七回韓国訪問
その後、私はもう一度韓国を訪れた。既に九〇年代になっており、ソ連は崩壊し、昭和も終わっていた。もう「女」を買うことはなかった。「地球の歩き方」を持っていき、地下鉄に一人で乗る練習をしたのだ。
そして夏休みになってから再度韓国を訪れた。今度は友人を誘ってロサンゼルス発関空経由ソウル行きのユナイテッド航空で金浦空港に降り立った。私は既にソウルの地下鉄の乗り方は分かっていたが、誘った友人の方が、ずっと営業の仕事をしていた男だったので、簡単に地下鉄に乗りこなした。
タクシーで移動することもあった。ソウルには普通の料金を取るタクシーと、少し割高になるが模範タクシーと言って悠々と乗れる黒いタクシーがある。我々は黒いタクシーでホテルへ行った。料金が高かったので友人は「ぼったくられた」と思ったようである。彼はネトウヨであり、「ソウルでは日本人はぼったくられる」と思い込んでいるようだった。実際はそうではない。また、普通のタクシーは相乗りであり、これにも初めて韓国を訪れる人達には驚くようなことであったようである。
彼はことあるごとに「この国はひどい」と口にしていたが、私には何がひどいのか全く以て意味不明である。ぼったくりタクシーだったらフィリピンやタイやロシアの方がひどかった。彼は海外へ行くのは初めてであり、それも「大嫌いな」韓国へ連れて行かれたので不満だったようである。
その後、私は韓国へもう二回行くことになる。もう一回目は教会訪問であり、後の一回は「お見合い」であった。
先ずは「お見合い」であるが、大韓航空の元CAとお見合いをした。彼女は早稲田に留学経験もあって日本語も堪能であり、韓国人という感じは全くしなかった。そしてなぜか「韓国にいた頃は洗脳されていたが、日本に留学して本当のことが分かった」と言っていた。
この時は大水害がソウルを襲い、喫茶店へ入ると店が水浸しになっていたので、私は水くみを手伝った。お店の人は何度も「カムサハムニダ」と礼を言っていた。ここでも「反日」なんかはどこにもなかった。
(四)第八回~十一回韓国訪問
一九九〇年代になってからも私は数回韓国を訪れた。また、この頃より諸外国へ一人でふらっと旅行する機会も増えた。イギリスへ2回、アメリカへ1回、タイへ1回、ロシアへ1回、中国へ2回、中東へ1回行っている。
また、この頃に結婚したので妻を連れて三回韓国を訪れた。韓国自慢のKTXに乗って扶余まで行ったこともある。
その頃に韓国で起こった危機がIMF危機であった。一気にウオンの価値が今までの半分に暴落し、多くの韓国人の海外への留学などが手控えられた。(と言っても、この時にアメリカへ留学に行くというソウル大学の学生と同じ飛行機に乗り合わせたことがある。彼は韓国で東海と呼ぶ日本海が飛行機内で「Sea of Japan」と書かれていたので驚いていた)
この頃、私はクリスチャンになり、韓国語が活かされることになった。
韓国の宗教事情を言うと、最も人口の多いのはキリスト教である。カトリックとプロテスタントを合わせると人口の四〇%はキリスト教徒である。クリスチャンの大統領もいるし、軍のトップエリートにもキリスト教は深く浸透している。勿論、文化的には儒教の影響が最も濃厚であるが、キリスト教のパワーは計り知れない。世界最大の教会もソウルにある。チョー・ヨンギ氏の創設したヨイド純福音教会である。信者が八十万人もいるので、日曜日には一回の礼拝では入りきれず、一日十回礼拝を行っている。日本武道館のような大きな礼拝堂には3万人もの人間が収容できる。
それに対し、日本のキリスト教界は完全に沈滞している。キリスト教徒も人口の一%しかいない。だから、韓国を旅行して先ず驚くのは至る所に十字架が立っていることだ。
従って、日本のキリスト教会の中には欧米ではなくて韓国から宣教師が来て開かれた教会も少なくない。
私がキリスト教の洗礼を受けたのは一九九八年であり、それまでは完全な旅行者として韓国を訪れていた。そして、その間に韓国語も上達し、また地図を広げて韓国ならどこへでも行けるようになっていた。ソウルの地下鉄も地図なしで乗れるようになった。
そして洗礼を受ける直前に、このヨイド純福音教会を訪れたのである。
純福音教会は日本にもあり、私は時々神戸の純福音教会へも出かけた。そこで「反日フィルム」を視たこともある。
内容はサハリンにキリスト教が伝わっているというものであったが、ネトウヨ君が視たらきっと怒り出すような内容だ。
先ず、一九八〇年代のソ連が映し出され、次に「徴用」の話が出てくる。多くの韓国人がサハリンの炭鉱で働かされているといった内容であった。この「徴用」については、徴用工が日本企業を訴えて賠償金を払うという判決が下ったことは記憶に新しい。
ところで、ヨイド教会での日本人に対する待遇であるが、それは「極めて良い」と言っても過言ではなかろう。元々、キリスト教の目的は「全世界へ出て行って福音を伝える」ことにある。だから、反日的な言葉が牧師や信者によって発せられたのは聞いたことがない。まあ、サハリンの「徴用」のフィルムは視せられたが---。
その教会へ初めて行った時に私は「聖霊」というものの存在を知った。信仰体験を話すのは本題と逸れるので話さないが、大変活気に満ちた教会であった。そして、外国人専用席には同時通訳機が備えられてあり、「Japanese・English・German・French・Spanish 」と書かれていて、「Japanese」のボタンを押してヘッドフォンを当てると流暢な日本語が聞こえてきた。聖歌を映し出すスクリーンからはハングルの歌詞の上に日本語の歌詞が字幕として一緒に映し出された。ここへ来る日本人が多いためであろう。だから、牧師の説教も日本語で聞くことができた。そして、最後に「日本人の方はお残り下さい。」と聞こえてきた。私が外国人専用席に残っていると、流暢な日本語を話す方が、「こちらへどうぞ。」と言うのでついて行ったら、「日本宣教会」という別棟の建物の一室まで連れていかれた。そこには畳までがあり、漢字で「日本人一千万人救霊」と書かれた掛け軸もあった。この教会の目標なのであろう。そして、韓国料理がふるまわれ、その後、日本のために祈った。
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