2人が本棚に入れています
本棚に追加
在日特権なんかどこにもない。
(五)第十二回~十四回韓国訪問(二一世紀の韓国と日本)
二一世紀になってネットに韓国の悪口を書き込む所謂「ネトウヨ」が出現した。彼らは韓国本国だけではなく、在日韓国朝鮮人まで非難のターゲットにする。韓国の反日に対して日本人が眉を顰めるのはわかるが、なぜそれが在日コリアンにまで及ぶのであろうか?実はネットの上では在日は「在日特権」というものを持っているという全くの嘘・出鱈目が流布されているからである。例えば在日は税が免除されているとか、生活保護の8割は在日であるとか言った嘘がネット上で喧伝されている。それは勿論嘘であるが、韓国へ行ったこともないのにこのような嘘を信じてネトウヨになる人々が多くいる。
リーマンショックの時には就職もほとんどなく、この頃に就職活動をやってきた人達はネットカフェ難民になったり、引きこもってしまっている人も多い。
このような閉塞した社会で彼らの行き場はなくなり、いつしかその怒りの矛先は韓国や中国に向けられるようになってきた。なぜ韓国や中国なのかと言うと、先述したように彼らは「在日特権」を持っているという全くの都市伝説がネット上でばらまかれているからだ。
「日本人は生活保護を受けるのさえ難しいのに、彼らは税金を食い物にして特権を振りかざしている」という一種のルサンチマンがそこにはあるのではないか。
ところで「在日特権」とは何だろうか?
・彼らは特別永住資格が与えられ、日本に永住できる。他の外国人のように犯罪を犯しても強制送還されることはない。
・彼らには「通名」使用が認められている。
・外国籍であるにもかかわらず生活保護の受給が認められている。
・自治体によっては税制面での優遇措置がある。
これらは事実であるが、だからと言って在日コリアンが優遇されているということになるのだろうか?
先ずは特別永住資格であるが、そもそも韓国は日本の植民地であったのだ。だから日本は「宗主国」である。勿論、彼らの中には戦時中の徴用で連れてこられて日本から帰れなくなった人達もいれば、朝鮮戦争の戦乱を避けて密入国した人もいることは確かである。しかし、戦前から日本にいた人達は元「日本人」だったのである。それが、敗戦とともに急に「外国人」にされて日本人が持っていた権利を全て失う。参政権は勿論、国籍条項で公務員にもなれなくなる。そんな人々が日本にいる権利を与えても、それは旧宗主国として当然なのではなかろうか?
私は南回りでイギリスへ行ったことがあるが、多くのインド人が乗ってきて、堂々と税関を通って行った。イギリスは単一民族国ではない。夏のロンドンでは、様々な国籍の人々が働いている。それを誰も不思議とは思っていない。勿論、イギリスはテロの本場だから最近ではムスリムの入国をあまり歓迎してない人もいるという。しかし、イギリス人の何でも飲み込む度量の広さには感心した。日本人もかつては大陸から様々なものを輸入し、内外ごちゃまぜにして今の日本文化を創ってきたのではなかったのか?なぜ在日コリアンに対してもっと寛容になれないのか?
また、「通名」であるが、戦前には「創氏改名」が行われたということは誰でもが知るところである。これには「無理矢理改姓させられたのだ。」と言う人もいれば、「いや、彼らは日本人になるために自ら進んで改名したのだ。」と言う人もあり、その意見はまちまちである。いずれにしても、在日コリアンには日本名を名乗って生活しても構わないとされている。しかし、これも「特権」と呼ぶほどのことだろうか?本名を名乗ったら差別もあるし、通名を認めたからと言って何か日本人にとって不都合なことでも起きるのだろうか?また、ネットの世界では彼らは通名で悪事を行い、それが発覚しないように名前を何回も変えていると言われている。これは嘘である。日本名(通名)は一生変えることはできない。
それから、生活保護や税制面での優遇措置のことであるが、確かに在日コリアンで生活保護を受給している者も多い。これが「日本人でさえ簡単に生活保護をもらえないのに---。」というネトウヨ達の論理にすり替わる。確かに中国人が生活保護の不正受給をされていたという事件もあったが、そんなのはたまたま起こった一例にしか過ぎない。在日コリアンは日本人でなくなった途端に年金まで打ち切られたのだ。生活保護の受給者が多くいたからと言って、おかしいのだろうか?それが財政を圧迫するまでのものだろうか?また、たったの六〇万人で一億人の福祉を削るなどという芸当ができるものだろうか?
以上、「在日特権」などというものは幻想である。
私はかつてはウルトラ右翼だったが、その頃は昭和であり、ナショナリズムのスローガンは「反ソ・反共」であった。
ソ連の崩壊とともに「敵」はアメリカへ向かい、やがてナショナリズムは「反中・嫌韓」へと向かっていった。
二〇〇五年には「嫌韓流」が発売され、二〇〇七年には「在特会(在日特権を許さない市民の会)」ができた。
この二一世紀。その間に国際情勢も大きく変化した。その変化の中で何よりも目をみはるものが中国の台頭だ。今やGDPで日本を抜いたのみならず、ITの分野でも世界を席巻しつつある。ファーウェイなんかは急成長企業として有名だ。また、韓国は財閥の力が大きく、財閥系の企業と一般の企業では給料格差も三倍程もある。だから、一流大学を出てサムスンなどの財閥系の企業に入ろうという競争は激しく、自然と受験戦争も激しく、それは日本の比ではない。
また、この時代からネットが普及し始めた。そしてネットを通じて嫌韓になる若者が増加し始めた。
そのネトウヨ君の意見には耳を疑うようなことがある。
「あなたは韓国のことをどれだけ知っているのか?」とか「四天王寺ワッソって何やねん?」とか、とにかく批判のための批判が渦巻いているのだ。
先ず、「あなたは韓国のことをどれだけ知っているのか?」という問いに答えたい。
ネットで何を見たのか、2ちゃんねるなんかを見て言っているのかも知れないが、同じ質問を彼らに問うてみたい。「あなたは生身の韓国のことについてどれだけ知っているのか?」また、「では韓国以外の国々のことをどれだけ知っているのか?」とも問いたい。
現在、ネット上では韓国人に対する日本人の非難の声が飛び交っている。日本人は平気で韓国人のことを「チョン公」と呼ぶ。これは韓国人が日本人のことを「チョッパリ(日本人の蔑称で『豚の足』の意味。日本人は足袋や下駄を履くのでこのように呼ばれる)」と呼ぶことへの応酬だそうである。しかし、この「チョッパリ」という言葉は韓国でもタブーなようである。実際に私が韓国で食堂へ入り、ジョークで「チョッパリ」という言葉を口にした途端に、横のテーブルで昼食を食べていたサラリーマン風の三人の男の会話が途切れてしまい、三人は凍り付いてしまった。そして一斉にこっちを見られた。また、韓国は文の国で日本は武の国だとよく言われる。実際に韓国人同士が路上で言い合いをしている光景を目撃したこともある。その時、二人の男性は手を後ろに組んで「私は暴力を振るいません」という意思表示をしていた。ネットで「同士」を集めて「ヘイト=スピーチ」をやる日本人とどちらが劣った民族であろうか?
それから、実際の韓国人というのはネトウヨの諸君が思っている以上に優しい。少なくとも私が接してきた韓国人はそうであった。
私は十四回韓国へ行っているが、「チョッパリ」などと言われたことはない。きちんと「イルボン・サラム(日本人)」と言ってくれる。ある時などは、綺麗な女性に「チハチョル・シジョンヨク・オディイムニッカ?(地下鉄の市庁舎駅はどこですか)」と尋ねたところ、ゆっくりと「オディ・ナラ・エソ・ワッスムニッカ(どこの国から来たのですか)」と聞き返され、「イルボン(日本)」と答えると、日本語で「まっすぐ行って左」と教えてくれた。慰安婦像の前で日の丸を燃やすようなテレビなどでよく見かけるシーンは普通の韓国人にはないようである。また、空港や露天で「クレヨンしんちゃん」の飾り物を売っているところもよく見かけた。面白かったので私も一つ買って帰った。
「地方へ行けばひどい『反日』もあるだろう。」と思う人もいるかも知れないが、独立記念館のあるチョナンや百済の旧都の扶余なんかへも出かけたが、みんな親切であった。日帝三十六年に対する「恨(ハン)」なんかどこへ行っても感じなかった。ネットの仮想現実の世界と現実の世界は明らかに違うのだ。
また、私が不思議に思うのは、なぜ怒りの感情を韓国なんかに向けるのか?ということだ。向けるなら先ずは北朝鮮だろう。あるいはロシアはどうなるのか?かつてスターリンの軍隊は日本が敗戦する8月15日の直前の8月9日に日ソ中立条約を破って満州・千島・樺太へ侵攻し、8月15日が過ぎても侵略を止めず、火事場泥棒的に北方領土まで占領し、八十万の同胞を殺し、三十万の日本人をシベリアへ連行したのだ。この問題は未だに解決していないばかりか、プーチンは北方領土に基地まで作っている。このロシアという巨悪になぜ誰も何も言わないのか?
韓国なんかは発展したとは言え、そのGDPは東京都程度である。こんな国を敵視して何になるのか?私には全く理解不可能だ。 さらに、嫌韓のネトウヨ君達はなぜか「上海から西」のことには全く興味がないようである。勿論、南のニュージーランドやオーストラリアのことなんかは全く興味がない。ニュージーランドは人種差別の撤廃では優等生と言われ、マオリ族と入植者が共存している(だからラグビーでマオリのダンスをする)のに、「あそこは白豪主義だねえ」なんて言ったネトウヨ君もいた。それはオーストラリアだろう?ネトウヨの諸君が国際人と言うのならパレスチナ問題についてどう思っているのか伺ってみたいものである。あるいはヨーロッパに押し寄せる移民問題についても伺ってみたい。南スーダンがなぜ危険なのか教えて欲しい。ミャンマのロヒンギャについての意見も伺ってみたいものだ。
次に「四天王寺ワッソ」のことについてお答えしよう。
ネトウヨ君達の主張は「純粋な日本のお祭りに『ワッソ』なんていう韓国語を使うとは何事だ。」というものである。こう言う人達は日本史について全く無知なようだ。四天王寺は日本で最古の寺である。すなわち、仏教が渡来した頃に建てられた寺なのだ。その仏教がどこから渡来したか知らないのか?勿論、現在の韓国語は新羅の言語に由来していて、仏教は百済から伝わったものなので、当時「ワッスムニダ(来ました)」と言っていたかどうかは定かではない。しかし、「ワッソ」という言葉を使っただけでどうしてこうも過剰に反応するのだろうか?このような過剰反応には全く馬鹿馬鹿しくなるようなものも多い。かつて、サンケイ新聞にヘイト・スピーチが押し寄せたことがある。その理由の一つが「子供達への産経のアンケートで『一番好きな給食のメニューは何か』と尋ねたところ、一位がキムチ鍋だった」というのが大きな理由らしい。私はウルトラ右翼であった頃には産経新聞を取っており、「正論」も購読していた。かつて、その「正論」で懸賞論文に佳作で通ったことがある。そして組合派の教師から「右翼」と言われた。それが産経である。産経は右よりで朝日は左よりというのは日本の常識である。その産経新聞が子供達の最も好きな給食のメニューが「キムチ鍋」だったと載せただけで左傾化でもしたというのか?
全く理解に苦しむ。これはただの「新聞社いじめ」である。
また、ネトウヨの諸君は何か韓国が「hell 朝鮮」と呼ばれるほどひどい国であり、
若者には夢も希望もないと思っているようである。しかし私が行った韓国は行くたびに発展しており、若者達も活気に満ちあふれていたように思われた。ネットには仕事も出世も結婚もあきらめた「三放」などという言葉が出てくるが、そんな感じは全く受けなかった。それはソウルだけではなく扶余や大田や釜山でも同じだった。また、若者の自殺や就職難などについても語られることが多いが、それは日本だって同じだ。ソウル市内にはスラム街も確かにあるが、現在は区画整理中である。日本にだって山谷や釜ヶ先があるではないか。
確かに一人あたりのGDPはまだ日本よりは低いが、住宅環境の良さや交通手段の安さなど、日本と比較して完全に見劣りしているわけではない。また、昔のソウルの地下鉄にはあまり衛生的とは言えないような店が並んでいたが、現在ではお洒落な店が軒を連ねている。変わらないのは日本と比べて漢方薬の薬屋が多いことくらいであろう。日本料理店は確かに諸外国に比べて少なかったが、これは既に韓国に独特の食文化があるからだろう。
韓国は決して日本に見劣りする国ではない。
これで思い出すのが韓国の食堂である。韓国では従業員が食べたご飯をお客さんの炊飯器に移し替えて食事を出していた。これは衛生の問題ではなく、文化の違いだろう。私はむしろその豪胆さに感心した。これをただ汚いと言う人とはあまりお付き合いしたくない。
(六)形を変えるナショナリズム
何回目の韓国訪問だったか忘れたが、私はいつものエコノミークラスの席が取れなかったので、ビジネスクラスでアシアナ航空に乗った。その時に隣に乗ってきたアメリカ人のお婆さんが英語で「私は日本人は好きだが韓国人は嫌いだ」と言ったことがあった。理由を尋ねてみると「日本人は紳士的に話すが、韓国人は大声で話す」ということであった。しかし、これは単なる文化の違いである。韓国は大声文化なのだ。また、お婆さんは私の宗教を尋ねてきたので私が「キリスト教だ」と答えたら「私は日本の○○宗に入っている」と言って胸を張っていた。この○○宗は日本人なら誰でも知っている新興宗教であった。
このようなアメリカ人が誤解で韓国の悪口を言うのは分かるが、日本人はなぜ韓国をそこまで嫌うのだろうか?これには二一世紀になってから現れてきたナショナリズムと不可分の関係があると思う。そして、このナショナリズムの傾向は日本に限ったことではない。
二〇一七年、アメリカにトランプ政権が誕生して世界を驚かせた。トランプは「アメリカ=ファースト」を掲げ、TPPやパリ協定から離脱した。また、不法移民を制限する政策も打ち出した。これは新しい形のナショナリズムである。注目すべきはトランプは「アメリカ=アス=ナンバーワン」と言ってるのではないということである。また、フランスでは極右のルペン率いる人民戦線が勢力を伸ばしてきた。オランダでも外国人排斥を訴えるオルフォイン党が勢力を伸ばした。
ヨーロッパやアメリカは移民問題を抱えている。そして、「彼らが仕事を奪った」「なぜ我々の税金を使って移民を助けなければならないのか?」という憎悪の念が猛威を振るいだしたのである。
これが、かつての日本の高度成長期のように全体としてのパイが増えていく社会であったら何の問題もない。増えたパイを移民に、あるいは福祉に割り当てればいいからである。しかし、どう考えてもこれからはパイが増えていくということはあり得ない。そうなると少ないパイの奪い合いが始まる。パイの奪い合いが起こる社会では、トマ=ピケティが言うように富が一部の金持ちに集中し、貧富の差が拡大する。そこで、特に貧しい人々の不満は移民などに向かう。「自分達が貧しいのになぜ移民を助けなければならないのか?」という憎悪がそこから生まれてくる。そして、日本の場合は、この憎悪はネットを通して反日国家である韓国や犯罪国家である北朝鮮、そして果ては在日韓国・朝鮮人に及ぶ。
かつて在特会が朝鮮人学校に向けてヘイト=スピーチをやったことがある。彼らは、朝鮮学校に通う生徒に向かって「スパイの子やないか。」と言ってシュプレヒコールをかけたのである。勿論、私も朝鮮学校で金日成や金正日の写真を掲げたりすることには違和感を感じる。しかし、朝鮮学校の生徒に本当にスパイ教育なんかやっていたらみんな学校をやめるだろう。彼らはもっと現実的だ。日本の中で生きていくしか選択肢のない彼らは、何とか日本人とうまくやっていこうと考えている。
しかし、在特会の主張は違う。彼らが京都の朝鮮人学校で行ったヘイト=スピーチでは、それは主張とも呼べないものであった。
「ウジ虫朝鮮人は帰れ。」「糞と話すことなんかない。」とシュプレヒコールを上げたのである。
一体、日本人の知性や感性はここまで落ちてしまったのか?
誠に情けない限りである。
日本は確実に格差社会に突入している。企業は正社員を雇わず、派遣やアルバイトを増やして収益を上げようとしている。このような格差を放任しておいて「美しい国」も糞もあったものではない。そして、ネトウヨや在特会は生活保護受給者を槍玉に上げる。弱い者がさらに弱い者をいじめているのだ。
また、自民党政府が目指しているのはトリクルダウンである。「最初に儲けた者のおこぼれを弱者が頂戴せよ」ということである。これなら中国と実態は何も変わらない。そして、ネトウヨの諸君は「日本は韓国や中国よりはましだ」と言うのである。
かつての先進国がよくも中国や韓国と比較できたものである。私は北欧などの福祉を見習うべきだと思っているのだが、そんな考えは彼らの中にはない。いつも見るべき対象の国は韓国や中国なのである。それならば「北朝鮮よりはまし」と言ってはいかがなものだろうか?
また、ネトウヨの諸君が言う「愛国心」と我々元右翼の言う「愛国心」にはどうも齟齬があるようである。私は愛国心の源郷は郷土愛だと思っている。元々、江戸時代には日本国など存在せず、藩が「国」であった。藩を一歩出ると言葉も習俗も違った。しかし、明治以降近代化を目指す日本は中央集権を推進するために学校を建て、方言も禁止し、元々は単なる氏神にしか過ぎなかった神社神道を国家神道という形で統一する。だから、彼らの愛しているのは装置としての国家なのである。沖縄で基地に反対する沖縄の人達を「土人」と呼んだり、今村雅弘復興大臣の「東北でよかった」などという発言が出てくるのはその証左である。こんなことを言うと、ネトウヨの諸君は「あなたは中国のスパイか?」とか「日本を分断させるな」とか言ってくるのだろう。「愛国心」の源郷は当然「愛」の気持ちである。しかし、彼らに「愛」なんて感じないと言えば言い過ぎだろうか?
かつて森友学園が幼稚園児に教育勅語を覚えさせたり、中国や韓国に反省せよと言わせたりしていた。そしてそれを安倍首相の夫人の昭恵氏がいたく褒めていた。幼稚園児に反中国・反韓国を教えることが「愛」なのだろうか?これは既に「愛国心」ではなくて排外主義である。自分と違う者や違和感を持つ者に対する忌避感である。
私はヨーロッパやアメリカで黄色い人や黒い人や白い人が混在しているのを見てきた。この度量の広さが日本人にはないのか?はっきりと言って私は移民の受け入れには賛成派である。これから少子高齢化を迎え、人口も減少し、若年労働力が減ってくる。移民の受け入れはその解決のための一手段であると思っている。これに対してはいつもは安部さんを支持するはずのネトウヨ達は異論を唱える。「犯罪が増える」と言うのである。しかし
現実に愛知県のトヨタの関連会社には既に多くの外国人が働いているが、犯罪が増えているだろうか?
確かに「イスラム過激派が混じっていたらどうするんだ?」とか言った意見もあろう。しかし、そんなことを言っていると日本は「おもてなし」の国どころか「差別大国」と映るであろう。ネトウヨの諸君は黒い人や褐色の人や白い人に接したことが少ないらしい。英語の教師でもあった私は、その点では彼らに何の違和感も感じていない。韓国人や中国人を忌避する感情というのは、彼らが白人や黒人に対して抱いている恐怖感の裏返しだと言うと言い過ぎであろうか?
最初のコメントを投稿しよう!