実際の在日韓国人はいい人達ですよ。

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実際の在日韓国人はいい人達ですよ。

(九)在日の生徒達。  私は長年教師をやってきたので、多くの在日コリアン(最近では国籍も様々で、ブラジル系や中国系もいるが)の生徒達とも接触してきた。「自らカミングアウトしないと在日なのかどうかわからないのではないか」と思われるかも知れないが、実は教師は入学当初から在日コリアンと同和地区出身者については把握しているのである。人権教育に必要だからである。また、配慮の必要性もあるからだ。  私の在日コリアンに対する見方というのはネトウヨとはかなり違う。---というか、これが一般的な見方だと思っているが---それは「いい人もいれば嫌な人もいる」というものであることは前にも述べた。実際、いい生徒も嫌な生徒もいた。  そこで、私が実際に出会った(中国も含めて)在日の生徒達についてどう思っているのかを述べてみたい。時間的に相前後するが、それはお許し願いたい。  Aさん---Aさんは私がまだ韓国へ行く前に知り合った生徒である。彼女は私が授業を受け持ち、私が顧問をしている合気道部にいた。時代は昭和である。だから現在では既に五十代になっている。彼女は自分が在日コリアンであることを私にカミングアウトした。その時の私は「本当にこんなこと話してもいいのか?」と思ったものだ。  彼女は合気道部の夏合宿で教師用の部屋へ入ってきて(勿論他の生徒もいた)色々と話をするうちに、「先生、無茶苦茶腹の立つことがあるねん。お母さんがね、バイクに乗っていて警察に止められて免許証見せたら『韓国人か?』と言われて、それから警察にボロクソ言われてん。警察なんか嫌いや。暴走族に入っていた友達にも殴る蹴るやで。無茶苦茶やで」と言ってきた。  「ああ、この子は韓国籍だったのか」と初めて知った。しかし、通名を名乗っていて自分が韓国籍であることをカミングアウトしたのは後にも先にもこの生徒が初めてだった。  話が暴走族の話になったので、サブ顧問の教師が「でも暴走族なんて腹立てへん?」と言ってお相手をしていた。その後、彼女はソウルの街が高層ビルが林立していてすごく都会だとも話していた。  実は、私はこの生徒から韓国籍のことをカミングアウトされてはたと困ってしまったのだ。当時はまだ韓国へ行ったこともなく、ハングルは書けるが会話なんかしたことがない時期だったからだ。私の韓国に対する理解はラジオのKBSからのものが大半であった。勿論、当時はネットどころかパソコンさえ持っている人は少数派だったのだ。  その後、彼女のクラスで「現代社会」を教えた。しかし、正直韓国の話題が出てくると彼女のことが頭に浮かぶ。そして話し方もぎこちなくなるのだった。それだけ、この国についての知識が浅かったのだ。  そして現代社会で「差別」の話が出てきた。教科書にははっきりと「部落差別」「在日韓国朝鮮人に対する差別」と書いてあった。  私は身構えてしまったのだ。こんな所は飛ばしても良かったのだが、なぜか「話さなければいけない」と思っていた。そして声が上ずり、生徒の誰が見てもおかしな授業になってしまった。  恥ずかしい話であるが、当時の韓国に対する私の認識というのはその程度だったのである。授業中、彼女の方を見てみると、自分のことを意識されていることが分かったのか、憂いを込めた目でこちらを見ていた。  「しまった」  これが私の脳裏をよぎった思いであった。  そして、思い切ってこのことを彼女の担任に話した。担任は話の分かる人であった。  「そりゃ、彼女を呼んで謝った方がいいんやないか?彼女なら逆に先生が彼女のことをそれだけ気に掛けていてくれたことを喜ぶよ」と言うので、彼女を呼び出して二人だけで話した。彼女は「あの時、先生おかしかったよ。でも気にしてない」と言ってくれた。  そして彼女が卒業してから何年か経ってから、私は鬱病で学校を休職した。やることがなくてつまらなかった。そりゃ「病気療養」なので仕方がない。しかし、当時の教師というのはほとんど自由業に等しかった。そこで思いついたのが卒業生を呼び出して遊ぶことだった。この時に実際に遊びに私のアパートに来たのはメイン顧問をやっていてお世話をした合気道部の生徒ではなく、サブ顧問で何もしてこなかった吹奏楽部の生徒だった。  そしてA子に電話をかけた時に、A子にさんざん説教をされてしまったのだ。  彼女は看護師を目指して看護大学へ進んでいた。そこでも合気道をやっていたようである。  最初は私からの電話に驚いていたようであったが、鬱病になって学校を休学することになった経過を述べると信じられないような答が返ってきた。  「学校休むって、先生今何年生を持っているのですか?」  「うん、三年生やけど---」  「いや、それって受験なんかで一番大切な時やないの。何でそんな時に休むの?」  「『そんな時』って、そんな時に病気になったから仕方ないやないの」  「でも病気と言っても精神的なものでしょう?」  「そうよ」  「だったら出られるよ。無理してでも行くべきよ。一番大切な時に何やってるのですか?」  「いやー。そう言われてもねえ」  「私、看護師になるから、精神疾患の人にはもっと優しく接すべきだってことは知ってます。でも、仕方ないでしょう」  「ごめんな。そう言われてもこれだけは仕方ないんや」  「先生、ちょっと甘えているんじゃない?」  こうして彼女の説諭は三十分も続いたのだった。そして私は最後に言った。  「A子さんはしっかりしてるなあ」  「色々ありましたからね」  最初は私は少々腹が立ったが、なぜか電話を切らなかった。そう、彼女の言い分ももっともだと思ったからだ。しかし、しっかりした子だ。そう思った。昔のことも思い出した。彼女は高校生の時に既に「大人」だったのだ。だから学生であるのに先生に説教できた。これはむしろ有り難く聞いておくべきではないのか?なぜかそう思い、彼女に対する悪感情は持たなかった。それ以来彼女との連絡はない。  B君---B君はA子と同じクラスにいた。授業を持ったことがあるだけなのに、大変人なつこい生徒であった。そしてA子さんは明らかに南であったが、B君の国籍は北であった。このB君の親御さんは焼き肉店を経営していた。だから考えれば、というよりは感の鋭い人間にとっては彼が在日であることははっきりしていた。そして彼は日本国籍を取ることになって担任の教師とそのことで相談していた。彼ともその後連絡はない。  Cさん---「在日コリアンにはいい人もいるし嫌な人もいる」と言ったが、このCさんは明らかに私に反感を抱いていたので、どうしても好きにはなれなかった。しかし当然それは彼女が在日だからではない。教師と生徒の間にはよくある好悪の感情である。  Dさん---Aさん、B君、そしてCさんが卒業してから私は一年生の担任を持っていた。そして担任生徒の中に在日の生徒がいた。Dさんである。この生徒は私がクラスで二番目に好きな生徒であった。彼女は頭脳明晰で運動もでき、私が計画した厳しい補習にもきちんとついてきてくれた。二年生も彼女の担任をした。彼女は自分が在日コリアンであることをどのように感じ、理解していたかは不明である。しかし彼女との間には良好な関係が続いた。彼女は友人も多く、クラスの人気者でもあった。そして一年生の途中から友人と誘い合わせて私が顧問をしていた合気道部に入部してきた。彼女とその友人が「合気道部に入りたいんですけど」と言ってきた時に、私は何がおかしかったのかは分からなかったが、---恐らく二人でやってきたことが微笑ましかったことと自分の部に入部してくれることが嬉しかったのだろう---笑ってしまった。彼女は少々不服げに「何笑ってるの?」と言ったが、当時の私の方針は「去る者は追わず、来る者は拒まず」だったので入部を快諾した。そして遅れて入部したのにも関わらず、技を覚えるのが大変早かった。また、当時は私が技を三年生にかけて、それを一、二年生が真似るという形でやっていたので、私の合気道が「うまい」と友人にも言ってくれていたようなので、嬉しかったことは事実である。  E君---E君は二年、三年と担任を持った。しかし実際は三年生の時に私が鬱病を発症したので進路指導なんかはしていない。そして一年浪人をしたが関西の某名門私大に合格した。その後の彼についても連絡がないのでどうなったかは分からない。  Fさん---時代は飛んで平成。私は4校目の学校にいた。そこで久しぶりに担任を持った。そのクラスにいたのがFさんであった。実は、当時私が頭を痛めていたのはこの生徒ではなかった。彼女と同じアパートに住んでいたGさんである。彼女(Gさん)は所謂不登校で、中学の時には七十日も欠席していた。時々世話好きなFさんが「一緒に学校へ行こう」と誘ってくれるので、何とか学校へ来ているという状態であった。そして二学期になってGさんが学校を休み始めたのだ。彼女の不登校は、一般の不登校とは少し違っていて、先ず理由がはっきりとしていなかった。いじめられているわけでもなく、何かに不満があるわけでもない。突然、朝家を出たと思ったらUターンして家へ戻り、それから六時間目まで学校に来ないのである。保健室登校をするわけでもない。  私は足繁く彼女の家庭訪問を行った。学校へ来ていないことは親御さんは知らず、私が家へ出向いたので分かったということも何度かあった。私は前任校でカウンセリングの係をやっていたので、一生懸命何があったのか聞こうとしたのだが、彼女は何も話さない。そんな状態が続いたが、結局は学校に出てくるようになって進級していった。そして彼女のために疎かになってしまっていたのだが、Fさんの方がよく学校を休んでいたのだ。私は全く気づかなかった。そして学年末考査でさんざんな点を取り、二科目を落としてしまった。「しまった」と思ったが、もう遅かった。しかし彼女は落とした科目が二科目だけだったので何とか進級できた。  彼女はGさんを誘って学校へ来るなど面倒見が良く、性格も明るく誰が見ても「いい子」だったが、ただ勉強ができなかったのだ。また、元々バレー部に所属していたのだが、家庭の事情で辞めざるを得なくなり、以後は学校の許可をもらってアルバイトをしたいた。しかし彼女は明るかった。天真爛漫というのはこんな生徒のことを言うのだろう。  彼女が二年生になると別のクラスになったが、よく話した。いい生徒だった。  Hさん---彼女も4校目の学校にいた生徒であるが、在日コリアンではなく、中国籍である。在日コリアンの生徒は、カミングアウトした生徒を除いて出自をあまり出したがらない傾向があったが、私が知っている中国人の生徒は大体が本名を名乗っていた。そして中国人であることに誇りを感じていたようであった。既にGDPでは日本を抜き、ITの分野でも急成長を続けているし、歴史的に見ても「中華」であるから当然なのかも知れない。  Hさんは私が現代社会と世界史の授業を担当した生徒である。他にも中国籍の生徒は沢山いたが、彼女のことが一番頭に残っているので紹介しようと思った次第である。  彼女は中国人であることに誇りを持っているようであった。そして日本語も中国語も流暢に話す。この頃の私は右翼団体からは完全に足を洗い、自称左翼であったが、授業のあちこちで以前の考えが出ることも多かった。例えば「南京大虐殺については歴史的信憑性が薄い」とか「尖閣諸島は日本のものである」なんて話をしたことがある。そのたびに彼女はあからさまに嫌な顔をしていた。また、日本が軍国主義を復活するのではないかという疑念も抱いていたようである。いつ日本に来たのかは知れないが、少し中国の教育の名残があるようであった。しかし三年生の終わりには「二つの科目を教えてもらって有り難うございました」と挨拶に来た。当時の中国はGDPではまだ日本を追い抜いていなかったが、輸出は世界第四位になっていた。そのことを授業で話すと嬉しそうにしていた。  (十)  私は韓国語を話し、十四回韓国へ行ってきた。何を言いたかったかお分かりであろう。  すなわち、在日コリアンはきわめて「普通の」人達であり、勿論日本人と同じように「嫌いな人もいればいい人もいる」のである。それからネトウヨの諸君が言うような「在日特権」などというものは存在しない。全くの虚偽・幻想である。また、日韓関係はよくないが、かといってそれが在日外国人に対する偏見へと発展することはお門違いである。まそてや「ヘイトスピーチ」などはもってのほかである。  ネトウヨ達は実際に韓国をその目で見て物を言っているのだろうか?また韓国語が話せて実際の韓国人とやりとりをして意見を言っているのだろうか?また、日本人でることを唯一の支えとしているのなら何か日本の文化を深く知って言っているのだろうか?  私は古武道と居合道と空手と合気道の有段者である。少なくとも「日本」に触れてきた人間だと自認している。日本人としての礼儀も作法も少しながら心得ていると思っている。 ネットで雄志を募ってヘイトスピーチを行う日本人が恥ずかしい限りである。これが礼儀の国の日本人のやることであろうか?  私の知り合いの嫌韓主義者が「あいつらは劣等民族である」と本当に言ったことがある。しかし、それが事実ならば、劣等民族のサムスンにシェアを奪われる日本の電機メーカーは相当情けないということにはならないか?  また、韓国は決して「ヘル朝鮮」なんかではない(この「ヘル朝鮮」という言葉は日本人ではなく韓国人の発明らしいが)。何度韓国を訪れてもそのたびに発展する韓国を見て驚くばかりである。  確かに、従軍慰安婦や竹島や徴用工やレーダーの照射と言った問題が両国には横たわっている。しかし、だからといって在日コリアンに批判の的を向けるのはお門違いだ。  日本人として恥ずかしい限りである。  日本人は言霊を重視してきた民族だ。外国の批判をすることは自由だが、日本人としての節度を持ちたいものである。 了
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