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鮮血の決別
絶叫と共に男は力なく崩れ落ち、オレの身体には噴出した鮮血が降り注いできた。ドサリと音を立てながら、その男の死体はオレに覆いかぶさるように倒れ込んできた。
「……っ」
「大丈夫か、アル」
あまりの事態に身動きが取れずにいるオレの上から死体を払いのけ、ライレンは返り血で真っ赤に染まった手を差し出してきた。
「……」
その手を取ることすらできなかった。わなわなと口を震わせながら足元の死体に目をやる。先ほどオレに襲い掛かってきたこの男はゾンビではなかった、紛れもない人間だったのだ。それが今、目の前にいるライレンによって切り伏せられ、死体となって床に転がっている。
「お前、何を考えてる。この男は、まだ人間だったんだぞ」
「あー、そうだな」
「お前、お前がやったのは立派な殺人だ!ゾンビを切るのとはわけが違う」
ここまでいつも通りの仏頂面だったライレンの眉がピクリと動いた。彼はオレに差し出してきた手を引っ込めると、懐から取り出した小さな布で小太刀の返り血を拭いとった。
20XX年7月XX日。ライレンとの二人旅が始まってから二週間が経とうとしていた。ライレンは相変わらず遭遇する全てのゾンビを表情一つ変えずに切り伏せ、オレの身を守ってくれている。手段こそ気に食わないが助かっていることには変わりないので、オレの方も知り合いのツテで彼の分の食料を調達するなどして持ちつ持たれつの関係を続けていた。
「狂人も人間もねぇ。お前が襲われていたから殺した、それだけのことだろ」
旅の道中またもやゾンビ数名の群れに遭遇し、ライレンが戦っている間倒壊した建物の影にしゃがんで身を潜めていたときだった。背後から肩を叩かれ振り返ると、そこには見慣れない初老の男が不審な笑みを浮かべて立っていた。
正直、このような状況に出くわすのはオレにとって珍しいことじゃない。地元では一番の美人だった母に容姿がよく似たせいか、男女関わらず妙な連中に声をかけられることがこれまでにも度々あったのだ。
これまで通り隙を見て上手く逃げ出そうと考えていたところで、男はオレの肩を掴んで瓦礫の中へ押し倒そうとして来た。突然のことに驚いてもがいていたところで、いつのまにやら戻ってきていたライレンが男を背中から切りつけて殺してしまったのだ。
「人間には言葉が通じる。殺さなくても、何とかできたはずだ」
「オメーの目は節穴か?」
ライレンが男の身体を蹴り飛ばすと、上着のポケットから短剣がカシャリと転がり落ちた。ごくりと唾を飲んでライレンの顔を見上げると、彼はいつになく冷たい顔をしていた。
「重要なのは生きているか否かじゃねえ、敵か味方かだ。よく覚えておけ。綺麗ごとだけじゃこの世界は渡れないことはアルもよくわかっているだろ」
「……もう我慢ならない。お前とはわかりあえない」
「アル?」
すくりとその場に立ち上がり、オレはリュックからクッキーの袋を一つ取り出して、ライレンの胸に押し付けた。
「餞別だ、オレはもうお前と旅はできない」
「……ああ、そうかよ」
刀を収めて袋を受け取ると、ライレンは眉間に皺を寄せて視線を背けた。
「勝手にしろ」
彼は踵を返し、深い暗闇に染まりゆく廃墟の街へと消えていった。
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