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狂気と純白
獣の追跡をなんとか逃れながら研究所内部を物色してみたが、得られた情報はごく僅かなものだった。地上三階建てらしきこの建物にはホール同様人の気配が一切なく、またほとんどの部屋がごく普通の居間や寝室のような研究施設らしからぬつくりなのでワクチンやてがかりになりそうな資料も見つからない。一応手術室のような構造の部屋や倉庫らしき部屋がいくつか存在したものの、物品は全て部屋に備え付けられた厳重な金庫に入れられて管理されているらしくまるで収穫が無かった。
獣を撒くために一階へと戻ってきたオレ達は、逃げ込んだ最奥の物置部屋であるものを発見した。
「うおっ!?」
走りつかれたらしいティアが額の汗をぬぐいながら手を付いた壁がグラリと動き、扉のように内側へとゆっくり開いたのだった。
「なんだこれ」
ガラクタの並べられた棚のすぐ横、明らかに故意に隠されていたと思われるその扉の先は、明かりの一切ついていない真っ暗な地下へと続く階段になっていた。
「……どうやら、この先が本番らしいな」
ゴクリと唾をのむ。ライレンが暗闇に一切物怖じすることなく無言で階段を下りていくので、オレ達もすぐにその後をついていかざるをえなかった。背後、壁を何枚か隔てた遠くのほうであの獣の恐ろしい唸り声も聞こえていた。
長い階段を経て地下へ降りしばらく暗闇に包まれた細長い通路を壁づたいに歩くと、視界に一筋の光が差しこんできた。それは先にある一枚の扉から漏れ出しており、その黒い鉄の扉を押し開けると、視界は一気に光に包まれた。
光に慣れない目を細めながら先の光景を見やると、そこは玄関ホールの十倍はありそうな広さの四方を真っ白な壁に囲まれた正方形の部屋で、両脇の壁には培養液で満たされた二メートルほどの多きさのカプセルのようなものがいくつもならべられていた。その中には全裸の人間の身体が一つずつ収容されており、中には先ほど上階で見た狼の身体が収められているひと周り大きなカプセルも見受けられる。その他にも点滅しているボタンがいくつもついた四角くて黒い何かの機械や、金属で作られていると思しき手術台のような形をしたベット、その脇には細い腕を備えたキャラピラ付きの一メートルほどの白くて丸い機械が置かれている。どれもこれもまるで見たことが無い、明らかに現代の技術を超越しているとしか思えないようなものばかりだった。
「なんだ、ここ……」
呆気にとられ部屋の入り口に立ち尽くしていると、部屋の奥からコツンコツンと足音を響かせながら歩いてくる数名の人物の姿が見えた。
「っ! 隠れられる場所は」
「もう手遅れだろ」
ライレンは収めていた小太刀を引き抜き、眼前をきっと睨みつけた。
オレ達の目の前に現れた人物は、この部屋同様に異質な雰囲気を醸す衣装に身を包んでいた。何か円形の陣のような模様の施された純白の布で顔をすっぽりと覆っており、床をこすりそうなほど長い着流しのような同じく純白の衣服を身に着け、真っ白で先のとがったブーツを履いている。全く同じ格好をした異様な五人の人物はオレ達の目の前まで着て立ち止まると、先陣を切って歩いてきた男がオレの方を向いてゆっくりとした口調で話し始めた。
「皆さま、一体何をお探しなのでしょう?」
「え?」
「先ほどから、何かを必死で探されていたようですが」
まさか、この研究所内に入ってからの行動をずっとどこかから見張られていたのだろうか。抑揚のない声に、背筋にぞっと寒気が走る。
「ワクチンをよこせ」
「おい」
抜き身の刀を構えたまま白服に詰め寄っていくライレンを抑えようと手を伸ばすが、彼は構わず白服との距離を縮めていく。
「ほう、ワクチンが欲しいのですね」
「あるんだな? つまり、テメーらがオレ達の国にウイルスをばら撒いたってのは本当なんだな」
「ええ、もちろん」
抑揚の一切ない声がサラリとさも当然かのように答えた瞬間、腹の底から何か猛烈に熱いものが沸き上がってくるような感覚に襲われた。オレ達の国を荒廃させた張本人が、目の前にいる。
怒りに身体が震えたのは他の四人も同じらしかった。ライレンとティアは目を剥きながらそれぞれ小太刀と剣を手に、オレの前にいた男に向かって一斉に飛びかかった。が、その瞬間に男がパチンと指を鳴らす。直後、オレの背後で何かがバチバチと激しい音を立てたかと思うと、首筋に激痛が走り全身から力が抜けるような感覚に襲われた。
「えっ」
グラリ。揺らぐ視界の中で、ライレンがオレの名前を呼びながらこちらへ走ってくるのが見えた。
返事をしようとする間もなく、オレの意識は暗転した。
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