エピローグ

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エピローグ

 ライレンが研究所の金庫から発見した十四本の小瓶の中身は、オレ達が探し求めていたワクチンそのものだった。オレたちの国に持ち帰るまでこの「薬」が果たして「SS」に対抗する特効薬であるのか、その確信は一切持てなかったわけだが、再び数週間に渡る旅を経てアイスティールへなんとか戻って来たオレ達五人への褒美だとでも言わんばかりにその薬の効能は即座に明らかにされたのだった。  血勇団のツテやオレの商人仲間の人脈を辿って数名の医者や国内の研究者を呼び解析して貰い、実際にライレンが捕獲したゾンビで検証も行った結果、僅か数日でこの薬は「SS」のワクチンであると証明された。生きている人間が飲めば感染を未然に防ぐことができ、またゾンビとなった死体に投与することでその活動を停止させ、元の"人間の死体"へ戻すことが可能だという。医師たちはこの薬を増産し、アイスティール全土に普及できるよう迅速に動くことを約束してくれた。旅商人として、オレもこれからますます仕事が忙しくなることだろう。  何故カルト教団がこんなウイルスを生成していたのか、何故あんな場所にワクチンが隠されていたのか、何故彼らがグレアランドに手を貸していたのか、そして最後にライレンが戦ったあの男は何者だったのか。何一つわからないことだらけで、その上グレアランドによる侵攻も収まるどころか勢いを増している。国全体にワクチンが行きわたるのも、この国の技術力では一体どれだけ先になるかわからない。  ごくごく僅かな一歩に過ぎなかった。平和にはほど遠いオレたちの全てが終わった国にとって、このワクチンが見つかったことが果たしてどれだけの助けになるのかわかったものではない。  アイスティールへ戻ってきてから一週間ほど、オレ、ライレン、ティアの三人は長旅の疲れを癒すため、血勇団のアジトに間借りして寝泊まりをさせてもらっていた。シオンは国へ戻るなりオレ達とは別行動を取ることになり、自分の工房が気になるからとフルマイツへ一人で向かった。  夜。ルチアが使っていたというベットに腰かけて力なく両の掌を眺めていると、どこからともなく姿を現したティアがニヤニヤと笑いながらオレの隣へ座ってきた。 「なんだ」 「『やあ、お兄さん見ない顔だね。新入りかい?』」 「……なんのつもりだ」 「冗談冗談。ていうかアル、すっかり色々あったせいで忘れてるだろ?」 「……忘れてない」  自虐的な笑みを浮かべるティアの視線から逃れるように、掌をこすり合わせながら深く俯いてため息を漏らした。 「じゃ、今返事聞いていいかい?」 「……わかった」  意を決して立ち上がると、ティアも同じく立ち上がってオレと向き合う形になった。妙に緊張する。思えば、異性とこんな状況になった経験は今まで一切なかったように思う。 「改めて言うけど、恋人になってくれ。アル」 「……ごめん」 「そっか!」  絞り出すようにか細く情けない声と共に頭を下げると、間髪入れることなく彼女は明るく笑った。明らかに無理に作った笑顔だった。胸が張り裂けそうなほどに痛い。 「仕方ないね、アルそういうのわかってなさそうだしな~」 「悪い、今まで散々巻き込んでおいて」 「それとこれとは話が別じゃないか、私も別にアルのためだけにあんなとこまで行ったんじゃないよ。前にも言ったろ、私はあの時振られてたってきっと最後まで戦ってたよ」 「……ありがとう」 「さて、スッキリした。じゃあ私は寝るからな、ライもアルに話があるみたいだし」 「え?」  ティアが指さす方を見れば、壁脇にいくつも並べられた二段ベットの影、壁に背を預けて立っているローブの男の姿が見えた。 「おい、見えてるから。盗み聞きなんて趣味悪いね、ライ!」 「……お前、散々オレに元恋人の話させたくせによく言うなァ」  ティアに手招かれて不服そうな顔をしたライレンは、そのいつもの仏頂面のままブツクサ言いつつ近づいてきてルチアのベットにドサリと腰かけた。 「じゃ、おやすみ」 「えっ、本当に寝るのか」 「寝るわけないだろ、振られたんだからこれから泣くんだよォ」  ライレンを見て満足そうにうなずいたティアは、オレににっと満面の笑みを向けてから手をヒラつかせて自分のベットの方へ戻っていった。 「酷い奴だな、あんないい奴を振って」 「……お前、そんな話をしに来たのか?」  ライレンを睨みつければ、彼はゆっくりと首を横に振って正面にまっすぐ左手の掌を見せつけるように差し出してきた。 「……なんだ」 「お前、銃を撃ったあの日から手こするのクセになってんぞ、気づいてるか?」 「無意識だった」  言われてみれば、両手を手洗いの時のようにこすり合わせることが最近多くなっていたかもしれない。あのトリガーを引いた時の感触が妙に生々しく手の中に残っていて、どうにも気持ちが悪いのだ。 「……オレは結局、お前に頼らないと何もできなかったよ」 「……」 「お前の言う通りだったよ、綺麗ごとだけじゃやっぱりこの世界はやっていけない。オレが甘かったんだ」  ライレンと出会って間も無いあの夏の日。オレの目の前で平然と人を殺したライレンにオレは激昂し、別れを告げたのだった。 「ワクチンを持って帰ってこれたのは、間違いなくお前のおかげだ」  ライレンは無言のままベットから立ち上がった。まっすぐこちらを見据えるその瞳にどんな意味があるのか、オレにはどうしてもわからなかった。謝りたくて話したつもりだったが、何か彼の気に障ることを言ったのだろうか。 「オレたちがなんで、ウイルスに侵された死体を狂人と呼ぶか教えてやらァ」 「……?」  急になんの話をし始めたのだろう。言われてみればライレンやティアを含めた狂人狩りの人々は頑なに"生ける屍"をゾンビとは呼ばなかったような気もするが、職業上の用語で呼称を統一しているだけかと思い込んでいた。 「あいつらはあくまで人であって化け物じゃない。オレ達が斬ってるのは紛れもない人間だ。その意識を忘れるな、という教えがあんだよ」 「そうだったのか」 「オレにとっちゃ狂人も死体も人間も関係ねえ、味方に危害を加える奴は何であろうと斬る。それでも相手が人間だってことを忘れちゃならねェのは、狂人が発生しなくなった未来の平和な世界のために、倫理をきちんと残したいと思う気持ちがあるからだ」  敵対する人間を何の躊躇いもなく切り伏せる彼らに、そんな思いがあったとは想像もしなかった。 「お前は確かに甘々の役たたずだったかもしれねぇ。けどな、これからのアイスティールにはお前みたいな"綺麗な"奴が絶対必要なんだよ」  ライレンの向けてきた笑顔に、あの日トリガーを引いた両手が震える。 「この感触も絶対に忘れるなよ。オレにはもうよくわからねえけど、人が狂わないために必要なもんなんだ」  震える右手の上にライレンが左手を重ねた。その手は熱く、硬く、オレよりずっと大きいように感じられた。  2071年3月2日。  全てが終わったオレ達の世界は、少しずつ動き出そうとしていた。  完
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