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プロローグ
「それ、食わせろ」
「は?」
20XX年。今からそう遠くない未来の話。
十数年前に突如ばら撒かれた正体不明の生物兵器・通称「SS」によって人口の七割近くが生ける屍、いわゆる「ゾンビ」と化したこの国では、僅かな生存者が希少な食糧や安全な居住区を巡って日々争いが続いているような状態である。
オレもそんな状況の中で飢えを凌ぐために毎日必死な国民なうちの一人なわけだが、たった今二日ぶりにようやくありつけた食糧、消費期限切れのメロンパンに被りつこうとしていたところで、ある男に声をかけられた。
「だから、それオレにくれ」
パンデミック前まで市民の憩いの場であったであろう、ブランコやシーソーなどの遊具が配置されているこじんまりとした公園内のベンチにて。おそらくトイレだったのだろうが、倒壊し今や瓦礫と化した小さな小屋の裏手から姿を現したその男は、ベンチに腰掛けて大口を開けていたオレに向かって、仏頂面のまま手を差し出してきた。
「なんだ、お前」
男は肩にかかる程度のボサボサの金髪を後ろで一つに縛っていて、ボロボロに擦り切れた灰色のローブで全身を覆い、背には小さなリュックのようなものを背負っていた。左耳の辺りから後頭部にかけて似つかわしくない派手な羽飾りが付いているのが目につく。歳はオレと同じか少し上くらいだろうか。気になるのは腹部から右腕部分にかけてローブにベッタリと赤黒い血液が付着していることだが、この状況下では血にまみれた乞食男ももはやもの珍しい存在ではない。
「昨日から何も食ってねえ。腹が減った。パンをよこせ」
「馬鹿野郎、何故見ず知らずのやつに恵んでやらなければならない。これはオレが見つけたんだ、オレのメシだ」
こちらに向かって差し出してきた手を頑として動かさない男を尻目に、オレは今度こそ思い切りメロンパンに噛みつこうとした、その次の瞬間だった。
”シャキン”
鈍い金属音が響いたかと思うと、直後オレの鼻先スレスレに血塗れの小太刀の切っ先が付きつけられていた。
「……」
「よこせ」
表情や怖い色を一切変えないまま脅迫する男に身の毛がよだつ。渡さなければ本当に殺されるのだろうと直感し、オレはゴクリと唾をのみながらゆっくりと頷いた。
男がゆっくり小太刀を下すと同時に震える手でパンを差し出すと、男はそれを奪い取り、オレの隣に腰かけてムシャムシャと勢いよく頬張り始めた。
「オレは昨日も一昨日もまともに食っていないんだぞ……」
相変わらず表情一つ変えない男の食いっぷりを見ながらつい小声で愚痴をこぼすと、男はなんとパンを二つに割って片方をオレに差し出してきた。
「え?」
「じゃあ食え、死ぬぞ」
「お、おう」
脅迫までして奪ったくせによくわからない奴だ。ともかくローブに付いた血液やあんな物騒なものを腰に下げているのを見る限りまともな神経の人間ではないのだろう。関わらないに越したことは無い、メロンパンを平らげたらさっさとこの場を去るのが得策だ。
小太刀を提げた血塗れ男と二人、遊具は全て倒壊しあちこちに血痕や肉片のこびりついた誰もいない静かな公園で、ベンチに腰掛け並んでメロンパンにかぶりつくという異様なシチュエーション。男の掌にまで血液が付着していたらしく時折口内に鉄臭い香りが広がったが、思えば誰かと食事をしたのは随分久しぶりのことだった。最後の一カケラを名残惜しく思いながら口へ放り込むと、同じタイミングで男はベンチからすくりと立ち上がり、オレを見下ろしてこう言った。
「一飯の礼に、しばらくお前を守ってやらぁ」
「は?」
言葉の意味がわからずにぽかんと口を開けているオレに、男は先ほどまでの無表情からは考えられないような満面の笑顔を向けてきた。
「オレはライレンだ。よろしくな」
「……は?」
20XX年7月XX日、夏の日差しがまぶしい真昼間のこと。
この全てが終わった世界を巡るオレの旅に、何故だかこの妙な男が加わった。
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