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第三十九話
オーク座は元々、エドワードの主宰する少年劇団から成長し役者となった青年達と、フリーの俳優を呼び込み作られた劇団だ。
比較的裕福な家庭出身の人間が多いオーク座のなか、エリックは異端の経歴で、各地を放浪する貧しい旅芸人の息子だったと聞いている。
エドワードがたまたま訪れた地方のパブで歌い踊る彼らを見た時、その中で一際輝くエリックの美しさに一目惚れしたエドワードは、すぐ様自らの少年劇団にスカウトして、そのままオーク座の看板俳優にまでなったのだという。
だとしたらエリックは、エドワードに大きな恩があるはずだ。彼の良心に訴え、報酬をさらにあげる約束すれば、なんとか説得することができるかもしれないと、ジャンは考えていた。
「エリック俺だ、夜遅くにすまないが開けてくれないか?」
エドワードが世話をしたのだろう、中流家庭の人間が多く住む集合住宅地にあるエリックの家にたどり着いたジャンは、心持ち緊張しながらドアをノックする。
ジャンの声に応えるようにドアが開き、エリックは驚愕の表情でジャンを見つめた。
「帰ってきてたんですか?」
「ああ、今さっきな。こんな時間に悪いが中に入れてくれないか?」
意外にもエリックは、ジャンを拒絶することなくすんなりと中に招きいれる。
ジャンは拍子抜けしながらも、単刀直入に話しを切り出した。
「エリック、頼むから明後日の御前公演に出演してくれ!おまえがいなきゃ、演劇好きのエリザベス女王に気に入ってもらう事は絶対に不可能だ。御前公演が成功し女王に気に入られれば、おまえは名声を得られるし、エドワード伯爵も釈放される!おまえだってエドワードを助けたいだろ?」
「そうですね、エドワード伯爵には本当にお世話になりましたし、色々な事を教わりましたから、早く釈放されてほしいと願ってますよ」
「だったら協力してくれ!宮内大臣一座にどんな条件を出されたか知らないが、こちらも必ずそれ以上の報酬を約束する!」
「…」
エリックは少しの沈黙の後、静かに口を開き語りはじめる。
「ジャン、あなたは何か勘違いしているようたが、俺がオーク座ではなく、宮内大臣一座を選ぶ事にしたのは、何も金の事だけが理由じゃない。あなた、私達に話さず隠してた事がありますよね?」
エリックに真っ直ぐ見据えられ、ジャンはたじろぐ。
トーマスには全て話したものの、オーク座の俳優達には敢えて伝えなかった事が色々ありすぎて、隠し事と言われても、どれのことだかわからない。何も答えられないジャンに構わず、エリックは言葉を進める。
「あなたはトーマスにオーク座を任せ、エドワード伯爵を救う名目の元ヘッドヴァン家に帰ったが、エドワード伯爵逮捕に深く関わってるのは他でもない、あなたの父親ですよね?
あなたは真実を我々に伝えず、オーク座の俳優達を利用しようとしていただけなんじゃないですか?」
エリックの言っていることは事実であり、ジャンは頭を下げで心から謝罪した。
「すまないエリック、確かにおまえの言う通り、オーク座がこんな危機に瀕してしまったのは俺の父のせいだ。だが天に誓って言うが、俺が父に協力した事は一切ない。あの男は、俺をヘッドヴァン家に戻すためにこんなことを…」
「戻ればいいでしょ?」
正直に全て話そうとするジャンを、エリックは容赦なく遮る。
「なぜヘッドヴァン家に戻らないんですか?
エドワード伯爵や、オーク座の俳優達をこんな目に合わせて、あなたがとっとと父親の言う事を聞いてれば、こんな事にはならなかった!
言っちゃなんだが、劇作家なんてあなた以外にも沢山いる。あなたが辞めさえすれば、名も知れず貧困に喘いでいる才能ある人間が世に出れるかもしれない、トーマスがオーク座付きの作家になれるかもしれない。
あなたにはヘッドヴァン家の後継者という輝かしい道があるんですから、劇作家なんて辞めればいいでしょ?
こっちはこれ以上、貴族の道楽に付き合わされるのはまっぴらなんだよ!」
決してよく話す関係ではなかったが、今までエリックとはそれなりにうまくやっているつもりだったジャンは、エリックの感情的な自分への罵詈雑言に、怒りよりも驚愕の感情を強く抱く。
「エリック、おまえ達に父との事を伝えず迷惑をかけたことはすまないと思っている。
だが俺は道楽で劇作家をやってるつもりはない。劇作家として成功するためなら、俺は貴族であることなど捨ててもいいと思ってるんだ」
ジャンの真剣な言葉を切り捨てるように、エリックは肩を揺らして笑った。
「ジャン様、そんな言葉簡単に言ってはいけない。世の中には、貴族の称号が欲しくてたまらない人間は五万といる。
俺はね、自分達は同じ演劇を愛する対等な同士だと言いながら、心の底では、所詮下層の人間なんて自分の一存でどうにでもできると見下してくる貴族が大嫌いなんだよ!」
「ちょっと待ってくれエリック、俺が父との関係を言わなかったのはおまえ達を見下してるからじゃない!俺は単に自分の立場が危うくなるのが嫌だっただけだ、オーク座のみんなに、おまえのせいだと言われるのが怖かった。
現にトーマスには全て正直に話しているし、俺は貴族の方が偉いなんて思っていない!」
エリックがおかしな方向に誤解してると思ったジャンは、なりふり構わず本当の理由を口にしたが、エリックはジャンを見つめ言い放つ。
「分かってますよ、あなたは本当に、俺達の事を対等だと思ってくれているんでしょう。
でもあなたがそんな純粋でいられるのは、生まれながらの強者であり貴族だからだ。
生まれながら何も持っていない人間は、より強い者を見極め従う事で、運命を切り拓いていくしかない。ジャン、俺はオーク座ではなく、宮内大臣一座を選び、あなたの父親に従います」
「俺の父に脅されたのか?」
「いいえ、脅されたんじゃない、利害が一致しただけです。宮内大臣一座に声をかけられた時から、俺は、アリアン公演が終わったら、例え主演俳優から研修生になってしまうのだとしても、リチャードバーベッジのいる一流の劇団で挑戦すると決めていました。
脅されたどころか、あなたの父親のおかげで、俺は次回の宮内大臣一座の公演でいきなり重要な役を与えられ、今まで以上の報酬を得られる事になった。むしろ感謝したいくらいですよ」
すでに決意を固めているエリックに、ジャンは必死に食い下がる。
「エドワードを見捨てるのか?おまえがいなきゃ、エドワードを釈放する口添えを女王陛下から得ることはできない。
彼が一生ロンドン塔から出られなくてもいいのか?おまえを貧困から救ったのは他でもない、エドワードだろう?」
「エドワード伯爵には、もう十分恩は返しましたよ、あなたも彼の趣味は知ってるでしょ?」
「…」
その言葉の意味を瞬時に察し、ジャンは息を呑み黙りこむ。
「そんな顔しないでください。この世界ではよくあることだってあなたもわかっているはずだ。エドワード伯爵は、あなたのことも随分気に入ってるようでしたけど、あなたもエドワードと寝ましたか?」
「…いや」
「でしょうね、劇作家とはいえ、あなたはヘッドヴァン家の子息であり貴族なんですから、エドワードもあなたの意思を尊重し、無理強いすることはしなかったんでしょう。
でも俺は、彼に拾われた10代の頃から、彼に平伏し従い、彼の欲望を受け止めてきた」
「…」
何も言えなくなるジャンに、エリックは静かに微笑み口を開く。
「さようならジャン、あなたの事は嫌いじゃなかった。エドワード伯爵が、無事釈放されるといいですね」
はっきりと告げられた決別の言葉に、ジャンは項垂れ、エリックの家を後にする。
日の長いロンドンで、ようやく太陽が沈み暗くなった夜空を見上げながら、ジャンは、怒りと絶望を胸に歩きだした。
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