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第八話
「で、ジャン様は今日どこに行ってるんだ?」
「ああ、今日は家に用事があるらしい」
「ふーん、あいつお兄さん亡くなったから、ヘッドヴァン家の正式な跡取りになるんじゃねえの?だったらもう劇作家する必要なくなるよな?正直あいつ、俺らの演技になんだかんだ文句つけてきてうざいんだよね」
舞台稽古の休憩中、トーマスの元へやってきたオーク座の俳優オリヴァーが、ジャンへの愚痴をぶちまける。
通常劇作家は、執筆中に少しずつ原稿料が支払われ、公演による収益からも、いくらか報酬はもらえるものの、作品が一旦劇団に売られてしまえば、上演の配役や演出、戯曲の改訂や出版に一切関与できなくなる。
だがジャンは、オーク座付きの脚本家であると同時に、この劇場を所有するエドワード伯と共同株主にもなっており、特に今回の舞台に関しては、ほぼ全ての権限を与えられていた。
そのため、同じ劇作家仲間の中には、ジャンを妬み嫌う者がいるのはもちろん、オーク座の中にも、オリヴァーのように、ジャンに反感を持つ俳優も少なからずいるのだ。
「オリヴァー、頼むからそれ、ジャンの前で絶対に言わないでくれよ。おまえだって、ディアフォトスでのジャンの演出に感心してたじゃないか」
「…」
図星をさされたからか、不機嫌な表情になりながらも黙りこむオリヴァーに、トーマスは笑みを浮かべる。
(まあでも、オリヴァーも、決して悪いやつではないんだよな)
トーマスは、ジャンが忙しく顔を出せない時、代行として演出や演技について俳優達に伝える役目を担っており、劇団が自分達の作品を形にしていく過程に関われる幸福を、心密かに噛み締めていた。
ジャンの口調は確かに横柄で、俳優達が反感を持ってしまう気持ちもわかるのだが、その演出や演技指導には、同じ演劇を愛する劇作家として感心するところも多々ある。
だからこそトーマスは、不満気な俳優達に、ジャンの言ってることを、なるべく本人が納得できるようフォローしながら伝える努力をしていた。そうこうしていくうちに、トーマスはオーク座の俳優達と親しくなり、特にオリヴァーとは、いつの間にか二人でも飲みに行くほど親しくなっていたのだ。
「ところでもう公演まで二週間ないけど、アリアン役見つかったのか?」
「…ああ、見つかったよ」
トーマスは一瞬どう言おうか迷ったが、オリヴァーを安心させるため努めて笑顔で答える。
「今ちょっと間があったよね?」
「いやいや間なんてないし、大丈夫大丈夫」
「大体さ、元はと言えばおまえがあの日休むからこんなことになったんだぜ」
「はあ、なんで俺のせいなんだよ!」
それまで穏やかに話していたトーマスも、オリヴァーの理不尽な言葉に思わず声を荒げた。
ジャンがアリアン役の少年をやめさせたその日、トーマスは他の劇作家仲間との合作の締め切りを抱えており、どうしても稽古に参加できなかったのだが、だからと言って自分が原因のように言われるのは到底納得できない。
今や時の人である宮内大臣一座のシェイクスピアや、本人も貴族で、パトロンにも特別気に入られている座付き作家のジャンならいざ知らず、トーマスのようなフリーの劇作家が1本の作品につきもらえる報酬は6、7ポンド。
年に何本も書ければそれでも食っていけるのかもしれないが、作品を書き上げる時間と労力は莫大なもので、一人ではどう頑張っても年に2本までが限界だ。生活のためにも、トーマスは常に何本もの合作の仕事を抱えており、オーク座の仕事だけに全ての時間を捧げるわけにはいかないのだ。
「でもさ、あの時おまえがいれば、多分あの子でてかなかったと思うんだよね」
「え?ジャンがおまえはイメージと違うって言って追い出したんじゃないの?」
「まさか、いくらあいつでも、公演2週間前に大事な女役をそんな理由で追い出すわけないじゃん。多分公演が近くなってきてあいつも熱が入りすぎたんだろうな。もっと色っぽくとか下品になりすぎるなとか、いつも以上に厳しく演技指導してるうちに、本人がもう無理です、辞めさせてくださいって言って出てっちゃったんだよ」
「…そうだったのか」
オリヴァーの話を聞き、トーマスは、昨日頭ごなしにジャンを責めすぎたことを少しばかり後悔する。そういえばジャンは昔からなぜか、自分を悪者に仕立てあげるような言葉をわざと吐くようなところがあった。
「だから俺はさ、あの時お前がいて、ちゃんとあの子にフォローしてあげてればと思ったの。いくら少年劇団で演技の練習積んできたからって、まだ13かそこらの少年が女役やるってすごく大変なんだぜ?そこに来てもっと色気出せとか気高くとか無理難題出され続けたら、そりゃ誰でも逃げ出したくなるよ」
オリヴァーもかつては少年劇団に所属し女役をやっていたこともあるだけに、辞めていった少年の気持ちがわかるのだろう。トーマスは自分がその日休んでさえいなければと思い直し反省しながらも、ふと疑問が浮かびオリヴァーに問いかける。
「でもお前そこまで女役を演じる難しさわかってるなら、おまえがその子フォローしてやめるの止めてくれればよかったんじゃないか?」
するとオリヴァーはトーマスから目をそらし、悪戯な表情で舌を出す。
「だって、公演できなくなって一番困るのあいつだし、これを機にあいつもちょっとは謙虚になるかなと思ってさ」
「おい!公演できなくなったらジャンだけじゃなくて俺も困るしお前も困るだろ!」
「まあまあ、代役が見つかったならよかったじゃん」
オリヴァーは、憤るトーマスの肩を叩き、丁度休憩が終わったと逃げるようにトーマスから離れていった。
「まったく、どいつもこいつも…」
一人文句を言いながら、トーマスは昨日のジャンとのやりとりを思い出す。
今日ジャンは、リリーという名の少年と共にアポロンとの交渉と、金を借りるためヘッドヴァン家へ向かっている。
初めてリリーを見た時は、確かに綺麗な少年だと感心したが、詳しく話を聞いているうちに、演技なんてしたことも見たこともない靴職人を目指す徒弟だったことがわかり、期待が失望に変わってしまった。だが、トーマスがどんなに素人をこの短期間で演技できるようにするなんて無理だと説得しても、ジャンは頑として聞こうとしない。
演技や演出に誰よりもうるさいはずのジャンが、なぜあそこまであの少年に拘るのか?
ジャンとは学生からの付き合いだが、友人に対しても女性に対しても、人懐っこいようでどこかシニカルなジャンが、あんなにも一人の人間に執着するのを見るのは初めてだった。
『アリアン役は絶対にリリーでいく。俺が全ての責任を持つから信じろ!』
はっきり言ってトーマスには、その日出会ったばかりの少年に入れ込むジャンが全く理解できない。しかし今は、黙ってジャンの言葉を信じるしかないのだ。
「ったく、言ったからには本当にどうにかしてくれよ」
トーマスは、主演の女役がいない舞台稽古に目を戻しため息を吐くと、小さな声で祈るように呟いた。
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