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ジャージャーのフォース
何件か続いていた撮影依頼がついに途絶えた。
不安がムササビみたいに暗闇の事務所を飛び回りそうだ。その気配から意識を遠ざけようと、昔撮ったスナップ写真のデータ整理をしている。
先月までルームシェアをしていた同居人を撮り溜めた写真が300枚ほど。半裸で夜の公園を走り回るフリーター男と、昼間から鍋で大量のジャムを煮詰める事務系の女。
2人は俺の知らないところでせっせと愛を育み、晴れてめでたく突然荷物をまとめて別れの言葉を告げて出て行った。
狭いダイニングに並んで立つ2人に下手くそな日本語で色々経緯のようなものを説明された。
残念ながらその日も俺は、アルコールを満杯に詰めて帰ってきた朝帰りの腑抜けで、あいつらの辛気臭い話を何一つ吸収できなかった。でも俺からすれば、そんなタイミングをわざわざ選ぶあいつらの方が悪かったと思ってる。
「今月の家賃はここに入ってる。また落ち着いたら連絡するよ」
(つまり落ち着かないから出て行く、そういうことだろう?)
反応のない俺に薄い茶封筒を握らせると、あいつらは縦に並んで静かに出て行った。錆びたドアが時間をかけて閉まるその数秒の間に、猛烈な眠気が裾を広げて俺を覆った。
直角のダイニングテーブルの椅子からずり落ちた先は、今までカレーやらラーメンの汁が散々飛び散った歴史ある床。直に顔をつけると自然と瞼は落ち、胃でちょうど精製中だった熱い万物(吐瀉物?)は床で冷まされ、次第に固まっていった。
そんな断片的な記憶が途絶えると、ムササビは首尾よく事務所の端から端を舞った。
同居人は消え、仕事は途絶えた。それらの事象はあくまで別の方向を向いた矢印だが、2つの起点を結ぶのは俺。現在独りぼっちを熱演中。
唐突に腹から声を出して笑いたくなったところで、デスクの端に繋いでいた携帯に着信が入る。
黒い画面に浮かぶ「ジャージャー」。
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