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演ったね、N川さん。
「『夜に乗ったバスの乗客が幽霊と自分だけだったら!?』観察スタート!! 幽霊役、スタンバイ!」
イヤホンから指示が流れてくる。
大丈夫、これまでやってきたのと同じように演ればいいだけだ。
顔がほとんど見えない、端役。
この番組の視聴者は、豪華な出演俳優たちと、こうして偶然観察対象とされた一般人の反応にしか興味を持たないだろう。幽霊役を演じる自分のことなんて、気にも留めやしないだろう。
それでも――、エキストラ出演よりはずっとマシ。ギャラだって出る。いつか自分が売れっ子女優になった時に秘蔵映像として流される……には微妙かもしれないが、意外性があってウケるかもしれない。
そう考えながら、バスの最後列の端の床に膝を抱えてしゃがみ込んでいた体を起こし、膝立ちになる。
外は真っ暗で、ガラス窓には、自分の青白い顔と、それを覆い隠すような真っ黒で長い髪、そして真っ白な衣装が映っている。
――よし、完璧な幽霊を演じてみせるわ。
今回のターゲットに目を向ける。
前方の一人掛けの席に進行方向を向いてきちんと座っているのは、腰あたりまでありそうな黒髪を真っ直ぐに下ろした若い女だ。
自分のはウイッグだから仕方ないとは思うが、それでもターゲットのツヤツヤ天使のリングを眺めていると恨めしい気持ちになってくる。後ろ姿しか確認できないものの、身なりも綺麗だし、良いとこのお嬢さんなのだろう。
女優になるという夢のために上京し、日々のアルバイトでなんとか食いつないでいる自分と比較してしまい、気持ちが沈んでくる。
はっ! もしかしたらあまり大きな声で言えないようなお金の稼ぎ方をしているのかもしれない。パ○活とか援○とか……。あるいは、振り向いたら残念な顔立ちをしていて、お金には恵まれてるけどうーん……な子かもしれない。きっとそうだ。……などと、惨めな気持ちから脱却するため、必死にターゲットの落ち目を作り出そうとする。
バスは木々の間を縫うように進む。
ところどころ伸びた枝が車体に触れ、さわさわと音を立てている。
――このあたりで車内の蛍光灯が一斉に消えるはずだ。
さっと車内の明かりが消え、真っ暗になる。
バスの壁を隔てて外側に広がっていた闇に、すべてが食らいつくされてしまったようだ。
自分は前もって分かっているから落ち着いていられるものの、何も知らないままこんな状況に陥ってしまったら、とてもこわいだろうな……。
一組前のカップルを思い出す。
突然消えた電気に、オラオラ系彼氏がガチ泣き。キャッキャウフフ媚びうっていた彼女は、彼氏のそんな姿に気持ちが冷めてしまったらしく、ネタばらし中に別れ話を切り出していた。あれは申し訳ないことをしたと思った。地上波で放送するのは憚られる。
「幽霊役、ターゲットにゆっくり近づいて」
指示に従い、そろりそろりと静かに、だけど存在感を示すように歩き始める。
もしターゲットが後方を振り返っていたら、何か白いものがゆらゆらと近づいているのに気づくだろう。
「あら……? 真っ暗だわ」
どうやらターゲットは自分の接近に気づいていないようだ。
ターゲットとの間が三席くらいになるまで歩みを進めると、「ガシャン」と音がした。
これは番組スタッフが用意した仕掛けだ。
この音によりターゲットが背後を気にするようになることを狙っている。
「幽霊役、ゴー!」
素早くターゲットに近づく。
ここで青白いライトが車内をうっすらと照らし、視界が少しひらけるようになる。ターゲットが恐る恐る振り返ろうとすると、真後ろの席に幽霊が座っている、という状況になる。
天使の艶リングがさらりと揺れる。
黒曜石のような瞳と目が合う。
ちくしょう、美少女じゃねえか。
美少女はぽかんとした表情をしていても、変わらず美少女だった。
「…………」
美少女の口からは何も発せられない。恐怖に叫ぶこともない。恐怖のあまり声が出ないのかとも思ったが、恐怖に引きつった顔さえしていない。困った。
「……私のこと、見えるの……?」
あらかじめ用意されている台詞を発する。
「……ええ。視力には自信がありますので」
美少女に動じた様子はない。
驚きもしない様子を見ると、これがドッキリだと気づいているのだろうか。
しかし、こういう時に臨機応変な対応を取ることが出来るか否かで今後の女優人生が変わってくるかもしれない。演技を続けることにする。
「……私のこと、無視しない人は初めて……。嬉しい……」
気味悪く見えるよう、うっそりと唇に笑みをのせる。
――さあ、自分は幽霊なのだ。怯えろ。
ここでまた予想外なことが起きた。
美少女はそれを聞くと、眉を八の字に寄せてこう言ったのだ。
「それは、あなたの周りにいる人々が視野狭窄や視野欠損の方ばかりで、あなたは高頻度でその方たちの視界の欠けている部分にいらしたということですか?」
美少女は「そうならば、周りの方に眼科を受診するよう薦めるべきだと思います」と続けた。
――うおおおおい!? 美少女よ、お前は天然か? 違うよ、幽霊だからだよ!! お前の仮説が本当だとしたらそれは世にも奇妙な話だよ!!!
「違くて、そうじゃなくて……」
思わず素でそう言ってしまう。
「そうではないとしたら……、その…………」
ここで美少女は気まずそうに視線を下げた。
――そうそう、見えないから無視されていたんだよ。幽霊だからね……!
「あまり気にしないほうがいいと思います」
美少女は心配そうな顔をして、自分を励ますような台詞を鈴のような声にのせた。
――あ、だめだ、これ。
美少女は自分がいじめられて無視されているのだと勘違いしたようだ。
「あなたはとても真面目な方なのですね。あなたのことを無視するような人のことなど、気にしなくていいのです。人間は勝手に生まれ落とされ、そしていつか呆気なく死ぬのです。いつ終わるかわからない命ですから、何が必要で、何が不必要なものなのか、見極める必要があります。あなたを無視する人たちは、あなたの人生に必要なものなのですか?」
「あなたを無視する方々に認められるようあなたが自分を変える努力をするより、そのままのあなたを認めてくれる居場所を探したほうが早いですし、ストレスフリーだと思います。あなたがその方たちを必要としているのなら否定はしませんが……」
ここで美少女は凛とした顔で、「人間はみんな似たようなものなので、あなたの求める性質をもつ人間はそこら中にいると思います。なのであなたがわざわざその人たちにこだわる必要はないと思いますよ」と言い放った。
……負けた。
これは完全に持っていかれた。
放送されたらすぐに鳩印のSNSでトレンド入りするやつだ。まず、美少女ってだけで話題になる。そのうえ、こんな強烈な印象を植え付けたら……。
スターと、はこういう人をいうのか。
偶然をモノにできる運と実力を持っている人物。おまけに美少女。
ああ、故郷に帰って実家のリンゴ農園を手伝おうかな……自分に女優は向いていないのかもしれない。
一握りの才というやつを見せつけられ、自分の夢がとても薄っぺらく感じられた。
売れないバンドマンの彼氏を支えるためアルバイトを掛け持ちし、自分の稽古のため稽古場のレンタル料を払い、そうして五年。やっと出演できた地上波の配役は印象に残らないような幽霊役……。
『あかりの作るリンゴはうめえなあ』
祖父の言葉がふいに胸に浮かんだ。
自分が叶えたかったのは「女優になる」ことだっただろうか。
近所の集会所で行われた寄合に祖父について行ったとき、小学校の発表会で演じる劇の練習を、ほろ酔い状態のご近所さんたちの前でやった。あのときもらった『あかりちゃんはすげえなあ』『この町の希望だなあ』の言葉と笑顔。
自分は自分を慈しみ育ててくれた故郷の人々を喜ばせたかったのではなかったか。そして、それならば、故郷でリンゴをつくっていたほうがずっと良いのではないか。
「ありがとう。自分、田舎に帰るッス」
「えっ? ちょ、幽霊役!?」
イヤホンの向こうから慌てたような声が聞こえる。しかし、それをウイッグとともに外す。
――こんな美少女が一般人としてのうのうと生きている東京なんか出てくるんじゃなかったなあ。じいちゃんの言った通り、東京さこわかったって言わねえとなあ……。
一本も使える映像がないまま、幽霊役が途中で役を下りたことにより、この回が放送されることはなかった。
感動モノに組み直して放送しようとした勢力もあったようだが、スポンサーである、とある製薬会社から圧力をかけられ、テープはお蔵入りすることも許されず、破棄されたそうである。
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