1 黒猫と呪いの刀

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五十鈴屋から上木家までは徒歩二十分で到着する。裕昌は、待ち合わせの時間より十分早く着くように家を出てきた、はずだったのだが。腕時計が差す時刻は十時ジャストだ。  その原因はというと、道中の妖怪たちだ。大して強くはなく、ちょっかいをかけてくるような可愛い部類の者達だが、いかんせん数が多かったのだ。  上から押しつぶされそうになったり、肩に乗って来たり、その度に黒音がそれらを追い払う。このようなことを繰り返しているうちに、十分もタイムロスをしてしまったのだである。 「や、やっと着いた……」  五メートルほど後ろで、黒音がうんざりしている雰囲気が伝わってくる。裕昌は息を整えると、インターホンを鳴らした。流石、今まで刀を保管していた家なだけあって、日本風の邸だ。しばらくすると、木製の門が開き、中から上木家のあの男が出てきた。 「やあ裕昌君。体調は大丈夫かい?」 「はい、ご心配をおかけしました。もう大丈夫です」  にこりと笑い返す。その表情を見て安堵したのか、上木も表情を緩ませた。そして、裕昌と、視えない客人黒音は中へ案内された。 「……?なんだこれは……」  黒音が居心地が悪そうに呟く。その言葉には裕昌も同じことを思っていた。まだ夏でもないのに、異様に肌にまとわりつく感覚がある。  裕昌は居間に案内された。 「それで……裕昌君、刀の事だと言っていたけれど……」 「はい。上木さんも覚えていらっしゃいませんか?あなたのおじいさまの枕元にこの刀が刺さっていた。そうおっしゃって家にもう一度この刀を持ってこられたこと」  裕昌が問うのは一昨日の出来事だ。上木が持ってきた刀に触れ、裕昌は意識を失った。 「ああ。祖父の枕元に刺さっていたことは覚えているよ。しかし……五十鈴屋に行ったことは覚えていないんだ……」  やはり。裕昌は自分が意識を失っていた時の話を、黒音から聞いていた。 『あの上木とかいう男。刀に操られてきたらしい。記憶がないと言っていた』  あの時はぞっとしたものだ。上木の老父を殺害し損ねた刀は、何故か裕昌の身体を奪おうと来たという事だった。 「では、本題に入ります。失礼ですが、おじいさまはなにか人に恨まれるようなことはありましたか……?」  沈黙が流れた。上木の様子を見ると、どこかおどおどしているように見える。暫くそうしていると、何かをあきらめたように息をついた。 「裕昌君、少し、ここで待っていてもらえるかな?」 「え?はい……」  裕昌を居間に残し、上木は部屋を後にした。それと入れ替わりで黒音が部屋に入ってきた。どうやら例の日記をもとあった場所に返しに行っていたらしい。 「ん?あの男はどこ行ったんだ?」 「なんか待っててって言われたけど」  よっこいせ、と黒音は裕昌と少し距離を置いて腰を下ろす。上木家の蔵は埃っぽかったのか、艶やかな黒髪に少し埃がかぶっている。それを見て裕昌は苦笑し、近寄ってポンポンと埃を払ってやった。一方で、頭の埃を払われている黒音は、どこか嬉しそうにしていた。が、すぐに我にかえる。 「まて、離れろ。刀と近すぎるのは危険だ」 「うっ、すっかり忘れてた……」  裕昌は元の位置に戻る。黒音は少し残念そうに肩を落としていた。帰ったら思う存分撫でてやろうと心に決める裕昌であった。  それから十数分ほど待った。いつまでたっても上木は帰ってこない。 「どうしたんだろう?」 「仕方ない……ちょっと見てくる」  そう言って黒音は立ち上がった。 廊下に続く襖を開けようと力をかけた刹那。 「あだっ!」 「っ!?」 勢いよく襖が開き、上木が戻ってきた。黒音は力の支えを失くし、上木にぶつかる。しかし、しりもちをついた上木本人は、黒音のことが視えないため、突然の衝撃に驚いている。 「っと、すまない裕昌君。待たせたね……」 「あ、えっと……その、大丈夫ですか?」  若干よろけながら立とうとする上木だが、彼に黒音が重なって倒れているため、重みでうまく立ち上がれていない。黒音が視える裕昌は、どうしたらよいのかわからず、硬直している。  黒音が横に転がり上木の上から退くと、上木はやっと立ち上がることができた。 「ふう、大丈夫だよ。それより……、君に合わせたい人がいるんだ」 「合わせたい人?」  裕昌が首をかしげた。上木は襖のほうに向かって手招きをした。すると、入ってきたのは一人の老人だった。だが、老人は何かに怯えるように、顔も蒼白になっている。 「なんだ。あの日記の持ち主じゃないか」  黒音が裕昌と距離をとって戻ってくる。 「私の祖父だ。少し前から、ずっとこんな感じで……何かに怯えているみたいなんだ」  ふと、老人がおもむろに顔を上げた。虚ろな視線は最初、黒音がいる方向に注がれていたが、すぐに裕昌のほうへと移した。 「…………る、来る……」  老人の尋常じゃない怯え方に、裕昌は思わず一歩後ずさりをする。一方で、黒音は眉を顰めていた。 「…え、き……、き……さ…………、さ……こ……」  裕昌には何を言っているのかわからないが、人間より聴覚の優れた黒音は聞き取った。 「行くぞ裕昌。目的は果たした」 「はっ!?あ、えっと、あの、おじいさん……」  黒音の思いがけない言葉に裕昌は仰天する。しかし、何も情報を得られていない裕昌は、意を決して老人に尋ねた。 「今、なんとおっしゃいましたか?」  ごくりと息をのむ。これだけ怯えているのだから、何も返答が返ってこないということもあり得る。そのケースを覚悟していた裕昌だったが、思いのほかあっさりと答えは返ってきた。 「……霧笠駅」  きりがさえき。裕昌はもう一度繰り返す。老人はこくりと一つ頷いた。  次の目的地に確信を持った裕昌はぺこりと礼をすると、上木のほうを見た。 「上木さん、ありがとうございました」 「あ、うん。もういいのかい?」 「はい。本当にありがとうございました」  裕昌は再度礼をすると、玄関へ足早に向かう。黒音が戸口で待っている。 「早くしろ。なるべく黄昏時前には帰りたい」 「わかったわかった」  慌てて靴を履く。お邪魔しました、と声をかけ、急いで霧笠駅に向かう。霧笠駅は五十鈴屋や、上木家のある町より二つ向こうにある駅である。電車に乗れば十分で着く。 「なんで黄昏時前なんだ?」  走りながら少し前を行く黒音に問う。黒音は肩越しにちらりと振り返って答えた。 「太陽が出ているとまだこの刀は暴れづらいはずだ」 「俺襲われたの昼だけど!?」  裕昌の悲痛な叫びに黒音は苦笑いで返す。あれは例外だ。それに、刀はまだ全力ではなかった。 「夜になると部外者に危害を加える可能性が高まるからな。裕昌は部外者じゃないからさらに危険だし」  確かに、と裕昌がうなる。妖怪というものは基本夜行性のイメージが強い。夜に人魂で驚かすとか、袖を引いて振り返った者の命を奪うとか、そういうものが多数だ。  そんなことを考えているうちに最寄りの駅まで着いていた。裕昌は改札をくぐると、電車の発車時刻を確認した。あと五分で発車するものが一つある。黒音の後を追って駅のホームへと続く階段を上る。しかし、ホームに黒音の姿はなかった。 「?黒音?どこ行ったんだ……?」  あたりを見回しても、黒音は見当たらない。ホームにいるのは数人の学生と買い物帰りの主婦くらいだ。 「置いてっちゃうからな……?」    電車に揺られること十分。裕昌は電車からの眺めを堪能していた。車窓からの眺めというのはなかなか捨てがたい。見慣れた街を素早く移動している感じが、裕昌は好きだった。 『次はー、霧笠―、霧笠―』  車掌のアナウンスが響く。ホームが近づいて来るのが見えた。その時、裕昌は眼を瞬かせた。どこか見知った人がいるのは気のせいだろうか。ホームには似合わない猫耳と和装。そして腰には脇差と筆架叉。裕昌は電車のドアが開くと、その人影のほうへと向かっていった。 「黒音!?今までどこにいたんだ?あ、もしかして先に乗ってたのか?」 「おー、裕昌。やっぱり電車より自分の足で来たほうが早かったか」  ん?と裕昌が眉を顰める。今、なんと言った。しばらく思考したあと、その言葉の意味を理解する。 「は!?」 「は?も何も、走ってきたんだよ」  絶句する裕昌。確かに飛ぶように移動する妖怪や異能者をアニメで見たことはあったが、まさかそれが本当だとは。 「さて、ここが例の駅なわけだが……」  黒音はそう言ってあたりを見回す、が、人一人もいない。 「ここら辺は人が少ないからな。……広場があるからそこに行ってみるか?」  裕昌はそういうとホームから立ち去り、広場へ向かう。この駅は昔ながらの一階建てであり、改札を出るとすぐに広場に出ることができる。広場の地面はレンガ畳で、真ん中にポツンと時計がある。その周りを囲む花壇の前に、一人だけ女がいた。 「黒音、あの人……!」 「霊体だな。間違いなさそうだ」  明らかに周りの雰囲気と纏う空気が少し違う女。裕昌は正体を探るため声をかけようとした。しかし、すぐに消えてしまった。太陽の光が橙色を帯びる。 「ちっ、黄昏時か……」  闇の帳が落ちようとしている。
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