1 黒猫と呪いの刀

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       2 訳アリの刀  それが数日前の出来事である。よくよく考えれば、人間の言葉が分かるんじゃないかというほど、聞き分けの良すぎる猫だとは思っていたのだ。妖系の猫ならば納得がいく。  裕昌は翌朝落ち込んだ。もう二十代後半に差し掛かろうとしている良い大人が、涙を浮かべながら情けない声をあげ、少女に抱き着くという醜態を見せてしまったのだから。 「黒音、結局お前は何なんだ?やっぱあれか、妖怪とか物の怪とかか」  黒音は不機嫌そうに尾をぴしりと振って答えた。 「私は猫又だ。昔は人も食べてたし、あ、そうそう。私を殺したら七代まで祟るからな」  牙をキラリと光らせて、にたあ、といかにも悪者の様な笑みを浮かべる。 「えっ、じゃあお前今何歳?」 「レディに年齢聞くなよ…。まあ私は400年は生きてるかな」  400年。裕昌は学生時代の授業を思い出した。確か四百年前といえば、1600年あたり。関ヶ原の戦いがあったころだ。ということは、江戸時代の妖怪なのか。 「じゃあお前、関ケ原の戦いとか、徳川家とか見たのか!?」 「はあ?見たけどくだらない人間の戦なんて覚えてるもんか」  後ろ足で首をかりかりと掻くと、黒音は裕昌の方に寄っていった。 「そろそろ昼ご飯だろ。ご飯―。」 「はいはい。じゃあカリカリとささみな」  裕昌が一回の台所へ降りていくと、雑貨屋の店長であり、資料館の館長である老夫婦が湯呑片手にくつろいでいた。この老夫婦は裕昌の遠い親戚で、居候させてもらっている。 「あら、ひろくん、もう『げいむじっきょう』は終わったのかしら?」 「今日はやり直すよ。昼ご飯にゅう麺でいい?」 「お前のにゅう麺は絶品だからなあ。それがいい」  この二人もかなりの高齢で、家事と仕事の両立が難しくなってきているのが実は居候を許可した理由だとか。二人とも動物は好きなようで、黒音の事も可愛がっている。  居候させてもらうにあたり、母にみっちり家事を仕込まれた。わざわざ一人暮らししていたマンションにまで突入してきたのだ。唐突に開いたドアの音と母の登場はなかなかの恐怖映像だ。  ピンクの猫皿にカリカリと呼ばれるキャットフードを入れ、ささみをまぶす。  そして自分たちのにゅう麺を盛り付け、付け合わせの胡瓜とトマトのサラダを運ぶ。 「ほら、黒音」 「ん。どうも」  なお、この黒音の声は老夫婦には全く聞こえていない。 「黒音ちゃんはおしとやかで可愛いねえ」 「目もクリっとして、べっぴんさんだよ」  にゃーん。  かわいらしく鳴いているが、これが裕昌には、 「そりゃそうよ。猫又界でもかなりの美人だからな」  と、聞こえるのである。なんとも複雑な心境だ。  黙々と昼ご飯を食べていると、玄関の方からチャイムが鳴った。お客さんかしらね、そうつぶやくと媼はおもむろに立ち上がり、店の方へ出ていった。  裕昌はさっさと食べ終えると、行儀よく手を合わせ「ごちそうさまでした」と言うと、シンクに食器を入れ、媼の手伝いに行った。 「じいちゃん、食器は置いといて」  そう言って戸を開けると、媼が、刃物を持った男と対面している。 「ちょ、ばあちゃん!」 「ひろくん、手伝いに来てくれたの?ありがとうねえ」  媼はいつもの調子でにこにこと笑っている。 「はじめまして、君が居候してる子か。驚かせてすまないね。私は上木だ。よろしく」 「彼はこの刀をあの資料館に寄付したいそうよ」  えっ、と裕昌は絶句した。てっきりあの資料館の展示物は老夫婦の私物かと思っていたが、どうやら違うようだ。というか、強盗じゃなくて本当に良かった。 「げ、なんだその禍々しい刀は」  黒音がいつの間にか傍らにいた。レジ兼ショーケースの上に飛び乗り、まじまじと刀を見ている。 「黒音ちゃん、危ないわよ」 「上木さん、この刀、どういうものなんですか?」 「ああ、これはうちの実家から出てきたんだけどね、もう古くて錆びてるし、使えないから寄付しようと思ってね」  黒音は匂いを嗅いだり、近くで見たり、そわそわしている。 「これ、人とか斬ったり、呪いの材料に使わなかったのか?普通にしてりゃこんなに禍々しくはならないだろ」  何か分からないが、これは禍々しいものらしい。  裕昌は視えて聞こえるのって、こんな苦労するんだな、などと埒もないことを考えていた。 「じゃあ、こっちで預からせてもらいますねえ」 「よろしくお願いします」  上木は一礼すると、店を出ていった。黒音は不満そうに刀を見ている。 「裕昌、絶対夜は近づくんじゃねえぞ」 「え、なんで?」 「近づいたらお前の身が危険だ。だから絶対だ」  黒音はエメラルドグリーンの目をらんらんと光らせ、険しい顔をしていた。猫又のいう事だから多分本当だろう。こんな険しい顔をする黒音は初めて見た。 「じゃあ、お前も早く中入ろうか」  裕昌はひょいと黒音を持ち上げると、中に入っていった。媼は資料館の方へ行き、入り口付近のテーブルに刀を置くとその場を離れた。資料館入口の戸をしっかり施錠し、中に入っていった。  刀から発せられる気には誰も気付かずに。 朝撮れなかった分の動画を撮影し、編集作業は深夜二時までかかった。やっと布団に潜れる。そう思い伸びをした。ふと、黒音の姿が無いことに気が付いた。 「?黒音?」 夜はあまり起きていたくない。特に霊やら妖やらが多く、視えてしまうからだ。 「黒音は何処かなー」  隣の部屋や、老夫婦の部屋をそーっと覗くが、どこにもいない。暫くそうして廊下をさまよっていると、階段の方から黒音が上ってきた。 「まだ寝てなかったのかよ。寝不足は体に毒だぞ。早く寝ろ」 「お前、どこ行ってたんだ」 黒音は大きくあくびをすると、面倒くさそうに答えた。 「下だよ、下」 「なんでまた下なんかに」 「気分転換。月の光でも久々に浴びようかなって」 「ふーん……」  あー眠い。と呟きながら自分の寝床に向かう黒音。裕昌は不思議そうに黒音を見つめていた。どうしてだろう。黒音の周りになにか霧のようなものが付いている。それと黒音がどこか疲れているように見えた。 「月の光なんて、見えないけど」  裕昌は黒音の後を追って自分も布団に入った。 *       *        *   『…………………る、…し………る、こ…し……やる……』 ――――――――――殺してやる! *        *       *  苦しくて目を覚ますと、エメラルドグリーンの一対の目が間近にあった。目の前の美少女に裕昌は思考を停止させた。 「え、と……これは一体どういう状況で……?」  少女の眉がピクリと動いたかと思うと、出し抜けに思い切り頬を引っ叩かれた。 「いってえ!?」  じんじんと赤く腫れた頬を抑えながら、裕昌は飛び起きた。 「何すんだお前!?」 「目つきが別人だった。お前、魅入られたな?」  魅入られた?誰に?何に? 「夢、どんなの見たんだ?呪いか?怨念か?嫉妬か?なんだ言ってみろ」 「………………………殺してやるって、言ってた」  黒音は小さく舌打ちした。やっぱりか。 「はあ……面倒臭いもの持ちこんで来てくれたな、あの男」  猫の姿に戻った黒音は、伸びをすると裕昌を顧みた。 「今日も下には来るなよ」 「お前な、理由教えてくれよ。忘れてお前探しに行くかもしれないだろ」 「……簡単に言うけどな、裕昌。これだけは忠告しておく。命に関わる問題になる可能性が高い件だ。何も知らない方がいい時ってのもあるんだぞ。それでもお前は聞きたいか?」  黒音の声音にうっと詰まる。やはり黒音は妖なのだと実感する。 「う、ん。じゃあやめとく」 「よろしい。万が一お前が巻き込まれたら、それはちゃんと話すから。巻き込まれなかったらそれで終わる話だ」  なるべく巻き込まれないようにしようと決心する裕昌であった。  古くからお土産や、日用品の雑貨などを扱っている「五十鈴屋」は地域から出土した歴史あるものを保存し、展示する資料館と併設している。近所では「もののけ館」とも呼ばれるくらい独特の物ばかり展示されている。いつかの能面、どこからともなく出てきた土器や副葬品、時には、蔵から出てきたお札やら壺やらが持ち込まれることもある。  裕昌は普段から薄気味悪いな、と思っていたのだが、視えるようになってからは全く近づかないことにした。あの建物だけ霊とか妖の多さが尋常ではない。一つ目小僧や、イタチの妖怪、侍の浮遊霊。今も裕昌の目の前にいるのである。そして声も聞こえるのだから騒がしいことこの上ない。 「本当にこの家すごいな……裕昌、お前よく平気でいたな」 「前は霊感も全くなかったから気にしてなかったんだよ」  ちらりと扉の方を見る。もののけ館と五十鈴屋を隔てている一枚の扉に、何人(?)か、霊が引っ付いている。 『猫又だよ、猫又』 『へえ、珍しいな』 『裕昌も俺たちの事視えてるみたいだぜ』 『じゃあ、一緒に遊んでくれるかな?』 『一緒に蹴鞠したいな!』 『人間の遊びも教えてほしい!』  蹴鞠て、いつの時代だよ。と胸中で突っ込む裕昌。 「あいつらは、別に害ないんだよな?」 「ん?別に害はないし、ここの古株みたいなやつらだから仲良くなろうと思えばなれる」  ちらりと霊や妖怪たちをみると、興味津々な様子で目を輝かせている。  そんな目で見られても困るのだが。 「そういえばあの刀、どこ置いたんだろ?」 「一番奥のショーケースに仕舞ったって、ばあさんが言ってたぞ」  あの刀、何故かとても気になる。何気なく、裕昌は資料館の方へ視線を滑らせた。
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