1 黒猫と呪いの刀

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*         *        *  金切り声と、怒声と騒ぎ喚く声が聞こえる。  憎しみ、悲しみ、苦しみ、妬み、怒り、恐怖。  負の感情全てが混在しているような。 「…してや…!殺してやる……!絶対に……!」  どうして?  どうしてどうしてどうしてドウシテどうして――――――  血飛沫が上がる。障子にも壁にも紅い鮮血が散る。 そして目の前で怯えている男と女に向けて、刀を振り上げた。 *        *       *  飛び起きると、冷や汗をぐっしょりと掻いていた。まだあたりは暗い。鼓動が早鐘を打ち、全身に響くほどうるさい。やけに寒く、思わず腕をさすった。 「……っ、夜中まで編集してるのが悪いのか……?」  夜中まで編集して体調を崩したなんて知られたら、笑われる。しかもたかが夜中の二時くらいまでで。  のどの渇きを覚え、暗闇の中、階段を慎重に降りる。キッチンに向かうと、冷蔵庫を開け、中から水の入ったペットボトルをだす。生憎、温かい飲み物は無かった。水を飲むと、心なしか心身ともにすっきりとした。黒音の忠告通り、一階にあまり長居してはいけないと思い、階段を上がろうとしたその時。  きいん、と金属音がした。 「な、何の音だ?」  ひたり、と冷たい廊下を歩く。どうしてか、何かに吸い寄せられているような感覚を覚えた。  一歩、また一歩。  え?  意に反して体は何処かへ向かって歩く。店内に通じる扉に手をかける。開けようとした瞬間。 『スト―――――――ップ!!!!!!!!』 「わあああああああああああっ!?」  目の前に昼間の妖たちがぎゅうぎゅう詰めに迫っていた。 「なっ、何だお前ら……」 『ここからは立ち入り禁止!裕昌は絶対に入っちゃダメ!』 『命が無くなるかもしれませぬ。お引き取りを』 『絶対に入れるなって、あの黒毛玉が言ってたもん!』 「おいこら小妖怪ども、だれが黒毛玉だ」  ひゃあ、と声を上ずらせた妖たちの肩が跳ねた。どすの利いた声の方を見ると、人身を取った黒音が仁王立ちしていた。 「裕昌、一階には来るなって言ったよな」 「喉渇いたんだから仕方ないだろ。また悪夢見たし……」  黒音は一つ嘆息した。どうもこの男は霊やらなんやらに好かれる体質なようだ。今まで視えていなかったことが不思議で仕方ない。 「ところでさ」 「ん?」 「さっきから鳴ってるこの音、何?」 「何の音だ。何も聞こえないだろ」 「この、きいん、っていう音」 「だから何の音……」 ふと、黒音が押し黙った。猫耳が外側に向き、所謂イカ耳になっている。  しばらくすると、きいん、という音が大きくなるにつれ、何かが震えだす音が鳴りだした。  きいん…… きいん……  小妖怪たちも不思議そうに、しかしどこか警戒している。すると、唐突に静寂が訪れた。刹那。 「全員伏せろ!」  黒音が叫んだすぐ後に資料館の窓と扉のガラスが全て粉々に吹き飛んだ。何かに斬られたような形をしたガラスの破片が次々と飛んでくる。  黒音と裕昌は袖で顔を覆い隠し、自分の身を守る。   資料館の方から、長細い影が飛び出ていくのが見えた。  静寂が戻ったことを確認して、裕昌は恐る恐る顔をあげた。辺りにはガラスの破片が散乱しており、人が歩ける状態ではない。 「げ……ガラスの修理代が……」  裕昌は修理代の総額を想像してさあ、と青くなった。一枚あたり一万五千円と考えると、今割れているのは七枚。つまり十万円とちょっとはかかるという事だった。  さすがに理由が理由なだけあって、店の利益から修理費を出すわけにはいかないので、自分のお小遣いから出そうと決めた裕昌であった。 「くそっ。あの刀、どこ行きやがった」  黒音が渋い顔をする。  あれを野放しにするわけにはいかない。あれは妖刀だ。人に害を与える前に取り押さえなければ。  黒音は突っ伏している小妖怪たちを見ると、何かを思いついたらしく、にやりと笑った。 「おい小妖怪ども」 『はいいいっ!?』 「お前達、この猫又様の役に立たないか?」  翌朝、裕昌は老夫婦に土下座して謝った。俺に関係してこうなりました。理由は聞かないでください。と床に頭をこすりつけて謝罪した。  散らばった破片は裕昌が責任をもって片付けていた。どうしてか黒音や小妖怪たちは留守にしており、裕昌一人だった。 「前はこんなに静かだったんだもんなあ……」  そう呟くと、ふと寂しさが込み上げてきた。 「そうだったよ。俺は昔からぼっちだった。青春とは程遠い学生生活を送ってたんだよ。ちくしょう。リア充が憎い」  ぶつぶつと独り言を言っていると、店の入り口に誰かが立つ気配があった。視線を投じると、そこには上木と見知らぬ女性がいた。 「上木さん?どうしたんですか?」 「裕昌君。いや、あの刀はどうなったかと思って、ね」  歯切れの悪い上木に違和感を覚える。その隣の俯いている女性を見る。真っ黒な長い髪を下ろしており、雪のように白い肌だ。それが映える黒いワンピース。生憎、顔までは髪に隠れて見えなかった。 「大丈夫ですか?」 「……実は、これが……」  上木が差し出した細長いもの。裕昌の背筋を悪寒がはしる。見たことがあるフォルム。一昨日辺りに、同じように持ってこなかったか。 「こ、れ……」 「朝、目が覚めたら祖父の枕元に刺さっていたんだよ。刀身が剥き出しで」  刀身が剥き出し。その言葉に裕昌は息をのむ。明らかに殺そうとしていたという事か。 『……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………してやる』  ふと、脳内に響く声があった。男か女か分からない、ぼやけた声音。 『絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に、―――――――――――――――――――――ーーー殺してやる』  怨嗟の声が、響いて響いて、鳴りやまない。声がはっきりとしてくる。やけに近くから。 「ひとまず、これを受け取ってくれないかな」  頭痛を覚え、こめかみを抑えている裕昌を、何とも思っていないような上木の声が聞こえる。これが早く終わるなら、と受け取った。  流れ込んできた。  これは黒い霧か、靄か。その奥にうっすらと浮かび上がる情景。  人間二人。恐れ慄く姿。  ―――殺してやる。  ―――どうして。  ―――……た……からに……い―――――    二人分の声が重なる。片方は消えそうなほど朧げなことだけは分かった。  走馬灯のような、瞬きほどの出来事だった。  裕昌の意識が深淵に沈む。血の涙を流しながら、女が嗤っていた。  裕昌が刀を持ったまま倒れると、上木もその場に(くずお)れた。  一方、小妖怪たちを引き連れ、とある邸を調査している黒音。人には視えない人身の姿で枕の隣に何かを突き刺したような跡を調べていた。畳の匂いの中に鉄が錆びた匂いと、もう一つ。 「血、か……」 「黒猫~!ここの付喪神たちに聞いたぜ~」  奥からやってきたのはイタチの妖怪だ。 「なにかあったか?」 「どうやら数十年前に修羅場があったみてえだ」  でた。女の情念は恐ろしいとか言うパターン。黒音は渋い顔をする。 「やっぱりか。んじゃあ、あの刀は人斬ったんだな」 「多分そう」  ふう、と嘆息して招集をかける。 「五十鈴屋の奴ら、帰るぞー」  ふと、身体が激しく脈打った。まずいと、本能が警鐘を鳴らしている。 「裕昌……!?」  体が鉛のように重い。瞼を開けるのも一苦労だった。吐く息がいやに熱を帯びている。 『…………!…………!』 遠くの方で誰かが呼んでいる。複数の声が聞こえる。 「………さ!」  複数の声より、はっきりと聞こえる声が一つ。自分しか聞こえない声。  そんなに耳元で叫ばなくても聞こえてる。いつもは大きい声を出すなと言っているくせに。  霞んだ視界に黒いものが映る。頬を押しているやわらかい感触が伝わる。 「……ね…」  伸ばす手の動きは緩慢だ。息苦しさが相まって思考もままならない。  苦しい。じわじわと己の内が侵食されていくような感覚が蠢く。その不快感と徐々に四肢の感覚が失われていく。  死ぬ?いや、生きたまま傀儡になる?  よくわからない。今は、考える力もない。 「…たす……て……」  どうしてか、自分が自分でなくなっていくような恐怖に駆られていた。 「裕昌!」  黒音が猫の姿で叫ぶ。頬をむにむにと肉球で押してみるが、目覚める気配がない。後ろでは、黒音の声が聞こえない老夫婦と上木という男が話している。 「二人とも入り口で倒れてたのよ。上木さんが起きてくれて本当に助かったわ」 「すまんなあ、目覚めたばかりだというのに、ひろを運んでくれて」 「いえいえ、私も自分がなぜ意識を失っていたか……それも、五十鈴屋の前で……。裕昌くん、早く良くなるといいですね……」  そのまま老夫婦は上木を見送るつもりだろう。 「黒音ちゃん、ひろくんのこと、よろしくねえ」  黒音はにゃんと一鳴きし、裕昌の方を向いた。 「くそっ。あの刀、よりによって裕昌の身体を乗っ取るつもりか……!」 「……ね…」  裕昌がかすれた声で黒音を呼ぶ。名前を呼ばれ、黒音が顔を近づける。 「裕昌!大丈夫か!?」  虚な目が黒音を見る。裕昌の手が黒音の頭に触れる。 「…たす……て……」  助けて。その言葉に黒音が頷く。 「絶対助けてやるから」  裕昌は、どこか安堵したような目をすると、また瞼を落とした。 「今度は、絶対に……離れないから……!」  黒音の手に力がこもる。裕昌の息が浅い。  だが、まだ間に合う。彼と結んだ縁は、黒音の妖力とも繋がっている。  出ていけ。裕昌はあたしのものだ。あたし以外の妖になんて、くれてやるものか。  裕昌の中に流れる縁を頼りに、自らの妖力で妖刀の力を押し出す。もちろん妖刀も無抵抗ではない。力が拮抗してくる。なかなか厄介な相手だ。  だが、黒音には譲れない理由がある。  遠い昔に、今度は絶対に助けると、自分に誓ったのだ。  黒音の妖力が、妖刀を弾き出した。 *        *        *  殺してやりたいと思うほど、憎んでいた。  殺してやりたいと思うほど、恨んでいた。  殺してやりたいと思うほど、妬んでいた。  殺してやりたいと思うほど、羨んでいた。  裏切られて、心も身もずたずたに切り裂かれて、泣きはらして。  どれほど負の言葉が出たか分からない。  それで  この刀で、終わらせようと思った。   *        *        *
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