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「勢いで病院の前に来ちゃったけど……」
僕は彼女の名前を知らない。それに彼女がどの程度入院していて、どの程度の病気なのかわからない。
「ずっとって……どれくらい僕を見ていたんだろう」
あと一歩で病院の敷地内に入れるけど、その一歩を僕はためらっていた。もしも長期入院していたとしたら……彼女は一体どんな気持ちで学校の中を眺めていたんだろう。同い年くらいの子達が制服を着て笑い合う登下校の風景を……どんな気持ちで見つめていたんだろう。考えただけで胸が苦しい。
「でも……もしかしたら僕の勘違いかもしれない……不正解であってほしい」
弱々しく微笑んでいた彼女の顔が頭をよぎる。
「僕は……またあいまいにするの?逃げるの?彼女は僕の本当の笑顔が見たいといってくれた。気持ちを……伝えてくれた」
だから……僕はもう逃げない。本当の自分はなにも持っていないつまらない人間だってわかってる。それでも僕に笑顔になってほしいと願ってくれる人がいる。それなら僕は……空っぽな自分のまま君の気持ちと向き合いたい。
手のひらを握りしめて大きく息を吐く。病院の敷地内に一歩、また一歩と足を踏み入れる。歩幅に合わせて高鳴っていく心臓の音。沸騰した蒸気のように体の中から汗がにじみ出る。
その時、ふと甘い香りがした気がして後ろを振り返り、歩道橋を見上げる。そこには空を仰ぎながら右手を大きく伸ばした彼女が立っていた。
「歩道橋にいたんだ」
僕のストーカーだといった彼女。
僕の本当の笑顔が見たいといってくれた彼女。
僕は君の全部を知りたいんだ。
例えそれが悲しい結末だったとしても……。
僕は慌てて歩道橋の階段を目指して駆け出した。
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