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✾心を引き付ける甘い誘惑
「おまえもカラオケいかね?」
「うん、いくよ」
僕は歌うのが苦手だ。それでも周りの空気を読んで断ることはしない。本当の僕はもうすぐで夏休み前のテストがあるから、出来れば家に帰って勉強がしたい。そんなことを口にすればきっと『ダサい』といわれてからかわれ、面白くないやつだとやがて誰からも遊びに誘われなくなるだろう。だから集団の中でうまくやっていくには、なるべくみんなと同じように行動して輪を乱さないようにはみださないこと。
無難に学校生活を送る術だってわかっている。それでも時々僕はそんな自分がいやになるんだ……。人より勉強もスポーツも努力している。きっとなんでも器用にこなせているはず。なのにみんなの顔色をうかがう自分に、気持ちを言葉にしない自分に、ひどく失望するんだ。
僕はなにも持たない……空っぽな人間だから。
結局、掃除当番をサボりたくない僕を教室に残して、みんながカラオケへ向かう。そんな後ろ姿を眺めても僕の心はこれっぽっちも動かない。みんなだって同じだ。僕がカラオケに行くも行かないも本当はたいした問題でもないんだ。世の中すべてがそんなものなんだ。
それでも少しは気にかけてくれたらって思ってしまうのは女々しいことなのかもしれない。
そんな自分に呆れてひとつため息をつくと、空を見上げる。もうすぐで暮れかける燃えるような空が、じんわりと胸の奥を焦がしていくようで、学校から駅へと続く歩道橋の上で立ち止まった。
オレンジ色に染め上げていく景色の中、僕は君に出会ったんだ。
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