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「母さん、ただいま」
扉を開けても返事がない。あれ、部屋が真っ暗。
スマホの時計を見ると、22時過ぎ。ちょっと残業で遅くなっちゃったかしら。母親はすでに寝てしまったのかも知れない。
電灯を点けダイニングに入ると、テーブルの上にはわたしの大好物の黒酢の酢豚がラップされていた。もちろんパイナップルてんこ盛りのスペシャルなものだ。こうして仕事の残業で遅くなったときも、いつもテーブルには変わりなく食事が置かれている。母親が起きているときには一緒に食卓を囲み、すでに休んでいるときには一人寂しくその夕食を口に運ぶ。
今日はその冷めた夕食をレンチンして、一人寂しく食事をするパターン。うーん。あ、そうだ。
わたしは温めたその酢豚と、冷蔵庫に冷やしてあった発泡酒を持って、庭の縁側まで足を運ぶ。今日は入社してからちょうど半年くらい。そう、10月1日だった。十五夜だ。雲ひとつない夜空には満月が輝いている。その月を眺めながら晩酌をするのも乙に違いない。月見団子の代わりに母親の酢豚。月見酒には発泡酒。そしてわたしは、
縁側に続く、
軋む廊下を、
踏みしめた。
言葉を、失った。
きれいな、とてもキレイな、とっても綺麗な月だった。
この小さな庭に、今ではあまり手入れもしていないこの庭園に、月光が降り注いでいた。
その光は、大樹を照らしていた。綺羅綺羅、綺羅綺羅と照らしていた。
光り輝くその樹には、鉢がぶら下がっていた。
あの大振りな幹に対して真横に伸長していた枝に、ゆらゆら、ゆらゆらと鉢がぶら下がっていた。
そのプラントポットの花は、月光を浴びてとても美しく見えた。
わたしは、思う。
ああ、何年も、葉すらもつけなかったこの樹が、花をつけたんだ。
わたしは手に持っていた酢豚を皿ごと地面に落とし、手に持っていた缶をそのまま地面に落とし、立ち尽くす。
身体の震えが止まらない。流れる涙が止まらない。
きれい。とても、きれい。
わたしは咲いたその花を見て、そして、その横の、反対側の太い枝を見つめる。
ああ、あそこには、咲いてないじゃない。それじゃあ――寂しいよね。
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