1243人が本棚に入れています
本棚に追加
『行かないで……和彦さん』
そう言ってぽろぽろ泣いて、泣きつかれてオレの腕の中で眠ってしまった。
寝息が続いてるのを確認して、そっと指を先輩の柔らかい髪に絡める。そしてあの時みたいに、涙の通り道を優しく撫でる。
あんなに傷ついて……オレの前では出さないようにしてるけど……でも分かってしまう。まだ、好きなんですよね。
滑らかな感触の頬を辿って、ほんの少し開いた唇に触れる。ぷっくりした紅い唇。思った以上に柔らかい。
畜生。オレの大事な先輩泣かせやがって。
――オレだったら、泣かせたりしないのに。あんな、先輩のこと都合のいい愛人扱いするような奴なんかより、オレの方がずっと先輩のこと――。
「ん……」
身じろぐ気配に、慌てて指を引っ込める。
「尾形……ワリ、寝てた……」
「大丈夫ですよ! まだ全然間に合います!」
寝起きの頭にオレの大声が響いたのか、先輩は眉を寄せて、うるせえ、とボソリと呟いた。
心臓がどくどく音を立てていた。
今、オレ、先輩に何しようとしてた? 先輩の唇に?
怖くて先輩の顔が見れない。
「?」
オレの態度に違和感を感じたのか、少し首を傾げてオレを見ていたが、やがて一つ息をつくと、
「まあいいか。ちょっと早いけど、行くか」
「は、はいっ!」
オレは車のドアに手をかけた。ノブの冷たさがやけに心地好かった。
ああ……夕日が眩しいな。
昼間のことがあって、今日は打ち合わせ中、横に座ってる先輩の口元ばかり気になって、集中力に欠けた。お客さんの話をよく聞いてなくて、あとで先輩にがっつり怒られた。
早く仕事覚えて先輩の役に立つって決めたのに……。
ご機嫌斜めの先輩を乗せて会社の駐車場に無事辿り着く。せめて荷物持ちます、と思って後部座席から先輩の鞄を手に取ったら、ジッパーが開いてるのに気づかず中身が飛び出してしまった。
「わっ! す、すいませんっ」
ヤバイこれ以上の失態は命にかかわる。慌てて落ちた物を拾い上げた。
「あれ? 先輩、この漫画好きなんですか?」
それはまだビニールのかかった単行本だった。
「なんか実写化するって今話題のやつですよね~」
最初のコメントを投稿しよう!